SOL16

 穏やかな湾を臨む海の家で昼食をおえると、ノゾミとリクはさっそく泳ぎに出かけてしまった。俺はヒナの横に座ってぼうっと海を眺めていて、横では網野がちゃぶ台にラップトップを広げていた。こんなときまで会議があるのか、黒い水着姿のまま画面に向かって早口で何か話している。流暢な英語で、返すのはイヤとか、予定にないとか、深刻な話のようだ。

 網野に手招きされて、俺も参加することになった。相手はTシャツに短パン、ビーチサンダルの男。吸い込まれそうなブルーの瞳。さっきまでビーチに居たのかと思うような日焼け顔で白髪混じりの短髪を触りながら、にこやかに笑っていた。

 ヒナが慣れた様子で「ハイ、ロッド!」なんてフランクにあいさつする。知り合いなのか? このおっさん、何者? 俺も仕方なく

「ハ、ハロー」

 とだけ声をかけた。

 すると男は、にっと目尻にしわを寄せて応えた。

「ああ、ボク、日本語しゃべれマス。ロドニー・マリス。所長サンです。でも、ロッドでいいヨ。HAHAHA」

 彼こそガラクタ生命研究所の所長・惑星地質学者のロドニー・マリス博士だった。およそ研究所長とは見えない風貌に、あいた口が塞がらない。

 ロッドは真面目な顔に戻り、またヒゲを触りゆっくり話し始めた。

『イマ、火星の石を積んだ宇宙船が、地球から380万キロくらいを飛んでるネ』

「もうだいぶ帰って来たんですね。夏休み前は1千万キロとか言ってたから」

『さすが、よく知ってるね。そう、もう少しダ』

 月までの距離のおよそ10倍。火星と比べると近いけれど「おかえり」と言うには、まだ早すぎる気もした。

『6月と7月にTCM軌道修正して、地球からダイタイ200キロ離れたところを通過する軌道にノッた』

「あれ? それでちゃんとアメリカの砂漠に落ちてくるんですか?」

『ソラ! なかなかするどいネ。そう。ダカラ、昨日のTCM−3がメッチャ大事だったネ』

 彼の話では、TCM−3でエンジンを吹かすタイミングと長さによって、最終的に地球のどの地点に落ちるかがほぼ決まるという。そして8月22日に予定されているTCM−4で軌道を微修正し、26日にはサンプルの入ったカプセルが分離される。もうそれ以上は人の手で軌道変更することは不可能で、カプセルは重力に従って落下してくるのみ、とのこと。

『どうやら、予定と違う軌道にセットされたみたいダ』

 画面の向こうの彼が肩をすくめる。

「どういうことですか?」

 網野が尋ねる。

『ワカラナイ。TCM−3がおかしかった。宇宙船かコントロールセンター、または両方デ、ナニかまずいことが起こってるネ』

「カプセルは――火星の石はどうなっちゃうんですか?」

 俺も思わず疑問をぶつけてみた。彼は首を大きく振る。

『イマは、トーキョー・ワンに向かってるヨ』

「トーキョー・ワン?」

 コードネームなのか専門用語なのか、まったくピンとこない。

「ソラ、東京湾!」

 とヒナが教えてくれた。なるほどね。

 って、えええ、ちょっとまって、本気?

『これはマジだね』

「えええっ? 何のんきなこと言ってるんですか! 大変なことになりますよ! 避難? 警察? 自衛隊に連絡? ねぇ、ヒナ、こういうときどうすんの?」

 隣に座るヒナの顔を見るも、彼女は涼しい顔でくくくと笑うのみ。

「なんかすごい想像してない? 大丈夫、映画みたいなことには、ならないと思うけど」

「えっ? なんで?」

「だって、カプセルって、そんなに大きくないわよ。ロッド、そうでしょ?」

『ソウだね。重さは200キロくらい。パラシュートもついてるネ』

「だから大丈夫。あ、もちろん、直撃すればただでは済まないでしょうけど」

 ヒナはやれやれと肩をすくめ、明るい顔をして続けた。

「ねぇロッド、隕石より軌道予測は簡単そうだし、あたしたちで拾っちゃわない?」

『キュートなアイディアだネ。で・も、イマはあんまり目立ったことをしないほうがいい。NASAがいま本気できみの身体を返せって言ってきてるカラ……』

「え? どういうこと?」

『ああ、ヒナにはまだ言ってなかったネ。じつは――」

 NASAからヒナが使っているアンドロイドの機体ボディを返却するようにと連絡が入ったという。制御ドライバーの確認が必要らしい。「少なくとも表向きは、ね」と網野が不満そうにつけ加えた。何か裏があると勘ぐっているみたいだ。

 いちばん気になるのは、このアンドロイド回収と火星探査機の異常の話が、母さんが巻き込まれたという火星での事故との関係だった。オンライン会議の終わり頃に、ロッドにそれとなく尋ねてみた。彼はNASAがヒナの機体ボディをこれほどまでに回収したがっている真の理由は不明としつつも、何か深刻で緊急度の高い問題が隠れているのは明白だと答えた。

『あくまで可能性とシテ』

 そう前置きして、ロッドは大きく息を吸った。マグカップでコーヒーか何かをすすり、口を開く。

『サイバーアタック。これは、あると思う』

 NASAに対するサイバー攻撃は珍しいものじゃない。ホワイトハッカーの資格を取るときに勉強した教科書で読んだことがある。有名なのは、研究所内に無許可で設置された小型コンピュータから内部ネットワークに侵入され、火星探査機関連の機密データが盗まれたという話だ。

「最近は人工衛星への不正アクセスも多いって聞きます」

『アア。よく知ってるネ。ISS(国際宇宙ステーション)もアタックされたことがあるヨ』

 そうか――。

 俺はロッドの話と自らの憶測を組み合わせると、おぼろげながら一筋のストーリーが頭に浮かんでくるのを感じた。

 もし火星にいるアンドロイドに何らかの設計ミスがあったら、そこがサイバー攻撃の入口になる可能性が高い。火星基地への不正ログインに続いて垂直方向に特権昇格して火星・地球間の通信ネットワークに侵入。こここまでは教科書どおりの展開だ。宇宙船の制御系のハッキングの意図はなんだろう。

 もう少し詳しいことが分かればとロッドに尋ねてみたが、ほんとうにサイバー攻撃なのかどうかさえ、まだ分からないと言われてしまった。彼は、地質科学的な内容については有人火星探査プロジェクトの中心にかなり近い人物のようだったが、この件では蚊帳の外なのだろう。

「ソラ……」

 不安そうな顔でヒナが声をかけきた。俺は彼女を心配させまいと、精一杯自然に見えるように笑顔をつくった。内心、どっちがアンドロイドか分からないや、なんて思いながら。

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