SOL33

「ヒナぁああああ!」

 海と空の見分けがつかない深い青の世界に、ぐっと手を伸ばす。

「っだぁあ危ねぇだろっ!」

 リクが俺の腹をぎゅうとつかみ、そのままバックドロップでもするみたいに乱暴にヘリの中に投げ飛ばされた。

「いってぇぇええ、何すんだよ!?」

「何すんだよじゃねええ。落ち着けって!」

 そう言われて、ようやく我に返る。

 強風吹きすさぶヘリの外に、カプセルにしがみついて手をふるヒナの姿が見えた。

 何? どういうこと?

 彼女は直径2メートルもない円盤の上で、風の吹くままにライムグリーンの髪をなびかせていた。中腰になってドラッグシュートとカプセルを結ぶ懸吊けんちょうベルトを握りしめ、パラシュートを引きずり出そうとしているらしい。必死の形相。

『なんでこんな時にっ! 言うこと聞いて! お願いだから開いて!!』

 ヒナの悲痛な叫びが無線から流れてくる。

『ソラのお母さんが、火星の石がかかってるの。もうこれ以上何も望まないから! お願いっ!』

 彼女は力いっぱいベルトを引いているように見えた。しかしパラシュートはびくともしなかった。

『――もしかしたら、何かに引っかかってるのかも』

 見た目からは何も分からなかった。カプセルと通信できず、状況を調べようにも誰にも知る術はなかった。

 ヒナは風に煽られながらも必死でなにやらごそごそと作業をしていた。

『メインシュートを引きずり出すっ』

 ヒナの声。金属製のワイヤーでパラシュートの収納袋か何かとヒナのハーネスを結び、アンドロイドの脚力で無理やり引っ張っりだすつもりのようだ。たしかに、これならなんとかなるかも。

『ぐぅう、出てこいっ!!』

 アンドロイドの機体ボディの状況は機内のモニターに表示されていた。ヒナの掛け声と同時に、脚のサーボモーターの出力がぐんぐんと上昇し、赤い線で示された限界値に近づいてゆく。外ではピンと張るワイヤーのギチギチという鈍い音も聞こえてきた。

『サーボ電流最大!』

 ヒナの声の背後で警報が鳴ったように聞こえ、機内のモニターではオーバードライブを示す赤文字が点滅していた。

『きゃぁっ、温度警報!?』

「ヒナ! もういいよ。壊れちゃうよ!?」

『だって……火星の石!』

「もういい。もういいよ!」

 俺の叫び声は残酷にも青空に吸いこまれ、彼女の耳には入っていないようだった。

『ダメ。まだできる。ヒートシンク出すっ。冷却、間に合うかな……』

「ヒナ! もういい……もういいから……。戻っておいで……」

 無線の口で、優しく声をかけるも、彼女は全く意に介さない。

『まだよ! 管理者アドミン権限でリミッター解除するっ』

 彼女はサーボモーターの負荷を更に上げようとしていた。

「もういいって! やめて!」

 カプセルの上のヒナを睨む。発熱が大きすぎたのか、膝のあたりの人工皮革が溶けはじめるのが目に入ってきた。溶けた穴は始めは擦り傷程度の可愛いものだったのに、みるみるうちにカーボンファイバー製の黒い内骨格がむき出しになるほど大きくなってしまった。

「ヒナ……もういいって……お願いだから、帰ってきて」

 俺は自分が今にも泣き出しそうな声で叫んでいることに気づいて驚いだ。遠くカプセルの上のヒナは、一心不乱にワイヤーを引っ張っている。

 白煙を吹くサーボモーター。

 ぎぃぎぃと悲鳴をあげるハーモニックドライブ。

 彼女のお気に入りのカーゴパンツも、すでにぼろぼろだ。それでもヒナはいっこうに出力を下げる気配をみせなかった。

『ごめんソラ。プール行けなくなった……脚、溶けちゃった。こんなんじゃあ水着姿、見せらんないや……』

 そんなこと言ってる場合か! 心のなかで彼女を強く叱った。

 ヒナの残念そうなため息が聞こえる。今すぐそっちに行って抱きしめてやりたい。もういいんだって。火星の石なんて、俺のなくしたものなんて、君より大事なものじゃないんだから。

 目を凝らす。耳を研ぎ澄ませる。

 さっきとは別の警報音が鳴り響いた。

『メインバスB、電圧降下アンダーボルト。――あうぅ。もうだめかな……』

 ヒナは狼狽した。

 もう少しだけ。もう少しだけ大丈夫だよね、私――。

 彼女の心の叫びが聞こえた気がした。が、すぐに黒石の

『高度2000。急げ!』

 という声にかき消されてしまった。

『おいヒナ、どうすんだ!』

『ヒナちゃん!』

 リクとノゾミも無線に叫んだ。

 ヒナが「くっ」と言葉を詰まらせている間、リクはこうしちゃいられないと大急ぎでカプセルの設計図を確認しはじめた。工業高校ロボット科の意地を見せる、と張り切っている。無線の向こうで網野とノゾミもあれこれ考え始めたらしい。

 ――俺は、俺はどうすればいい?

 次の瞬間、俺は走り出した。

「おっ、おいっ」

 構うもんか。リクの手を振り払う。

 そのまま機外に飛び出し、カプセルに向かう。

 あああああっ、微妙に助走が足りなかったかな……。手を伸ばしたところに――なんとヒナの手がガッチリと俺の手を掴んだ。

「ソラ!」

「ヒナ!」

 ああ。なんてことだ。彼女の姿は近くで見ると余計に惨めだった。足の外装は焼けただれ、樹脂の焦げる悪臭を発している。ぶらりと垂れ下がる皮膚のような人工皮革の奥にちらつくどす黒い液体が滴るカーボン製の強化骨格。もはやアンドロイドと呼ぶのも厳しいほどのグロテスクさ。

 ごめんよ。こんなになるまで。

 俺は自分のハーネスから伸びる安全ベルトのワイヤーをヒナのとつないだ。もう、どこにも行くな。

『ソラ、聞いてくれ!』

 リクの大声。図面を読み解いてくれた。

 ドラッグシュートからのベルトは、カプセル上部で二手に分かれ、メインシュート収納袋とカプセル本体の両方に繋がっているらしい。カプセルとの接続部には火薬が仕掛けられ、そこが切断されてはじめてドラッグシュートの引く力がメインシュートにかかるみたいだ。

「ヒナ! 火薬だ! きっと作動してない!」

 たぶんドラッグシュートがベルトを引く力は足元のカプセル本体のほうに逃げてしまっている。これじゃあヒナがいくら強く引っ張ってもメインシュートが出てこないわけだ。

『安全装置がかかってるんじゃない?』

 網野からの無線。

 俺もヒナもハッとした。そうか、そういうことか。

 たぶん、ハッキングのせいか誤作動なのか、とにかく安全装置が働いてるせいで火薬の点火回路がONにならないらしい。ということは、制御マイコンをいじって安全装置を解除すればいいのかな。気づいた俺はすぐにパラシュート取り出し口から腕を伸ばし、手探りでマイコンボックスを探した。設計図を読み込んだリクの誘導もあり、それはすぐに見つかった。

「よっしゃ」

 念入りにべたべたと触ってみる。

 これでオッケーだ。誤作動した安全装置を誤作動させる。

 触れる電子機器をすべて誤作動させてしまう忌まわしきパウリ病がこんなところで役に立つとは――。

「ヒナ。これで大丈夫だ。VTOLに戻ろう!」

「アハハッ」

 いつもの笑い声。いいこと思いついちゃった、の声だ。ああ、相変わらず何を考えてるのか読めないや。

 彼女は無言のまま俺につながるケーブルを外し、そのまま俺の体をかるがる持ち上げてVTOLのほうへ投げ飛ばした。アンドロイドの力は凄まじい。彼女の腕力は俺の体を機内にボンッと投げ込むには十分すぎるほどの力だった。

「おい! 何考えて――」

『火薬に点火しなきゃだってば! あたし天才じゃん!』

 ヒナは剥き出しの大腿から太い電源ケーブルを引きちぎり、その一端を握りしめてパラシュート取り出し口に手を突っ込んだ。まさか、それで点火回路に電流を流す気か?

 迷っている時間はないのは分かった。

 彼女が何を考えているのかも、もう分かった。

 目をあわせると、彼女は静かに頷いた。言葉はいらない。

『不思議だなぁ。海でダイビングしたときにはあんなに怖かったのに。今日はこの身体を失うの、ちっとも怖くないや……』

 そうして、彼女はこの日一番の落ち着いた声で言った。

『ふふふ。まぁ見てて』 

「ダメだって!」

『えへ。優しいね。ありがと。でも大丈夫。とうとう見つけたんだ――私のなくしていた居場所』

 分かったって。だからやめろよ。

 火星の石を救いたい俺と、そんなのどうでもいいという俺とが頭の中でぐるぐると喧嘩し始めた。

『サイバーでも物理フィジカルでもなかった――キミの心の中だよ。くくくっ』

「何言ってんだよ! もうずっと前から居るだろっ!」

『――』

 彼女から目をそらし、モニターを見る。

 電流最大。

 アンドロイドの高機能バッテリーから点火回路に流れる電流が5アンペアを越えた次の瞬間――

 ボンッっと鈍い音がしてロックが外れ、メインシュートが大空に投げ出された。ベルトはすぐにぴんと伸びきって点火ピンを抜き、見る間にメインシュート縁の小型火薬も発火した。束ねていたリーフィングラインがしゅるりと解け、メインシュートはいよいよ大きく翼を広げた。

「ヒナ! ヒナ!」

 急減速したカプセルを上空に見送り、俺たちを乗せたVTOLはオートパイロットでヘリ空母への着艦コースに入った。

「ああっ!」

 大声をあげた次の瞬間、役目を終えたドラッグシュートがヒナの身体を収納袋もろとも大空に持ち去ってしまった。

 これまでずっと機内でじっとしていたファル子がついにしびれを切らして飛び出した。風をきって一直線に彼女の元にむかうも、全然届かない。

 アンドロイドを手放すことが彼女にとってどれほど勇気を必要とするものなのか、理解していたつもりだった。でも、それは間違いだと思い知らされた。

「あああああ。あああああああああああっ」

 どこにも行き場のない気持ちで、叫ぶことしかできない。

「ヒナぁああああ!!」

 アンドロイドの身体は、彼女がなくした居場所なんかじゃなかった。

 ちゃんと居場所を見つけてたんだ。

 ネットのむこうでも、こっちのアンドロイドでもない、特別な場所に。

「ヒナ。ヒナ。ヒナ……」

 俺は彼女を心から尊敬した。顔を見て、手を握って、声に出して、それを伝えられないことを悔いた。

 カプセルは網野のヘリが高度1000メートル付近で捕獲。計画通りそのまま研究所に持ち帰った。そんなキャッチ成功の報を俺は素直に喜べず、『いずも』に到着してもVTOLの機内にとどまり悶々としていた。

 アンドロイドの機体ボディがなくても、いくらでも連絡してこれるだろうに、どういう風の吹き回しか、ヒナからの音信はすっぱり途絶えてしまった。

 彼女が身につけていたペンダントをくわえたファル子が戻り、俺とリクで抱きとめた。

「おかえり。ファル子。きみは強いね」

「ガッハッハ」

 俺たち2人と1羽で飛行甲板の縁に並び、夕日を浴びた。

 ファル子が寂しそうに喉を鳴らすので頭をなてやった。俺の肩をリクが優しく叩いてくれた。

 海の上は、夏のおわりの匂いがした。

 彼女は、約束を守った。夏のおわりまでに居場所を探すという約束を、守った。俺は、俺は……約束を果たせたのだろうか。頬を温かいものが流れた。

 海上自衛隊の懸命の捜索にも関わらず、ついにヒナの機体ボディは日没までに見つからなかった。

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