SOL27
その夜、俺とヒナはどちらからともなく〈幻の隕石〉を臨む縁側に出て、並んで夜風にあたった。いつの間にか日焼けしたのか、頬が熱い。涼しい風と秋の虫。昼間の騒ぎが嘘のように静まり返り、なんとも言えない心地よい余韻に浸った。ヒナはノゾミに「似合うから」と譲り受けた肩出しのワンピースで、見た目はちょっぴり肌寒そう。エメラルドグリーンの髪を、さらさらと風の流れに委ねていた。
居間のほうからは、テレビの音に合わせてリクとノゾミの笑い声が聞こえた。気づいたヒナが満足そうな顔で「んんー」と伸びをする。
「やりたいこと全部できたし、もうこの身体に悔いはないや」
「ん?」
「――あたし、返すことにするよ」
「そっか……」
俺がしょんぼりと肩を落とすのをヒナは見逃さなかった。
「ああー、またその顔! そんな顔してたら、幸せがにげちゃうよ?」
あー、またそれ言われた。
「――大丈夫。顔上げてよ! きっとまた、会いに来るからさ。ね?」
「そう? んじゃあ、楽しみにしてる。あ、でも、あんまり無理しなくていいよ。こう見えて、俺、けっこう気は長いほうだからさ。ハハハ」
「〈幻の隕石〉も見つけられたし、みんなとも仲良くなれた。海も行ったし、お祭りも行った。動物園デートもしてもらっちゃった」
「ふふふ」
「ひひっ。流しそうめんも楽しかったなァ。ほんと、ありがとう、ソラ」
「満足いただけたようで、何より」
彼女は
「うむ、余は満足じゃ」
なんておどけながら、俺のほうにすっと手を差し出した。
「握ってて。こっちからじゃ、分からないけどさ……」
俺は素直に従った。アンドロイド
「えへへ」
にぎにぎ、と3回ほど手に力を入れて、俺の手を確認してるみたい。それから、いかにも照れくさそうに身体をくねり、反対側の手で器用に後頭をかいた。俺たちの間を秋風が通りぬけると、彼女のおろした髪が頬を擦った。今日ほど、彼女が愛おしいと思ったことはなかった。
「ごめん、俺、変だよね……。でもなんか、こうしてると、落ち着く」
繋がれた手をチラッと見る。
「――ううん。変じゃないよ。あたしも落ち着く。なんか不思議だね……」
庭の枯山水で、ひときわ目立つ立石が月明かりに照らされていた。そういえば、あれ隕石なんだよな。ヒナト出会いたての頃に、ここに取りに来たんだっけ。大して昔のことでもないのに、もう取り戻せない日常かとおもうと、何だか涙が出そうだ。
「ここから眺めるのは正式じゃないんだよね」
ヒナはクスリと笑い、黙って庭を見つめつづけた。チャンス到来かな。
「ねえ、あの石の模様、見える? ヒナに似てるよ?」
「ウソ? なんかレディーに対して失礼じゃない? どこ? どの辺?」
「もしかしたら見る角度によるかな? そっちからだと影の落ち方が違うとか? ちょっとこっち来てみて。ここから見ると、ばっちりなんだけど……」
「どれどれ――」
そう言ってヒナは俺の視線の先に目を凝らしながらゆっくりと顔をつき出してきた。
――その瞬間。
「つかまえたっ!」
両手でむぎゅっとヒナの頭をつかみ、そのまま優しく抱き寄せた。これ、自分から仕掛けておいてナンだけど、めちゃくちゃ恥ずかしい。彼女髪から漂う、いつものシトラスの香り。そっと目を閉じ頬をよせ、ヒナの長い髪をなでた。じっとして動かない彼女。
「やられた!」
動物園でヒナが俺にしたのと同じ手口。仕返し。
「――ねぇ、ヒナ。聞こえる? 胸の音……」
ヒナは言われるまま俺の胸の中で静かに瞳を閉じた
「聞こえるよ……聞こえる。痛いほど、よく聞こえるよ……」
俺はいよいよ力強く彼女の頭を抱きしめた。どんなにぐっと力を込めても痛がる素振りも見せない彼女が、どうしようもないほど愛おしい。シトラスの香り。色が変わる長い髪。細い首。器用な手。ぜんぶ失いたくない。わがままだって分かってる。
こんなに近くにいるのに、どれほど遠くにいるのか。目を閉じると、そこに広がる彼女の明るい声とイタズラっぽい笑顔。アハハとよく笑い、思いついたらすぐ行動。キリンが好きと言うけれど、むしろじっとしてられない猫みたい。
「ううう、会いたいよ……ソラ」
ヒナが腕の中で小さく震えた。
俺は決心して、ずっと聞けずにいたことを、ついに彼女尋ねることにした。
「あのさ、ヒナ。ひとつ聞いてもいい?」
「なあに? 一緒お風呂入った仲じゃーん。何でも答えるよ。水臭いなぁ。アハハ」
「……おい。それ、よそで言うなよ! ばあちゃんに説明するのだって、大変だったんだぞ!」
「フフフ。ソラはやっぱり真面目だな。そういうとこ、スキよ」
ヒナは俺の胸に顔をうずめたまま、くくくと笑い、横目でチラッと俺を見上げた。
「こんな明るくて社交的で、友達を作るのだって下手じゃない。それなのに、キミはどうしてひきこもりになったの?」
ついに口に出してしまった。
「……」
無言の彼女。やっぱ、まずいこと聞いたかな。今さら、後悔する。
「話したくなければ、答えなくていいよ。無理、しないで」
俺がわたわたと弁明すると、ヒナは腕をそっと解いて上体を起こした。そして、おもむろに縁側に下がる足をバタつかせ、俺の手を少しだけ強く握り直して静かに話し始めた。
「――きっかけは、ちょっとしたことだったんだ」
「うん」
じっと見つめられ恥ずかしいけど、もう目はそらさない。
「あたしね、小さい頃から恐竜とか好きだったんだー。遠くの星には宇宙怪獣がいて、いつか隕石に乗って卵が地球にやってくるはず、なあんて信じてた。笑っちゃうでしょ?」
「いや、笑わないよ」
「道端の石ころを『隕石だ!』なんて言ってたこともあったよ。だからみんなには変わった子って思われてた」
小さい頃はそれでも良かったんだ、と彼女は寂しそうな目をして続けた。
「中学生はさ、それじゃダメだった。理科少年はいいけど理科少女は生きにくいって、知らなかった。バカだよね。あたし、そんなことも気づかないで……」
そっか。考えてもみなかった。
「中3の夏にね、怪我をした鳥を助けたんだ――」
それを見た同級生に物好きだ不潔だとからかわれたらしい。今思うと悪ふざけのつもりだったのかもしれないけどと言って、それからヒナは言葉をつまらせてしまった。
「あ、あたしは汚いんだってさ。ハハッ」
彼女の乾いた笑い声は、すぐに庭石のむこうの闇に溶けていった。
友人関係のささくれをきっかけに、彼女の学校生活は少しずつ破綻を来たし、ある朝、自室から出られなくなってしまったという。
「学校に、居場所がなくなっちゃった。……保健室登校でしのいで、なんとか卒業はさせてもらえたよ。あれは結構つらかったー。部活も出られず、悶々としてた……。自殺もちょっとは考えた。アハハハ」
「……うん」
彼女があまりに明るく話すものだから、俺はあっけにとられてしまう。
「お父さんの知り合いの研究者からね、アンドロイドで社会との関係は保ったらって勧められたの」
ヒナはいつもの飄々とした様子で手をぐーぱーと動かしてみせた。
「ある種の治療――いや、実験だったのかな? もちろん、あたしは大賛成。だって楽しそうじゃない?」
「そうだったんだ……。隕石ハンターを始めたのは、そのあと?」
「うん。アンドロイドの操作はすぐ上手くなった」
彼女は他者と関わり続ける世界を選んだ。アンドロイドの身体が世界へ通じる窓だ。治療がどれほど上手くいっているのかは分からなかったけれ、彼女が悲しみを隠すためにわざと明るく振る舞っている気がしてしまった。
「でね、そのとき助けたのが、ファル子なの。家の近くに、鷹の訓練施設があってね、どうしてもってお願いして譲ってもらったんだ」
長い間ずっと、自分のことよりも傷ついた鷹のことを心配していたらしい。助けた日からも何度か、ファル子が執拗にカラスに追いかけ回されているのを見かけたのだという。彼女が傷ついたファル子を施設に戻すも、狩りをする鷹としては落第を言い渡された後だったらしい。
「そうだったんだ……」
「彼女はね、あたしよりずっと強い。あたしはアンドロイドがなければ外に出られなくなった。でも彼女は違う。カラスにいじめられても、居場所がなくなっても、それでも自分の身体で生きてる。本当にすごい」
「――ヒナだって強いよ」
彼女は、こてん、と首をかしげた。
「そうだよ! だって、逃げずにいる。そんなに辛いことがあったのに。それに、こうして、俺に話してくれたじゃないか……」
彼女は静かにうなずき、器用に長い髪を耳にかけて瞬きした。
「なんか、ゴメン。こんなこと聞いちゃって……」
頭を下げる。
「いいの。ソラ、それよりもノゾミちゃんのこと、ちゃんと見ていてあげてね」
ヒナは意外なことを口にした。
「えっ?」
「なんていうか、他人には思えなくて……あの子、少し変わってるでしょ? 昔のあたしを見てるみたい。アハハハ」
こんなときも、彼女は自分のことよりも他の誰かのことを思っているのだった。
キラキラと夏の日差しみたいな笑顔に邪魔されて、彼女がどれほどつらい思いをしてきたのか、これまではよく分からなかった。今も、全部分かってあげられたなんて、全然思わない。けど――
次の瞬間、俺は彼女の身体をきつく抱きしめていた。
「んえっ?」
「――ゴメン。俺、やっぱ変だよね? アンドロイドだって分かってるのに」
彼女の全部を、ありのままを、受け入れようって決めた。
「変じゃないよ……けど……」
「けど?」
「あたし、汚いよ?」
顔をそむけるヒナ。
「そんなことないよ!!」
声を張り上げ、彼女の瞳を見つめた。カメラアイの向こう側に居る彼女も、じっと視線をむけたままでいてくれた気がした。息をする音が聞こえる。何か言いかけてためらうときの喉のなる音もした。
彼女は「ダメだよ……」なんてささやいて、俺の肩をそっと押して引き剥がした。
「これ以上、好きになるのは、困る……」
名残惜しそうに俺の手を膝に戻し、もうバレちゃってるよね、と独り言みたいに呟いた。ごめん。同じ気持ちだけど、俺は口にすることができなかった。どこまでも臆病で嫌になる。
彼女は口元を押さえてはにかんだ。向こう側に、同じように切なくしているヒナが見えてしまう。んああぁぁ。声にならない声でうなった。
「あ、あのさ」
俺の言葉は彼女の笑顔に遮られた。
「ソラに会えて、ほんとに良かった」
ヒナは俺の肩をぽんっと叩いた。
「あたしがなくした〈居場所〉は研究所でもアンドロイドの中でもないって、ソラが教えてくれた! 必ず……必ず会いに行く。だからそれまで、待っていて、くれる?」
あたりまえじゃん。何言ってるんだよ。
俺は目尻から溢れる熱いものを手の甲でごしごしぬぐった。
なんだっていうんだ。
「さっきも言ったろ。気は長いほうだって」
「嬉しい! アンドロイドがなくなったら、あたし逆に踏ん切りつくと思う。だから、そしたらさ、一番先にソラに会いに行くよ」
「おいおい、無理すんなって!」
「ううん。目標があったほうが、燃えるから! 絶対、会いに行く」
そう言って、彼女は何かイタズラでも思いついたかのようにイヒヒと笑った。
「だから、そのときまで、これ、ソラが持ってて?」
彼女が〈私の心〉といって大事にしていたペンダント。手にするのは、2度目だった。虹色に光る不思議な石。月明かりにかざし中に透ける砂粒を覗き込んでいると、俺のTシャツの袖がくいと引かれ、頬に彼女の唇を感じた。
この夏、2度目――。
やっぱり冷たい彼女のキスは、やっぱりシトラスの香りがした。
ゆっくり彼女のほうを向くと、2つの大きな瞳がうるうると彼の目を見て「好きだよ」とつげる。
今度は祭りの喧騒でかき消されることもなく、はっきりと、そう聞こえた。
「ヒナ。俺っ……俺も」
必死に喋ろうとする俺の唇を、何かやわらかいものがぐいと塞いだ。目を閉じたヒナが見える。長いまつげ。
「言わないで。辛くなるから……」
1ミリ――1センチ――10センチ。ゆっくりと遠ざかる彼女の顔はなぜか満足そう。それから月を眺めて足をばたつかせ、にししっ、といたずらっぽく笑った。
肌寒い夜の風が庭の草をゆらし、虫の音が夏の終りを予感させた。
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