SOL22
最終日の夕方、4人で夏祭りに出かけることにした。
計画都市を東西に貫く直線道路。いつもは車通りの多いこの通りを交通規制し、今夜は盛大なパレードが行われる。青森ねぶた、秋田竿燈。地元の大神輿も加わって、なんともお得な夢の共演である。リクは「歴史を重んじる心ってものがないのか」なんて失笑まじりにディスってたけど、いやお前が一番楽しみにしてたろ。
インターンの受け入れを労う意味もこめて網野を誘い出した。俺が声をかけたときにはぜんぜん気乗りしない顔をしていた彼女が浴衣姿で待ち合わせ場所に現れると、俺もリクも、ノゾミでさえも息を飲んだ。
「どうかな、変かな……?」
網野はシックな黒地にカラフルな海月が描かれた浴衣で恥ずかしそうにうつむいた。
「イイっ! めっちゃ似合ってますよ! プロムも浴衣で出ればよかったのに。ガッハッハ」
リクがベタ褒めすると、網野はいっそう顔を赤らめ
「そ、そかな……」
と袖をもった。黒浴衣に生成りの帯が映え、いつになく大人っぽい雰囲気。
「リクぅ! ちょっと鼻の下伸ばしすぎじゃないっ?」
「ガッハッハ! ノゾミも……うん。可愛いよ。なんつうか、成長した」
「もう! なにそれ! どこ見て言ってんのよ!」
視線を感じたのか、ノゾミは胸をおさえて叫んだ。それでも、満更でもないといったふうにフフーンと鼻歌交じりに笑って、アップにまとめた髪とかんざしを見せるようにくるりと舞った。
「だいいち、わたし去年もこの浴衣だったじゃん! ねぇ? ソラ?」
「アハハ。うん。ミッチーによく似合ってるよ」
「ええ〜、それだけ? もっと、なんかないのォ?」
急かされるまま、俺はもう一度、つま先から頭のてっぺんまで眺めた。ごめん、あんま真面目に見ずに言った。
ベビーブルーの花が散りばめられた清楚な白浴衣。袖からのぞかせる手首も襟もとを抜ける首のラインも、あれっ、こんなに細かったっけと思うほど繊細に見えた。上目遣いで振り返るノゾミとほんの一瞬だけ目があう。
「お……大人っぽくなった、かな」
顔が熱い。今までに感じたことがないくらい恥ずかしい。なぜだ。持っていたうちわでパタパタと冷やす。ノゾミはにぃっと八重歯を見せてはにかむと
「ほら、こっちも見て! わたしが着付けたんだよ」
なんて照れ隠しなのかヒナを前に出してきた。
「エヘヘへ。どうかなぁ? あたし浴衣なんて、はじめて」
「きゃああっ! 可愛い!」
黄色い声を上げたのは網野だった。ヒナは牡丹柄があしらわれた少し濃いめ赤の浴衣に身を包み、いつもの何倍も凛としてみえた。
ノゾミが「でしょでしょ」なんていいながら、網野と2人でヒナの周りをぐるりとまわった。そして、帯の結びやハーフアップの髪の仕上がりを眺めては、アンドロイドは着物体型だとか、髪の色とマッチしてるとか、ああでもないこうでもないと話に花を咲かせた。研究所とは違った網野の生き生きとした姿に、俺はなんだかホッとした。
「んああー、なんて楽しい気分なんだろう!」
そう言ってヒナは、くくくと可愛らしく笑いながら俺とリクの間に割り込み、甚平の腕をぐいっと引っ張った。
「さぁさっ、行こうヨ! 金魚すくいやりたい!」
「うわ、ちょ、ヒナ! あたってるってば……」
「は? 何がぁ?」
こてん、と首をかしげるヒナ。
いや、わかるでしょ。わざと?
必死になってチラチラと目で合図するも、通じず。
「む……胸」
ヒナは「サービス精神だってばー」なんてお決まりのセリフを言って、組んだ腕にいっそう力を込めた。ほんといい性格してるよ。彼女の髪から香るシトラスの匂いが、今日はいつもより甘く感じた。
駅前広場に出ると沢山の屋台が並んでいて、多くの人で賑わっていた。ヒナは俺とリクの間に挟まるようにして腕を組み、ひょこひょこと不器用そうに歩いた。すぐ後ろから、ノゾミと網野がきょろきょろと夜店を物色しながらついてきた。
ヒナが申し訳無さそうに
「ゴメン。下駄のせいで上手く歩けないんだ」
なんて小声で打ち明けるので、俺はリクに
「おんぶしてやったら?」
とふってみた。当然リクはガハハと笑って彼女の体重を尋ね、それを聞きつけたノゾミが「くぉらぁああっ」と俺たちの間に入ってきて、完全変態がどうとかいうお説教が始まる。流れに続くように、網野がいじわるそうな笑みを浮かべてヒナの乾燥重量をつぶやくと、ヒナは慌てた様子で走って逃げた。なんだ、上手に歩けるんじゃん。わはははは。皆で涙が出るほど大笑い。その波が引いたあと、もうこんな調子で5人で遊ぶことはないのかと、少し寂しい気持ちが残った。
何にでもすぐ「賭けよう」と言い出すのは決まってリクの役目だったのに、今夜は違った。金魚すくいの屋台の前でヒナがこんな提案をしたのだ。
「先に10匹すくえた人に、ソラがほっぺにキスね」
「は? 俺? ヒナ何言ってくれてんの?」
「いいわっ! 望むところよ!」
とノゾミ。おいおいおい。
賭けの内容はともかく、彼女は相手が強ければ強いほど燃えるタイプ。
「ちょっ、ミッチーまで。俺は了承してないぞ!」
「ガハハ。いいぞ」
俺の意見はすぐにリクの大声に吹き飛ばされた。
「網野さんもOK?」
「フッ。いいわよ。競争相手が多いほうが、ヒナも燃えるでしょ?」
「ガッハッハ。そんなこと言って、ホントは参加したかったでしょ?」
そうして、なし崩し的に始まった金魚すくい競争。ああ分かったよ。覚悟は決めた。簡単だ。俺が誰よりも先に10匹すくえばいいんでしょ。
「へっへー。楽勝でしょ」
なんて笑っていたヒナは金魚の動きに翻弄され、すぐにポイは破れた。得意の軌道予測も役に立たなかったみたい。ノゾミがそれを横目に、ひょいっ、ひょいっ、とテンポよく金魚をすくっていく。
「うへぇっ、ノゾミちゃん! めっちゃ上手いじゃん! これはやられた」
「エヘヘ。子供の頃から、これだけは得意だったんだよねぇ。アハハハ」
「すごいすごい!」
水槽の前でかがみ、子供みたいな顔でむじゃきに笑いあう2人。ヒナは好戦的だったが、負けを悔しがるふうでもなかった。単に、みんなを楽しませようとして、あんな賭けを提案したのかもしれなかった。
見ればノゾミの袖が水につかりそう。俺はあわてて声をかけた。
「ミッチー、ちょっと、ほら! 袖、濡れるよ!」
「え? ああ! ありがと」
「ハハ。集中しすぎ! あいかわらずだな」
ほんとに10匹とるつもりらしい。
彼女が左手で袖をつまむと、いよいよ細い手首があらわになった。それを、ぼんやりとよそ見していたら、夜の海で彼女に言われたことを思い出してしまった。
『ソラのことを、弟だなんて思ったことは一度もないよ?』
あたりまえじゃん――。
そうやって手近な答えで自分を納得させようとすればするほど、俺の中でのノゾミの存在はますます膨らみ、幼馴染の枠からはみ出ていくような気がした。じゃあ一体彼女は何なんだろう、という痛みにも似た疑問。
「がああああっ駄目だ!」
「んあああ、もうっ」
リクと網野のポイが破れ、俺とノゾミの一騎打ちになった。
「へっへー、7匹目〜」
というノゾミの声。ポイを持つ手が震える。まてまて、冷静になれ。まだ負けたわけじゃないっ。
水面すれすれでポイを浮かせ、ゆっくりと金魚を追う。
「ソラ。そうじゃないよ」
ノゾミが賭けなんてどうでもよくなってしまったみたいな優しい顔をして、静かに俺の手をおさえた。
「え?」
「金魚はね、追いかけるんじゃなくて、待つ。ポイに乗ってくるまで」
彼女に促されポイをゆっくり水に浸す。目の前を真っ赤な金魚が優雅に泳ぎ、そのまま静かに素通りした。まだだよ。彼女に言われたとおり、じっと待ってみる。そんなふうに、ノゾミも何かを待っているのかもしれなかった。
ノゾミに教えてもらった方法で6匹、7匹とすくい、もうコツを掴んだぜと高をくくったところでポイは破れてしまった。残念無念。ノゾミのほうも、ヒナとリクの応援むなしく9匹目をすくいあげたところで破れた。そんなわけで、この戦いは勝者なしの引き分けとなった。俺はほっと胸をなでおろした。
リクに射的の才能があることが判明すると、彼の進路の悩みはいっそう深まった。僧侶、ドラマー、ロボット研究者、それに猟師が加わった。わはは。ヒナが
「鷹なら、貸したげるよー?」
と茶化すので、俺も
「お前さぁ、それよりまず、例のコのハートを射止めろよ」
と悪ノリしてみる。
「何のことだよ?」
汗をたらし、しらを切るリク。
「ナニソレぇ。そっちのハンティング? 知りたい知りたい!」
「わぁ、リクに彼女? どれどれ、今度はわたしが面接してあげようか」
「フッ。リクくんも隅に置けないわね。幼馴染にも紹介できない人がいるわけ?」
ヒナ、ノゾミ、網野に三方から詰め寄られ、リクは後退りした。
「どうした? ――まさか、この3人の中に?」
まさかね。かまをかけるとかじゃなく、俺は単純に知りたいだけ。
「まぁ、その、つまりだな、なんというか」
珍しく歯切れの悪いリク。ヒナは自分の肩を抱いて「きゃっ。もしかして、あたし?」なんて明るい声をあげ、場を和ませた。
「まいったな。でも、リクごめん。あたし好きな人いるんだ。アハハハ」
「ちげぇよ! ヒナじゃないって。ガッハッハ」
ノゾミはコホンとひとつ咳払いをしてから声をかけた。
「リク。こういうのはさ、きっと待ってるだけじゃだめなんだよ」
「お、おう」
「そうそう! ハンターなら獲物は追うべし!」
ヒナが加える。
ノゾミがさっきと正反対のことを言っているようで、なんだか笑えた。金魚は待つべし、獲物は追うべし。8月27日に届く火星の石は、じっと待つべきか、それとも、追うべきか――。
暗くなると、5人並んで壮大なパレードを眺めた。
すぐ目の前をすぎる優雅な山車灯籠に、稲穂のように揺らめく大きな竿燈。弾むような囃子太鼓と澄んだ笛の音が気持ちいい。地元の大神輿の掛け声と観客から送られる熱い声援に包まれ、見ているだけで耳の先まで熱くなった。
「ねぇ、まだ夏は終わりじゃないよね?」
ヒナがそう耳元でささやく。俺は自分が思ってたことを見透かされたみたいで、なんだか恥ずかしくなった。フフフと笑うことしか出来ない。
「ん!」
ふいに甚平の袖がくいと引っ張られ、なにか冷たくて柔らかいものが頬に触れた。ヒナ?
「あ……」
びっくりして彼女のほうを向くと、潤んだ2つの大きな瞳で必死に何かを伝えようとしているみたいだった。カメラアイを必死に覗き込んで、見えるはずもない向こう側の彼女を探す。そのあと、彼女が何かを口にしたように見えたけれど、お祭りの喧騒でかき消されてしまった。
――サヨナラって言ったの?
なんて聞けなくて、俺はぎゅうと彼女の手を握った。頬に触れた唇と同じ、冷たい手。
「んえっ?」
今度はヒナが驚いた様子で目を丸くした。
俺は、どうせみんなパレードに夢中で気づかないよ、と目で合図した。どれくらい伝わったのかは、わからないけど。
俺がなくしたもの、ヒナがなくしたもの。全部つないだ手の中にあるような気がして、俺はずいぶん長いことその手を離せずにいた。
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