SOL25
ヒナの気分の波は、高くなったり低くなったりを繰り返し、日増しに不安定になっていった。無理もない。いまや自分の一部――いや、彼女の身体そのものでもあるアンドロイドの
夜眠りにつく前の2人だけの静かなひととき。部屋の窓を開けると、昼間の暑さが嘘のように、涼しい秋の風が流れ込んできた。ちょっと大きめの俺のTシャツにハーフパンツ姿のヒナ。ぺたり座り込んだそのすぐ前に俺は正座して、真剣なまなざしを送る。彼女の両手をとり、その奥にいるヒナに語りかけた。
「ヒナ、落ち着いて聞いてほしい」
「うん」
「火星での事故とアンドロイドが関係してるって話――心配ないから。大丈夫、キミは関係ない。この
ヒナはうつむいたまま、全然納得してない様子で俺を見た。
「あたしがソラのお母さんを死なせてしまったってこと?」
「いや、そんなこと言ってない。火星のアンドロイドが、ひょっとしたら関係あるかもって程度」
「だけど」
あまりに残酷な想像だった。声をつまらせる彼女に、俺は話を打ち明けたことを少しだけ後悔しはじめた。
「ヒナはなにも悪くないよ」
「でも。だって、
ごめん、嘘ついた。
たぶん、
「まだ、そうと決まったわけじゃない。サイバー攻撃に対抗するために必要なだけだって!」
「ゴメン。あたし、やっぱりここに居ないほうがいいと思う」
立ち上がろうとするヒナ。
俺は掛ける言葉も見当たらず、ただ黙って彼女の話を聞いた。
「だって、そうでしょ? あたし、人殺しロボットかもしんないんだよ? ソラのお母さんを、手にかけてしまったかもだよ? NASAへのサイバー攻撃だって、火星探査機のハッキングだって、ぜんぶあたしのせい」
「落ち着けって!」
ヒナの手をぎゅうと握る。
離すものか。
「やだ! ソラを危ない目にあわせたくない!」
「いいから! たまには俺の言うことも聞いてよ! ここに居てよ。居てくれよ!」
俺が珍しく声を荒げたのに驚いたのか、ヒナはしゅんとしてふたたび床に座り込んだ。
「っだけどさぁ……」
彼女は今にも泣き出しそうな声で続けた。彼女の白い手が、くっ、と少しだけ強く俺の手を握った。
「ソラこそ、あたしの言うこと、聞いてよ」
「えっ?」
「あのね、ここは、あたしの居るべき場所じゃないんだよ。やっぱ」
「そんなこと、ないって」
「ううん。いいよ、嘘つかなくて。ソラらしくないよ」
「嘘なんかついてない」
ブンブンと首をふる。
「ソラのそばは居心地がよかった。暖かくて、楽しくて。でも、あたし、出ていく」
彼女はそう自分に言い聞かせるように呟いて、すくっと立ち上がった。
「だってさ……もしもよ。もしも、あたしが、その脆弱性とかでおかしくなったら、どうするの?」
「大丈夫だって! 俺がなんとかする」
「無茶言わないで!」
「ちょっと待ってよ」
ドアの前に立ちふさがると、彼女は俺の手をものすごい剣幕で振り払い、そのまま力任せにぐいっと俺を押した。
どんっという鈍い音。
「……いてて」
俺は突き飛ばされて尻もちをつき、その上にヒナが馬乗りになった。
「ねぇ、わかる? アンドロイドの力だよ。サーボの出力、いくらあると思ってるの? ――かないっこないよ……」
あっけにとられたのと、床に腰を打ち付けた痛みとで、身動きがとれない。アンドロイドの全体重がずしりと下腹部にかかる。ぐぬぬ。
「……わかった、わかったから。お、おちつけって……」
力を振り絞っても、小声が精一杯だ。まじでアンドロイドの力は凄まじい。なんとかなると高をくくっていたけど、ぜんぜん無理。自分の無力さを痛感した。
俺が観念したと見て、ヒナはようやく膝立ちになって腰を浮かせてくれた。そうして、こんどは倒れかかるようにして俺の顔のわきにどんっと両手をついた。
「だから、ソラに手を上げるようなことになっちゃったらさあ……」
ライムグリーンの髪がだらりと俺の顔にたれてくる。
「もう、あたし、どうしていいか……わからないよ」
「ヒナ?」
「うえぇぇぇえん……」
彼女はとても悲しそうな声で泣きわめいた。
部屋に秋風が流れ込み、カーテンがそよそよと揺れていた。
「――ああ、ゴメン。泣かせるつもりはなかった」
「だって、だって、そうでしょう? ソラはさぁ――ソラは、とっても大切な、特別な人なんだからさ……」
声に反して、目の前のアンドロイドの顔はむしろ微笑んでさえいるように見えた。顔で笑って心で泣く彼女の様子に、なんだかいたたまれない気持ちになった。
「今までわがままいっぱい聞いてくれてたの、感謝してる。でもお願い。あと、1回だけ。最後のわがままだと思って、聞いてよ……」
お願いだから、か細い声で繰り返す彼女の頬に手を伸ばす。冷たい。
「なんだよ最後って」
励ますように微笑み、そっと彼女の髪をなでる。触れた感覚なんて伝わってるはずはないのに、まるで猫みたいに頭を俺の手にこすりつけては満足そうに目を閉じた。
「えへ……。ちょっと、やりすぎちゃった……ゴメンね」
「……いや、こっちこそ、ゴメン」
彼女には居るべき場所がある――。
少なくとも、アンドロイドには帰るべき場所がある。そんなことは百も承知だ。でも頭では理解していても、彼女を手放す踏ん切りがつかない。ああわかった。
ヒナは「じゃあさ、お別れ会、開いてよ」なんて言って、またいつもの調子でいたずらっぽく笑った。八重歯が見えて、髪が跳ねる。いつまでも見ていたいけど、それももうすぐ終わり。お別れ会は、盛大なのをひらいてあげよう。
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