SOL19
この日は入り江の近くの民宿に泊まることになった。
ダイビングをした日に、飛行機に乗るのはよくないというのがその理由。血液中に溶け込んだ窒素が気泡となって現れる「減圧症」になる恐れがあるというのだ。
早々にシャワーを浴びて夕食を取り、俺たちは男女それぞれの部屋に別れた。女子部屋ではキャーキャーと何かが始まったみたいだけど、さっきまで「合宿みたい!」とはしゃいでいたヒナは早々に電源オフになった。身体が疲れたってことはないから、心の疲れか。今日はいろいろとありすぎたし、まぁ無理もない。一人になりたいときもあるしね。
俺はリクが今度話す予定だという法話をさんざん聞かされ、パタリと力尽きて寝た――リクが。このやろー。
とは言うものの、俺は昼間の興奮のせいなのかうまく寝付けなかった。仕方ないので、グーグーとイビキをかいているリクを横目に部屋を抜け出して、海にむかった。外は今までに体験したことがないくらいのほんとうの暗闇。波の音と月明かりだけが頼りだ。
浜辺に面したコンクリートの低い堤防まで行って、そこで先客に気づいた。
「ミッチー?」
「ソラ! どうした?」
「いやぁ、なんか眠れなくてさ。リクのイビキもうるせぇし」
俺はいつものように後頭をかきながら彼女の隣に座った。満点の星空と静かな波音。髪をおろしたノゾミが上目遣いでフーンと笑った。
「アハハ。わたしも、なんだか、久しぶりに潜ったら、落ち着かなくなっちゃって……」
それからしばらく、会話は途切れた。2人とも何も話さず、俺はただ目を閉じて耳を澄ましていた。ザザーッ、ザザーッという波の音と、ドキドキと聞こえる胸の音だけが、世界の全てだった。
「――ねぇ、ソラ?」
彼女が沈黙を破る。
「火星から、帰ってくるんでしょ? お母さん……今月、だよね?」
「うん……27日」
静かに目を開けて南の空を眺めた。真っ黒な水平線に飲み込まれそうな、さそり座の赤い星。そのすぐ上に、赤く輝く星がもうひとつ見えた。
「火星!」
「えっ? どれ?」
ノゾミがぐいっと俺の身体を押しのけるように目の前にやってきて、俺の視線と合わせるようにしてその先を一緒に見つめた。もう一度、ゆっくりと火星を指差してやる。
「ああ」
海に向かう風で彼女の髪がなびき、鼻先にシャンプーのいい香りがふわっと漂った。
「ねぇ、一緒に迎えに行こっか?」
「――いや、まずは石なんだ。人はあと。しかもその……単なる石だぜ? わざわざアメリカまで行かなくても、いいかなあ……と」
「飛行機代とか心配してるの? それなら大丈夫! バイトして貯めたのが少しはあるから、貸してあげられるよ?」
「や、いいよ……。ほんと、気持ちだけで。サンキュ」
「そう?」
ノゾミは堤防のへりから下げた足をバタつかせ「ちぇ」と口を尖らせた。こうやって、不満をこれっぽっちも隠そうとしないのは、小学生のときから少しも変わってない。裏表のない、どこまでも透きとおるような彼女のしぐさ。凛として、潔く、頼もしい。それに――
(やっぱ黙っていれば可愛いのにな)
なんて本人には言えないことを思わずにはいられなかった。
「大丈夫だよ、何もそこまでしてくれなくても。ミッチーの母親ってわけじゃないし――あ! ハハハ。あれか? 姉ちゃんのつもり?」
「違うって!! 石のひとつ――いや、砂の一粒でも形見にもらえたら、ソラの悩みも、少しは良くなるのかなって思っただけ」
「ハハハ。ヒナにも言われたよ。もっと乱暴なやり方だったけど。ハハッ」
俺が乾いた笑い声をあげながら遠くの火星を見つめていると、ノゾミが突然、くしゅん、と大きな音をたてた。やれやれ。肩なんて出してるから。
俺は着ていたウインドブレーカーを脱ぎ、そっと肩にかけてやった。ノゾミは「ありがと」なんてしおらしく言って、いつになく照れくさそうに俺の目を見た。
「ねぇ、ソラ? ヘンな話、してもいい?」
「え? 何? いいよ。どした?」
これから何の話が始まるのか、てんで見当がつかないや。
「あのさ、これ生物部の後輩の話なんだけどさ。そのコには仲のいい男子が2人いてね。幼なじみってのかな。でね、そのうちの片方を好きになっちゃったんだって」
はいはい。ま、ありがちな話ではある。
「ほら、告白とかしたらさ、仲良し3人組の関係がギクシャクしそうじゃん?」
「まぁ、そうかもね……」
「で、どうしたらいいかなって相談されたんだけど。ソラ、どう思う?」
ノゾミの恋愛経験が貧相なことは分かってるのだけど、そういう俺だって経験豊富なわけじゃない。ただ、例の『面接』でノゾミの意中の先輩を落としてしまった負い目もあり、この手の相談には乗らざるを得ない。
「別に三角関係ってわけじゃないんだろ?」
「どういうこと?」
「つまりさ、もう片方の男が、そのコを好きだったりすると、ややこしくなると思うけど……」
「えっ? あ、考えたことなかった!」
予想外、というような驚いたノゾミの顔。そんなに突拍子もなかったかな? マンガとかで鉄板だろそんなの。
不審な行動を訝って、じっと視線を送っていると彼女は手をブンブンふって是正した。
「え? あ、いやいやいや。ききっと、多分、大丈夫じゃないかな……」
「とにかく、それくらいのことでギクシャクはしないだろ。仲良しなら、理解してくれるだろうって信頼してあげればいいんじゃない?」
「そ――そうだよね! うんうん。リクは分かってくれるよね?」
「は? リクはいま関係ないだろ!?」
「あわわっ。そ、そうだった。後輩の、話だからね。うん。そ、そう言っておくよ」
またしても何かを隠すような怪しい言動。いつもの歯切れのよさはどうしたんだ。らしくない。
「なんか変だぞ。どうした? あ、顔赤い」
彼女の顔をじっと覗き込むと、いよいよ赤面して逃げるようにぴょんっと砂浜に降りていってしまった。
そうして俺のウインドブレーカーに嬉しそうに袖を通しながら、くるりと振り返って「ねぇ?」ととびきり明るい声で俺を呼んだ。
「わたしはさ、ソラのことを、弟なんて思ったことは一度もないよ?」
「――うん」
彼女のうるんだ瞳は、空一面に広がる天の川が淡く写り込んでいるみたいに輝いて見えた。
「ノゾミは、ノゾミだよ」
それから2人並んで夜の砂浜を歩きながら、火星が水平線に沈むまで話をした。
火星のことを深く考えるのをずっとためらってたと打ち明けた。過去を知りたい自分と、そんなのは忘れてもう先に進みたい自分との間の板挟みになっていた。このインターンに来たのも、何か少しでもその均衡を崩すきっかけにならないかと考えてのことだった。
母さんが火星で何を見て、何があったのか。どうして死ななければならなかったのか。網野やロッドは何か知っているに違いない。でもそれだって知ったところで所詮、手の届かない星の、変えられない過去の話だ。もどかしさや苦しさを感じることになるのは、どうせ自分なのも分かっていた。ノゾミは嫌な顔ひとつせずうんうん頷きながら聞いてくれて、今日ほど彼女がありがたいと思ったことはなかった。
もう2週間後には火星に行った6人は、月を周る宇宙ステーションに帰還する。地球から月までは3日。火星と比べれば目と鼻の先、もう地球に帰ってきたも同然だ。火星の石をつんだカプセルは先にユタ州の砂漠に到着する。ここだって、行くとなれば日本から1日がかりなわけで、時間的な遠さは月と大差ない。母さんは手の届くところにいる。
ヒナやノゾミに言われ、石を迎えにアメリカまで行ってみたいような気にもなっていた。でも、事故の真相を知らない――調べようともしない臆病なままでは、迎えに行くなどおこがましいとも思った。
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