SOL15
東京都、小河原諸島。父島上空――。
「ほら、起きて! 見えてきたわよ!」
無駄にテンション高い声に、昼寝から強制的に現実世界に引き戻され、ちょっと不満。せっかくいい気持ちだったのに。隣の研究所から借りたというVTOL(垂直離着陸機)の操縦席から、遠足のバスガイドみたいに振り返る網野がそこにいた。無駄にハイテンション。彼女が必死で指差すので、目をこすりながら窓の外を眺めてみる。
「島!?」
眼下に広がる夏空よりも青い海。緑生い茂る島々がぽつぽつと浮かんでいた。一列に行儀よく並ぶ姿が可愛いくもある。
「さぁ、着陸するわよ」
網野の言葉に、俺と通路を挟んで反対側に座るノゾミも、絶景に声を上げた。
「わぁあ、キレー!」
徐々に高度が下がり、白波に洗われる岩がちの海岸もよく見えてきた。複雑なかたちの海岸線のあちこちに入り江ができ、浅瀬はエメラルドグリーンに輝いている。
クレータ調査のため、俺たちは小笠原に向かっていた。インターン中に泳ぐ予定なんてあるわけないのにノゾミの〈しおり〉には水着と書いてあった謎がようやく解けた。海も砂浜もきれいだし、普通に遊びで来たかったんだけど。
「プールプール」とあれほど騒いでいたヒナはなぜか口数少なく、不安そうに副操縦席から遠く水平線を眺めていた。念願叶ったというのに、まさかの乗り物酔いとかだろうか。
「今日行くのはね、あそこよ」
網野の指さす先には、遠浅で波も穏やかそうな入り江が見えた。海岸線に沿って白い砂浜が大きく弧を描き、ぐっと突き出した半島までカーブがなめらかにつながっている。
「この湾は隕石孔、つまり、クレーターだと考えられてるのよ」
「まさか……!」
「ええっ?」
俺に続いてノゾミも慌てて窓の外をもう一度よく眺めた。確かに、海岸線の丸みがあまりにもなめらかに半島につながりすぎている?
「大きい……。これだと、隕石もなかなかのサイズね」
ヒナもようやく楽しそうな声をあげた。たしかに、海岸近くに広がるの町の様子からすると、クレーターの直径はゆうに3キロはある。最後尾の席でうたた寝していたリクが目を覚まし「ふぁああ、もう着いたの?」とのんきに伸びをした。
「ここに落ちた隕石は、上空数キロの高さで大爆発したらしいの。この湾の地形はそのときの衝撃波でできた一次クレーター」
「爆発? 隕石が衝突してできたんじゃないのか? ガッハッハ。まぁそれはそれで、なかなか豪快だな!」
爆発と聞いたリクは、網野の話に身を乗り出して食いついた。
「で、隕石は、どこ行っちゃったんだよ?」
「粉々になって、それでスイカほどの大きさの破片が辺りに降り注いだってわけ」
網野の話では、大きな破片のそれぞれが直径100メートル級の二次クレーターをつくったという。隕石だと言われる小石が周辺で大量に見つかり、海沿いの集落では各家庭が持っているのだそうな。
「調査のしがいがありそうな、良い教材でしょ? やっぱ私てんさーい」
銀色の長い髪を揺らし、得意げに鼻を鳴らす網野。クレーターと思しき窪地に〈星窪〉という小字名が残っているから、状況証拠は十分とも言っていた。
「さぁ、着陸するわよ! ヒナ、誘導お願い」
網野が言い出した途端、副操縦席のヒナが「ええっ」と声を上げ、いつもの言い争いが始まった。
「ねぇ、網野! 誘導プログラム、こっちに来てないわよ?」
「仕方ないでしょ。私も持ってないし」
「機体の3Dモデルも早く頂戴! 空力シミュレーションできない」
「ごめん。それもない」
「えっ、マジで?」
焦りの色をみせるヒナ。
「ま・じ・で! てか、どうせ計算しても間に合わないよ」
後部座席から2人の表情は見えず、これがどのくらいやばい事態なのか判然としなかった。そうこうしている間に機体は徐々に高度を下げ、窓の外には浜の近くの町の様子も見えてきた。
「この機体、初めてだし……こんなの、できないよぉ」
「だから、謝ってるじゃないっ。データはあと! 現場百遍!」
「もう! 人でなし!」
「人じゃないのはあんたでしょ! さぁ、レッツゴー」
機内に網野の楽しそうな声とヒナの悲鳴、しまいにはリクのお経まで響きわたった。ノゾミはジェットコースターにでも乗ったように、「きゃー」と嬉しそうに俺の手を持って両手を上げた。おいおいおい、まじでカンベンしてくれ。
着陸までのほんの5分間は、これまで経験したことがないくらいに時間の流れがゆっくりに感じた。体感、1時間。走馬灯も見えた気がした。
祈るような気持ちで揺れる機体に身を任せ、VTOLは無事に小笠原空港に降り立った。
隕石が落ちるのはなにも陸地ばかりじゃない。そう網野に言われて、確かになと思った。地球全体からすれば海のほうが広いわけだから、よほど特別なことがない限りは隕石は海に落ちる確率が高い。深い海の調査は難しいけれど、せめて海岸近くだけでもある程度調査できるようになれば、隕石回収のチャンスは格段に広がるという。これで、彼女が海に連れてきてくれた理由がわかった。ゆくゆくはヒナに海底調査をさせるつもりで、今日はその練習ってことだ。なかなか人使い荒いな、この人。
「ねぇ……やっぱり、やらなきゃダメ?」
ダイビングスーツに身を包み、タンクを背負ってフィンもつけ、いよいよボートから海に飛び込もうというときになって、ヒナが弱音を吐いた。プールに行きたいと連呼していたわりに、いざ蓋を開けてみると「足がつかないから怖い」だの「海水が人工皮革に悪そう」だのと言い訳して、頑なに海に入ろうとしなかった。俺は仕方無しに彼女の白いドライスーツの肩をたたき、優しく声をかけた。
「大丈夫だって。ほら、俺もリクも初めてだし」
「う……うーん」
「息しなくても、大丈夫でしょ? ハハハ」
「そ、そうだけど……」
もじもじしているヒナと対照的に、ノゾミは手慣れた様子で俺やリクの背中を周り、てきぱきと機材を確認してくれていた。去年の夏にダイビングのライセンスをとったんだって。なんでも生物部の活動に必要らしい。さすが部長。
髪をポニーテールで一本にまとめ、ピンク色のウェットスーツですらりと姿勢良く立つノゾミは、なんだかとても大人びて見えた。
「ミッチー。案外、スタイルいいんだな……ハハッ」
「ちょっと、ソラ! どこ見てんのよ! マジメにやんないと、途中で機材がトラブっても知らないからね!」
「お、おいおい!」
彼女の明るい表情がいつにもまして頼もしい。機材は電子機器というわけではなかったので、例の〈パウリ病〉の影響はないはずだから、俺はそんなに故障は恐れていなかった。うつむき加減に水面をぼんやりと眺めて立ち尽くすヒナにノゾミが声をかけた。
「ヒナちゃん。わたしもいるし、大丈夫だよ。網野さんに動作ソフトはインストールしてもらったんでしょ?」
「うん。そうなんだけどさぁ……」
「けど……?」
「身体を失うのが怖いの」
そう言ってヒナは震えるようにして自分の肩を抱いた。ノゾミが言うように、アンドロイドには網野が準備したダイビングの基本動作プログラムがインストールしてあり、遠隔操作に難しいことはなさそうだ。普段あれだけうまく操れているし、つい先日もヘリから飛び降りていった様子からして、そこは大丈夫だろう。
「見失ってしまいそう……」
ヒナが最後まで気にしていたのは通信だった。通常、アンドロイドへのアクセスは5Gの電波を使っているけれど、それが海中では使えないのだという。彼女に言われるまで知らなかったのだが、水中では電波が数センチで減衰してしまうので、無線通信はほぼ不可能らしい。
ボートからローカル5Gの電波を飛ばしても、少し潜ったところでアンドロイドと通信できなくなってしまうという。制御命令も届かずアンドロイドが見た映像も返ってこなくなるから、たしかにこのまま潜ったらヒナは身体を見失ってしまう。
「ヒナ、やるの? やらないの?」
黒づくめのウェットスーツの網野が、ヒナの横で腕組みした。
「ほら水中スクーター。これから離れなければ通信は大丈夫。ルーターになってるから」
網野はクレーンに吊られていた黄色い水中スクーターをざぶんと水面におろした。抱き枕ほどの大きさで、潜水艦のような形をしている。機体からは、小さな浮きとともにケーブルが何メートルも伸びていた。
「う、うん。初めて使うし……。やっぱ、練習してからにしよ? 今日、潜って調べなきゃいけないってわけでもないし……ね?」
いつもの明るくて、チャレンジ精神旺盛な彼女は、そこには居なかった。俺も何度か誘ったけど、ヒナは首を振って否定するだけで、立ち尽くした場所から一歩も動かなくなってしまった。「また今度」とか「留守番してるから」なんてごまかすばかりで、なんとも弱気だ。
もう一度、ヒナの顔を覗き込んだ。カメラアイの奥にいる彼女はきっと、プライドと臆病さの間で葛藤しているに違いない。誰にも頼れない状況で、後悔さえしてるんじゃないかな。
「ゴメン……」
ヒナはそう言って、ボートの縁にがくりとしゃがみこんでしまった。
「初めてだし、仕方ないよ」
ノゾミが彼女の肩を抱き
「よーし、浜に戻って気分転換しよう!」
となぐさめた。
俺は呆れ顔の網野の近くまで行って「まぁまぁ」と肩をたたいてなだめた。彼女も、仕方ないな、というふうに眉を下げて笑っていた。
ボートの上に気持ちのいい海風が流れ、鳥の声に青い空を見上げた。鷹のファル子の登場で、慌てふためくカモメの群れ。ヒナが可愛くクククと笑うと、安心したのか誰からともなく笑いがこぼれた。
大丈夫、夏はまだたっぷりあるからさ。心のなかでヒナにささやいた。
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