SOL26

「うわああああ。すごい! 流しそうめんだぁっ!!」

 お盆明け。リクの家に集まって、ヒナのお別れ会が開かれた。真っ青な夏空と、うっそうと生い茂る盛夏の山。降るような蝉しぐれの中、寺の裏庭に夏の太陽みたいなヒナの明るい声が響いた。

「アハハハ! 食べられないし」

「ガッハッハ! どうだ、すげえだろ!」

「うん。ありがとう、リク!」

 竹材で組んだ本格的な流しそうめんにヒナは目を輝かせていた。

 これは俺とリクが竹を割って節を取るところから始めて、全部手作りしたものだ。早朝からリクの家に集まっては密かに準備を進めておき、電源を落としたヒナを網野に連れてきてもらったりして、なかなか手間のかかるサプライズパーティを開いたのだった。

「これ使って。うまく取れるかしら?」

 ノゾミが箸とお椀を手渡すと、ヒナはわくわくした顔でうなずいた。食べるわけじゃないんだけど、流しそうめんやりたいんだって。わはは。

 そうこうしているうちに、早速、毎度おなじみの「賭け」が始まる。

「金魚すくいのリベンジする! ノゾミちゃん、今度は負けないから!」

「えっ? ……アハハ。望むところよ!」

 火がついたノゾミは「よーし」とぐるぐる腕をまわし、やる気満々だ。レモンイエローのシャツからすっと伸びる日焼けした腕。彼女は賭けの内容よりも、勝ちにこだわるタイプだった。昔からかわんねぇな。

「ガハハハ。いいぞ、やれやれ!」

 というリクの掛け声に、俺は

「で、何賭けるの?」

 なんて不用意にもつぶやいてしまった。ノゾミがすかさず

「先に10杯すくえた人が、ソラのほっぺにチューね」

 と満々の笑みで答える。

 おいおいおい。

「は? 何それ? 今度は、俺がされんの?? ああ、ミッチーはもうチョイまともだと思ってたのに……」

 なんとなく覚悟していたのとは真逆だったけど、まぁとにかくオーケー。勝てばいいんだろ、勝てば。

「アハハ。ノゾミちゃん、面白いっ! そうしよっ!」

 とノリノリのヒナ。まぁ本日の主賓がそう言うなら、やるしかない。

「ガハハ。じゃあ決まりだな。網野さんは?」

「フッ。愚問……」

「は?」

「私、勝つ自信あるからパス。私が流すから、リクくん、キミが入りたまえ」

 網野はポーカーフェイスを装ってはいたが、耳まで赤くしてそっぽを向いていた。よほどこういうのが恥ずかしいんだろう。でも、手先は器用そうなので『勝つ自信』の部分はあながち間違いってことでもなさそうだ。

 竹の水路を挟んでヒナとノゾミが向かい合い、その下流で俺とリクが待ち構えた。網野の「いくよー」の合図とともにそうめんが次々投入され、試合開始。キャーキャー言いながらもヒナもノゾミも巧みな箸さばきで次々と麺をすくっていった。

「おいおい。ぜんぜん来ないんだけど?」

 最下流で待つリクが不満の声を上げると、ノゾミとヒナが同時に振り向いた。モグモグと口を動かしてきょとんとした顔のノゾミに、ゲーム感覚で大量の麺をお椀に溜めこみドヤ顔のヒナ。なんだか姉妹みたいな2人は、どちらも満足そうに歯を見せて笑う。と、そのスキに俺は流れてきた麺をひょいとすくって食べた。うん。のどごし爽やか。美味いっ。

「あ、リクごめん。お腹すいたよね? 夢中で気づかなかった!」

「ノゾミちゃん、ちがう! リクもチューしたいんだってば。ほら、BLって知らない? アハハハ」

 そんな冗談を言いながらヒナがリクにお椀を渡すと

「ガハハ、ちげえよ!」

 と肩をゆらして笑いとばした。そして受け取ったお椀いっぱいのそうめんを、リクはずずずっと豪快にすす――れなかった。

「ゴホッ、ゴッ……おおぅ」

 むせて涙目になるリク。そこにイヒヒといたずら顔のヒナが空っぽになったワサビのチューブを見せる。

「あーっはっは。何やってんのよ」

 ノゾミは胸を抱えて笑いながら、彼の背中をさすった。リクのぼろぼろの泣き顔を見て網野がプッと吹き出すのにあわせ、みんなで笑った。

 こんな光景も今日が最後。せっかく、こんなに打ち解けたのに、なんだかもったいない。明日から、ヒナだけが居なくなる? ありえないだろ。俺は胸にきゅうと締め付けられるような息苦しさを感じ、Tシャツの胸元を握りしめた。

「はいはいー。どんどんいくわよー」

 いつになく楽しそうな網野。ちょっとSっ気があるんだろうね。本人に面と向かっては言えないけど。

 当然、流しそうめんは上流が有利である。女子2人を上流に割り当てたのは、俺とリクからのささやかなハンデだった。どうせ2人が食べている間に、すり抜けた麺が下流にいる俺たちのもとまで流れくるから大丈夫だろうなんて思っていのだが、それが一向に来ない。ヒナとノゾミが間髪入れず交互に麺をすくうものだから、俺はおろか最下流のリクまで、まったく麺は届かなかった。もはや無理ゲーを越え、卑怯のレベル。

 ということで、2玉ごとに上下を入れ替えることになった。

「へっへー、楽勝楽勝! 隕石の軌道予測と一緒。網野もやればよかったのにぃ」

 きわどい所を果敢に攻め、ロボット並みの高精度の箸運びで次々ものにするヒナ。

「ソラァ、真面目にやってる? チューだよ? わははっ」

 誰かの取りこぼしを静かに待ちながら、いざ動くとなると蜂が刺すような俊敏さのノゾミ。金魚すくいに続いて、相変わらずこういうの上手いね。ほんと関心する。

 緩急自在の箸さばきで2人の接戦が続き、流しそうめん対決は9対9の最終局面までもつれ込んだ。

 つゆを足したり薬味を入れたりと、俺はもう諦めモードで観戦を決め込んでいた。鼻先に水滴をつけ、上流のほうで夏を満喫している女子3人組の姿。リクは「うんうん」とおっさんみたいに満足そうに目を細めていた。俺は竹樋を流れる水の静かな波音に耳を傾けながら、キラキラした夏の日差しの反射を目で追った。

 ――決戦のときは急に訪れた。最上流にいたヒナが

「あ、しまった!」

 と箸を滑らせた。俺は声に気づいてすぐ箸を構えたけど、もう間に合わない。取り逃したそうめんは次に並ぶリクの目の前も軽やかに通過していった。

「えっ?」

「おっ!」

 向かう先には最下流にまわったノゾミ。徐々にスピードをあげるそうめん。勢いに乗ってはいるが、落ち着いてタイミングさえ合わせれば――。

 俺たちは息を飲んで麺の行方を見守った。繊細そうなノゾミの指。水面を捉えた彼女の赤い箸がスローモーションで動く。

「えいっ!」

 言うが早いか、首尾よく箸を水中ですべらせるノゾミ。そうして水上に取り出した箸の先を、高らかに空にかざす。そこには、水を滴らせた真っ白なそうめんが輝いていた。

 勝利が確定した彼女は、えへへと得意げな表情で笑って俺を見た。パチリと目があって、恥ずかしい。

「やられたな……」

 と呟くのが精一杯。

 でも、こういうのは勿体ぶると余計にハードル上がるから。とノゾミの顔を見ると、頬から耳の先まで真っ赤じゃん。えっと何? マジのやつ?

「はやく! 見てないからさ!」

 ヒナもリクも手のひらで目を覆い、指の間から俺たちを覗いては笑みを浮かべていた。

 ついに時はきた。

 全身にむずがゆさを感じつつ、俺は覚悟を決めて彼女の前に立った。そして静かに目を閉じ、潔く頬を差し出した。

 ノゾミがゆっくり近づいてくるのを感じる。

 初めて気づく甘い匂い。ああ、幼なじみってなんなんだろう。ノゾミはさ、何考えてるんだろう。こんなの単に遊びだよね? 違うのかな? もこんなに考え込んでるのは俺だけだと、結構恥ずかしい状況だけど。ここにきて俺の決意は大いに揺らいだ。

「ソラ……。ごめんね。わたしじゃ、イヤだよね?」

 彼女が思わせぶりに小声でつぶやく。

「えっ? そんなこと」

「いいからっ。目、閉じてて! 恥ずかしい」

 言われるまま、ぎゅっと目を閉じる。

 閉じる。

 閉じる。

 待つ。

 ……えっと?

「……?」

「……!」

 ――ちゅうううう。

「ぎゃあっ、つっ、冷たっ!!! なにっ?」

 頬に感じる冷水。なんで? 慌てて目を開けると、そこには水鉄砲をもったノゾミが八重歯を見せて笑っていた。

「エヘヘヘヘ……」

「ちょっ、ミッチー! 何すんだよ?」

 ノゾミはそのまま黙って銃口を俺の額に向けた。

「お、お前なぁ……。俺がどんだけ。って、え? まさか、チューって?」

「フフフ。そだよ。チューしたよ」

「は?」

「アレレー。ソラくん、何だと思ってたの?」

「……」

 俺が何も言えず立ち尽くしていると、ヒナがどこからか大きな水鉄砲を抱えてやってきた。すぐに撃ち合いが始まって、裏庭は戦場と化した。

「中は水着だから、へっちゃら〜」

 なんて笑うノゾミが辺り構わず水鉄砲を向ける。いつのまにかレインコートに着替え完全防備の網野が登場し、みんなずぶ濡れになって転げた。夏の日差しですぐ乾くというレベルじゃないぐらいびっしょりになって、それでも全然寒くない。夏最高。ノゾミがツインテールをしぼるのをヒナが真似しようとしてうまくいかず、仕方ないので俺が手伝ってやった。髪を濡らした彼女が振りかえって笑うのが、たまらなく可愛く感じた。なんだか変だ。アンドロイドに、こんな事思うなんて。でも、俺のこの感情は隠しようがなかった。

 それからスイカ割りをして、5人で写真を撮った。リクが大きないびきをかいて昼寝すると、俺も縁側でゴロンと横になり目を閉じた。残された女子3人はスマホで写真を見せあいながら、他愛もない話に花を咲かせていた。ときおりクスクスという笑い声とともに、ヒナが俺の頬をつついてきた。いやいや、起きてるって。なんとなく幸せな気分で、目は閉じたままいた。

 今日だけは、夏がとてもゆっくりと流れていた。

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