SOL24

 機体ボディの回収が確定してからというもの、すっかりふさぎ込んでしまったヒナ。俺は一大決心して、彼女を風呂に入れることした。

「エッチ」

「べ、別に変な意味じゃないよ」

 ほんとうに、変な意図はないってば。信じてくれ。

 水洗いはこの手の機体ボディの一般的なメンテ方法らしい。網野からもらった取扱説明書にもそう書いてある。アンドロイドは汗をかくわけじゃないけれど、シリコーンの合成皮革を清潔に保つのには水洗いが最も効果的らしい。人工毛髪の手入れもせよ、とある。しかも、ヒナのやつ、遠隔操縦ではうまく背中が洗えないときた。インターン中はノゾミが世話をしていたので、メンテのことなど気にも留めていなかった。

 もちろん、電源を落としてベッドに寝そべらせ、濡れたタオルで拭くことも考えた。が、重量を考えると体勢を変えるは骨折りだ。だいいち、アンドロイドとはいえ、意識のない同級生の服を脱がせ、その裸体を清拭するなどというのは、俺には無理だ。

 風呂場で髪を洗い、背中を流す。それが俺の倫理観からギリセーフのラインだった。さすがに俺まで一緒に裸になって風呂につかる必要性はどこにも見当たらなかったので、Tシャツに短パンで挑んだ。

「アハハ。ソラ! 見てもいーよ? ほれほれ」

 だあああ、こっち向くな。

「いや、俺が平気じゃないの! ――あ、いや、そういう意味じゃなくて」

「アハハ、アッハハハハ」

「もう! 前、向いてて!」

 イスにこしかけるヒナの背後に立ち、俺はなるべく目を閉じて何も見ないようにして彼女の長い髪をゆすいだ。シャカシャカとよく泡立て、シャワーでていねいに流す。

「あーあ」

「なに? どうした?」

 何か手順でも間違ったかな? 俺が手を休めると、ヒナはヒヒヒと意地悪そうに笑った。

「シャンプーの匂い、わからない」

「は? 当然じゃん?」

「男の子と同じシャンプーの匂いがするのって、なんか憧れてたの!」

「ばあちゃんとも同じだけどな」

「もう! なんていうかさ、イケナイことしてるみたいで、ワクワクしない? アハ」

「もう十分してるだろっ。だいたい、俺ばあちゃんから白い目でみられてんだぞ!」

 アンドロイドを家に連れて帰ったまではよかったが、さすがに風呂に入れるのはまずかったかな。

 仕上げにリンスをして何度も手櫛を通す。なかなか難しいな、これ。俺があたふたすればするほど、ヒナはニンマリとご満悦の様子。ほんと、いい性格してるよ。満足そうに俺を見つめる彼女と、鏡ごしで目があった。「はいはい、目閉じて! 流すよ」

 シャワーで流したライムグリーンの髪の水気をキュッと絞り、くるんとお団子に結い上げヘアゴムでとめた。うなじから続く細い首のラインは、彼女の肩から背中、腰へと流れるように続いている。滴る水滴をぷるんと弾く人工皮革。

「背中、洗うよ」

 俺はそっと声をかけ、スポンジを泡立てた。

「ゴメンね。本当の女の子だったらさ、もうちょっと、ソラのこと楽しませてあげられるのにねぇ」

「ばっ、何を……もう、サービス精神はいいって!」

「だって、そうじゃん」

「いや、もう、十分……ってそうじゃなくて――」

「あはは。あたし、色気ないし。胸もおしりも、これじゃぁマネキンとかわんないよ」

「もういいから。はい、これ」

 肩越しにスポンジを渡す。彼女は巧みな操作で器用に身体を洗った。ふむふむ。高精度で無駄のない腕の軌道。動作計画は完璧だ。スポンジなんていう柔らかい物体もちゃんと把持できていて、このアンドロイド機体ボデイの能力の高さに感心する。

 ヒナは泡だらけの身体で振り向き

「エヘヘ。ソラ、鼻に泡ついてるよ」

 なんて俺を指さして上目遣いで笑った。俺がぷいっとそっぽをむくと、彼女はケラケラ笑って前に向き直り、腕や太ももを洗いはじめた。鼻歌なんて歌いながら。

 同級生の女の子が、お風呂でどんなふうに過ごすかなどという想像もつかなかったことが、いま、俺の目の前で堂々と繰り広げられていた。アンドロイドと分かっていても、目のやり場に困る。向こうにいる彼女の動きを、どこまで正確に再現しているのかなんてことを想像しては、恥ずかしさに悶絶した。

 身体の泡をシャワーで流してやると、彼女がそっと呟いた。

「ねぇ、ソラはさぁ、なんで、こんなに優しくしてくれるの?」

「え? なんでって……」

「あたしがアンドロイドだったから? それとも、ひきこもりがかわいそうだった?」

 湯気で鏡がくもり、表情がよく見えない。

「もしフツーの人間の女の子だったら、友達になってくれた?」

「何言ってるんだよ。あたりまえじゃん」

「そう?」

「そうだよ!」

 俺が、じゃあ先出るよ、と言いかけたところで、くいっとTシャツの裾が引っ張られた。

「変なこと聞いてゴメン。ときどき、不安になるんだ。キミが見てるあたしは、アンドロイドなのか人間なのかって。だって、言葉でしか繋がれてない気がして……」

「大丈夫。言葉だけじゃないよ。もっと、ずっと強いもので繋がってる」

 震えるヒナの肩に、そっと手を置いた。

「――といいな、って思う」

「そ、そう?」

 眉を下げ、自身なさそうなヒナ。珍しい。

「そうだって!」

「そっか――ちょっと安心した」

「フフフ。だいたいさあ。人間だったら、一緒に風呂入ってないだろ」

「そうだよね。ソラに、そんな勇気ないよね。フフッ。あー、アンドロイドで得したなぁ」

「勇気じゃない。倫理の問題」

「アハハハ――よーし、では、そろそろキミも裸になりたまえ!」

 あたしは心まで裸になったよ、とかなんとか叫びながら彼女は喜々としてシャワーを俺に向けてきた。一瞬のことで身動き一つできず、あっという間に頭からビショ濡れになってしまった。ヒナが

「あーらら。もう脱ぐしか無いねー」

 と笑うので、俺は

「もうっ!」

 と頬を膨らませてみせた。それから2人で大笑いして、結局ヒナがカメラアイを切ることを条件に、俺は服を脱ぎシャワーで汗を流すことした。ヒナは入る必要のない湯船に肩までつかり「ねぇねぇあのさぁ」から始まる他愛もない話をいくつも続けた。

 彼女の明るい声が、ラジオでも聴いてるみたいに優しく耳に届く。目を閉じると、話し始めるときの呼吸の音まで聞こえてきて、まるですぐそこにいるようにも感じられた。触れたいのに触れられない、遠距離恋愛の電話に似たもどかしさも感じた。

 風呂上がりに、網野から支給された〈お手入れキット〉の中にあるレモンオイルを塗ってあげた。合成皮革を乾燥から守るためらしい。いつも彼女から漂うシトラスの香りの正体が判明し、なんとなく幸せを感じた。

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