SOL13

 電車とバスを乗り継いでやってきた動物園。土曜日ということもあり、沢山の人で賑わっている。って、隕石がらみの『仕事』に来たんじゃなかったっけ?

「あの、ここ?」

「そだよ?」

「隕石は?」

「大丈夫。逃げないよ」

 だめだ、埒が明かない。

 彼女は涼しげなブルーのワンピースに身を包み、ゆるく編み込まれた髪をなびかせ微笑んだ。日焼けなんてしないくせに、ノゾミに貸してもらったという麦わら帽子がやけに似合う。普通に可愛い。

「せっかくの土曜日だし、いいじゃん」

 俺をぐいぐいと押し、エントランスを抜ける。ヒナは受け取った園内マップを熱心に眺めていた。べつに物理的に見なくても、ホームページで公開されているだろうから、そっちで確認すればいいのに――。

「ねぇ、ソラはなに見たい?」

「うーん、特にないけど……。ヒナは?」

「あたし? ダントツでキリンだな!」

 キリン舎は、小高い山に作られた動物園の、いちばん奥まったところにあった。でもまぁ、ダントツなら仕方ない。真夏の日差しがきつい丘越えルートじゃなく、せめて日陰の多い迂回ルートでいこう。今日も暑い。オーバーヒートが心配だ。

 道中、お風呂につかるカピバラやら喧嘩してるカンガルーやらに寄り道してはキャーキャーと楽しそうな声をあげるヒナ。涼し気な顔で汗もかかず「暑いねぇ」なんてスキップして俺を笑わせてくる。どこまでも憎めない性格だな。

「ソラ! どうした? また暗い顔してるゾ! ――つまらない?」

「えっ、ああ、いや、そんなことないよ。なんつーか、ちょっと、緊張してる……。は、初めてでさ……」

「動物園が初めてなんて人、いる?」

 そう言って彼女は麦わら帽子をちょこんと押さえながら、上目づかいで俺の顔を覗き込んできた。

「ち、ちがっ」

 俺の弁明も待たず、彼女はニヒと満足そうに笑って、また歩きだした。

「俺さ、この動物園、小学校のとき来たことあるんだ。あんとき大変だったんだよ。ミッチーが迷子になって、リクとめっちゃ探したよ。あははは」

「ふーん」

 なんでこんなに興味ない顔?

「ふーん、って……?」

「あーあ、ノゾミちゃんが羨ましいな」

「えっ? そう? なんで?」

「あたしの知らないソラを、たくさん知っててズルい」

 ヒナはぷぅっと頬をふくらませた。

「んあー。もっと前に会ってたかったなぁ」

 そんな小学生みたいな嫉妬を見て、思わず吹き出してしまった。

「プッ、ふははははっ。なんだよそれ……」

「まぁ、いいや。今日はさ。練習だから」

「練習?」

 またしても意味不明。

「そ。いつかほんとうに付き合うことになったときの、練習――」

 目の前に予測不能に放り込まれる、思わせぶりな言葉。ヒナは

「なぁんてね」

 と付け加えながら俺のたじろぐ様子を確認しては、ヒヒヒと喜んだ。

 こんなふうに、彼女はことあるごとに冗談まじりのことを言って、俺を惑わせた。緊張をほぐそうとしてのことかもしれないけど、むしろ意味をとりちがえてやしないかと逆に緊張する。べつに他愛もない話でいいから、意味があいまいじゃないのがいいんだけど。

 それでも彼女のとりとめない話は続いた。昨日の夕飯の話。好きなミュージシャンの話。キリンの首が長い理由の話。コアラは実はゴワゴワしているという話。鷹のファル子の失恋も聞いた。

 しかし暑い。暑すぎる。しかも遠い。いくら迂回路っても、遠回りしすぎでしょう。遠いよキリン舎。

 仕方ないので、かき氷で涼むことにした。売店を見つけ早速買ってくる。

「ヒナ! はい、これ」

「――あ、ありがと。でもさ……」

「でも?」

 なんだよ、いらないのか?

「あ!」

「うん」

「ごっごご、ゴメン。ほんとゴメン。うっかりしてた――食べないよな……」

「アハハハ。でもいい、ありがと!」

 ハンカチにつづいて2回目だった。どうも俺には目の前のアンドロイドが普通の少女に見えて仕方ない。頭では分かってるつもりなんだけど、振る舞いがそれらしいからなのか、いつのまにか忘れてしまうのだ。初めは周囲の目も気になってたんだけど、そんな恥ずかしさもどこかへ行ってしまい、今はむしろ女の子と2人きりということに緊張してる。ある意味、自然体だ。目の前にいるのは、まぎれもなく一人の人間。

 ヒナはそんなことはお構いなしに、かき氷のカップを頬にむにゅっと押し付けては嬉しそうに笑っていた。

「アハハ。今日はほんといい日。こういう未来に来たかったんだよ!」

「えっ、何それ? こんどは言語系のトラブル?」

「ちがうよ! ――ただ、こういうの、ずっと憧れてたから」

「そう? ハハハ。ならよかった」

 胸ほどの高さほどある柵の前で横並びになって、キリンを眺めた。ひろびろとした放飼場でゆうゆうと餌をはむ4頭のキリン。

「はぁ。やっぱいいわぁ。癒やされる!」

「うむ。確かに」

「謎めいたフォルムもいいよねぇ……。ソラ、知ってた? 動物の進化最大の謎――キリンの首が長い理由」

「高いところの葉を食べるためじゃないかもしれない、ってのだろ?」

「アハハ。そうそう」

「さっき言ってたじゃん」

「あは。案外、あたしの話、聞いてるんだね」

「ナニソレ? 俺そんなふうに見える? ちゃんと聞いてるってば」

 キリンの祖先の首は長くないけれど、今のような姿になった「決め手」になるような理由は分かってないらしい。根無し草ってわけじゃないが、キリンもまた 生命の起源みたいなミッシング・リンクを抱えてるのかと思うと、なんだか親近感がわいてきた。

「ねえ、あそこにいる子供のキリン。顔、見える? ソラに似てるよ?」

「なんか失礼じゃない? どーれ、確認してやる。どこ?」

「あー、そこからだと微妙に見えないかなぁ? ちょっとこっち来てみて? あたしのほうからは、ばっちりなんだけど」

「どれどれ――」

 そう言って顔をつき出し、彼女の視線の先を探した。

 ――その瞬間。

「つかまえた!」

俺の頭をヒナの両手がむぎゅっとつかみ、そのまま胸に抱き寄せられた。彼女はためらいがちに「えへへ」と小さく笑いながら、俺の髪をなでた。

「え? ちょっ……おいおい……どうした?」

 がっちりと捕まえられていて、彼女の顔が見えない。

「――ねぇ、聞こえる? 胸の音……」

 何がなんだか分からない。言われるままに目を閉じ、彼女の胸の奥からかすかに聞こえてくる音に耳をすました。

「――なんだろ、キーンっていう音……ファン、かな?」

「そ、そうだよね……。ちぇっ。つまんないの……」

 そうして彼女は俺の顔を抱く手にもう一度だけぎゅっと力を入れ、それから名残惜しそうにゆっくり手を離した。

「どうしたら、伝わるかな。あたし、こんなにドキドキしてるのに……」

 切なそうな顔をしてそんなこと呟くから、たまらなく愛おしくなってしまった。その感情がアンドロイドに向けられたものか、その奥にいる恥ずかしがり屋さんに向けられたものなのか、自分でもよく分からない。

 自称隕石ハンター。身体はアンドロイド。コロコロとよく笑う表の顔と、どこかで泣いてる裏の顔。

「そろそろ、行こうか?」

「ん? どこに?」

「い・い・と・こ・ろっ」

 思いつきでものを言い、キリンが好き。そして、いつだって予測不能。

 俺の知っていることは、まだほんの少しだ。

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