「あなたの人生の物語」
SOL23
追手が迫っていた。
アンドロイドの
こんなの子供だましのハッタリで、大した時間稼ぎにはならないのは分かってるけど、何もしないよりまし。1日でも長く一緒に過ごせるならそれでいいという、刹那的な感情に身を任せた結果でもある。思いつきで行動する、誰かさんに似てきたのかもしれない。
家に連れて帰ったその日はさすがに祖父母には驚かれたが、彼女が遠隔操縦のアンドロイドだと知ると、すぐ理解を示してくれた。
俺は母さんが亡くなるよりずっと前から、この家で暮らしていた。父さんを早くに亡くし、母さんは研究のために世界を飛び回り留守にすることが多かったので、当然の成り行きだったのかも。友人も多く、慣れ親しんだこの街にいたいという俺の希望もあった。火星行きが決まってからは、母さんは訓練のために、ほとんど家に帰らない状態も続いた。
「ま、あんまし楽しいものはないと思うけど、ゆっくりしてってよ……っていうのも変か? ハハハハ」
俺の部屋に女の子が居る。まさか知り合って1週間ほどの子を自室に迎え入れるなんて、考えもしていなかったことだった。アンドロイドの身体とはいえ、むちゃくちゃ抵抗ある。
「――う、うん……。おかまいなくぅ。アハハハ」
ヒナも似たような心境なのかも。危惧していた「卒アル見るぞぉおお」とか無駄にはしゃぐ様子も無く、ペタリと床に座り込んでおとなしくしていた。
「ソラ。ありがとう。なんか、いろいろ……」
「ん? いいって。俺、夏休みヒマだし。それに、なんというか……」
なんだろう、この喉の奥にひっかかる魚の小骨みたいな、心の奥のちくちくとする感じは。別にアンドロイドの機体を回収されてしまったって、その奥にいるヒナが連れ去られてしまうわけじゃない。なのに、なぜか彼女との永遠の別れになるような気がしてしまう。
夏休みど真ん中。お盆の期間中はリクは家業の手伝いに忙しく、ノゾミは予備校の夏期講習だといってつかまらない。ヒナは「いくらでも時間ある」なんて取り繕うように笑っていたけれど、影のある表情。こころなしかエメラルドグリーンの髪も元気がない。それでも、家の周りを少し散歩したら、彼女の気分は晴れた。季節の変わり目の天気みたいにころころとよく変わるね、と笑ったら、ソラがいるからだよ、とよくわからないことを言った。
おやすみと声をかけて彼女の電源を切り、おはようといって電源を入れる日が何日か続いた。いつの間にか、朝が待ち遠しくなった。
その日は午後になって雨が降りだした。
家を訪ねてくる人があり、玄関のドアをあけると、そこには網野と黒服の男がいた。彼女は会うなり
「ソラくん。ゴメン。私が甘かった……」
なんて深々と頭を下げた。だらりとおろした銀髪は灰色にくすみ、ノースリーブから見える細ウデがいつにもまして弱々しい。状況からして、この男がNASAから送り込まれたアンドロイド回収のための専門職員なのだろう。
男は黒石と名乗った。政府機関からの特命で来たらしい。やっぱりだ。差し出された名刺には〈サイバーフィジカル犯罪捜査官〉とあるが、なんか胡散臭い。
ボサボサ頭に薄いグレーのサングラス。黒シャツに黒ジャケット。只者ではないのは分かる。なんというか、血の通っていない雰囲気。もう観念するしかないなと思い、素直に部屋に通した。幸か不幸か、祖父母は外出していた。
男は部屋に入るなりヒナを一瞥し、俺が差し出した麦茶に
「ダイエットコーラが良かったなぁ……」
とほざき、勝手に話し始めた。
「君、認定ホワイトハッカーだそうだな?」
アンドロイド回収の話かと思いきや、明後日の方向からの話題。
「――あ、えっと、はい。2年くらい前に、資格取りました」
鼻の先をぽりぽりかきながら答えた。なんか照れくさい。
「サイバーだけで大事な人やものを守れるかな?」
「え?」
文脈なしの唐突な言葉。
「単刀直入に言う。NASAはサイバーフィジカル攻撃を受けている」
「どういうことです?」
俺は思わず身を乗り出した。
「内部ネットワークに不正侵入され、火星探査機でマルウェアが実行された――ランサムウェアだ」
「ちょ、ちょっとまってください。何の話ですか? アンドロイドの回収に来たんじゃないんですか?」
俺がヒナに視線を向けるも黒石は俺のほうをむいたまま、声を荒げて話し続けた。
「火星にいるアンドロイドの脆弱性が突かれた可能性が高い」
うっすらと予想していたことが現実になってしまった。正直、そういうのはありえるかな、とはなんとなく思っていた。俺がヒナの使ってる
横目にヒナを見る。彼女は電源が落ちたみたいにうつむいたまま沈黙していた。
「火星アンドロイドへの不正アクセス、垂直方向の特権昇格、そしてランサムウェアだ」
黒石は今にもタバコを取り出すのではというようなイラついた顔をして呟いた。
「機密データは勝手に暗号化され、解除には身代金が必要。おまけに、支払わなければデータをダークウェブで販売するって脅迫までしてきてやがる」
「はぁ。ま、手口としては古いですよね?」
と教科書で読んだ。
「ああ! 一見、古典的だ。それにNASAへのサイバー攻撃は珍しくない。安全保障上の機密データが山程ある割に、研究所のセキュリティ管理は杜撰――あ、いや、なんでもない。つい昔の癖で……」
この黒石とかいう男は、たぶん元サイバー犯罪者で、服役後にホワイトハッカーに転じたとかいうことなんだろう。そのほうが、キャリアパスとしては早く高給にありつけるなんて話もネットで見たことがある。
「とにかく、問題は、ハッキングが火星で行われた点だ。これは前代未聞だ」
黒石はずっとこの調子で自分の話したいことばかりを次から次へと口にした。不思議なことに、俺みたいな高校生相手にNASAの機密っぽいことまでもべらべらとしゃべる。それも口を滑らせたというふうでもない。どうやら俺を信頼して、というか、ハッカーのはしくれとして認めてくれているらしかった。会うなり認定ホワイトハッカーの件を確認したのはそういうことだったのかな。
「身代金、払うつもりですか?」
むろん俺にはこの男との仲間意識はない。
「まさか! そもそも、データの被害は大したことはない。ほとんどは〈おとり〉だ。いま人質をとられてるのはそっちじゃない」
俺が首を傾げていると、すぐに網野が彼の言葉を補った。
「
なるほど。これでアンドロイドの脆弱性と火星探査機の異常が一つの線でつながった。サイバー犯罪。その人質は、価値がお金では表せない火星の石だ。
「カプセルはどうせ東京湾に落ちるんですよね? だったら落ちてから回収すればいいんじゃないですか? ヒナ、軌道予測、できるよね?」
「……」
あいかわらず黙ったままのヒナをチラッと見て、黒石は話を続けた。
「残念だが、それはできない。
解体?
「ちょっと網野さん。話が違いませんか? 回収はドライバー更新のためなんじゃ――」
網野を問いただす。しかし彼女は申し訳無さそうに、無言で首を横に振るだけだった。黒石は俺たちやりとりを見届けると、ニヤリと口元を緩めた。
「落下地点もまだ東京湾で確定じゃない。中国から日本、太平洋まで広い。回収できる可能性は低い」
「そ、そんな……」
「暗号で宇宙船の制御系へのアクセス権限が書き換えられている。取り戻す暗号鍵は、アンドロイドの中のセキュア・チップに入っている。つぎの
「セキュア・チップ?」
「そうだ。
「そんなの、
俺はもう半ばムキになっていた。
探査機と同じように、宇宙に打ち上げるアンドロイドは実機をいきなり作るのではなく、いくつかの試作機を作った上で検証と再設計を繰り返し、正規モデルの製造に進むはずだ。ヒナが使っているのは、機械試験用の試作機〈エンジニアリング・モデル〉だと聞いていた。だとしたら本番仕様の試作機〈プロトタイプ・モデル〉はNASAの研究所にあるはずだ。
俺の指摘に男は肩をすくめ、ヤレヤレとでも言いたそうな深い溜息をついた。
「攻撃者はなかなか賢いやつでね。それを見越してNASAにあるバックアップ機にも不正侵入、制御を乗っ取り、アンドロイドに埋め込まれたセキュア・チップを――」
「えぐり出して破壊したのよ!」
網野がいつになく声を荒げ、ドンっとちゃぶ台をたたいた。
「ほんと小癪! サイバー攻撃から守るためのチップを物理攻撃してくるなんて!」
彼女はイライラを爆発させると、チップがえぐり出されたアンドロイドの写真を手元のタブレットでパラパラと見せてくれた。アンドロイドの凄まじい力。あまりに凄惨な姿に俺は目を覆いたくなった。
単に破壊された機械には見えない。これは殺人だ。それほど、アンドロイドの身体はよくできていた。とてもヒナには見せられない。
「いいか。古い手口を装ってはいるが、犯人は相当に手練だ。サイバー防壁を
「事情はなんとなくわかりました。それで、ヒナを――アンドロイドの
「次の標的になる前に、一刻も早くネットから遮断だ。それからセキュア・チップを取り出す」
それがヒナの身体の破壊を意味することは明らかだった。
「いまから、アメリカに運んでも、間に合わないでしょう?」
なんとか食い下がる。
「心配無用。研究所で開ける手はずは整えてある」
そう言って彼は網野に視線を送った。網野は申し訳無さそうに、目を伏せた。
黒石は「3日後に搬出だ」と言い残して去った。俺たちのほうから研究所には来ないとわかってて、次はアンドロイドを回収する専門部隊を連れてくるらしい。手荒なマネはしたくないなんて言って、精神的には荒っぽいこともう十分してると思うけど。
どうせ俺もヒナも、もはや逃げ隠れできない。ここで1日2日の時間稼ぎができても、そのぶん火星の石が失われる可能性が高まるだけだ。むかつく。もうアンドロイドを返却するしか選択肢はない。それが気に食わない。
タイムリミットはあと3日。ヒナは泣くでもなく騒ぐでもなく、ただただ現実を受け止めようとしているようだった。彼女になにもしれやれず、俺は下唇を噛んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます