SOL20

 楽しみにしていた隕石の分析結果が網野から発表された。結果は〈普通コンドライト〉。コンドライトはともかく、「普通」というのがいかにもありふれた感じ。ヒナによると、地球上で発見される隕石の9割がこれだそうだ。なるほど。そりゃ「普通」と付けたくなる気持ちも分からないではない。

 インターンも終わりに差し掛かり、網野から一連の騒動を論文にまとめるよう指示が出ていた。例の動画から火球の軌道を推定し、予想地点から実際に隕石を見つけ出した例は貴重で、報告する価値があるそうだ。

(んな無茶な……。パソコンだって触れないのに……)

 俺はあいかわらず〈パウリ病〉に苦しめられていた。痛いとか苦しいとかそういう影響は一切なかったけれど、電子機器に触れないというのは不便である。なにもホワイトハッカーになるためだけじゃない。ネットで調べ物をするにも、レポートをまとめようにも、全てにおいてパソコンに触れないのが足かせとなった。

「触るとダメなんだったら、触らなければいいんじゃない?」

 この当たり前のことに気づいたのは網野だった。当たり前すぎて誰も指摘しなかったことを、彼女はあえて口にした。天才とはこういうことなのかもしれない。ほんと感心する。

 さっそく、レーザー式キーボードを試すことになった。これなら、俺が触るのはキーボードが映写された机であって、電子機器そのものじゃない。奇病とトンチ対決してどうすんだと思わなくもないが、とにかく試すことに。

 実験室でヒナと白い机を挟んで向かい合うと、その横から網野が指示をだした。

「じゃあ、ヒナ。悪いけど、そこで、上、脱いでくれる?」

「うん。いいけど……」

「けど?」

 キーボードを机に映すレーザーの射出部は機体ボディの背中部分に埋め込まれていた。なにこの設計? 胸の下の電源ボタンの位置といい、なぜこんなユーザーインターフェイスなのか。理解に苦しむ。が、たまたますぐ用意できるレーザーキーボードがこれなので、いまは従うより仕方なかった。

「な、なんか、恥ずかしいっていうか、なんていうか。変だなぁ……」

 俺に背をむけて座るヒナはタンクトップを両手で掴んだまま、もじもじとためらいがちに言った。

「あたし、前はこんなこと、思わなかったのに。どうしてだろ……?」

「フフフ」

 網野が意味ありげな表情で笑った。ヒナは「うー」と聞いたこと無いような唸り声をあげた。

「こんなの、なんてことないはずなのに! やっぱ、おかしい! 機体ボディにウイルスでも入ったかな? なんだろ、このムズムズする感じ……」

「ヒナ。違うよ! それはねぇ……たぶん」

 網野がぽんっとヒナの肩をたたく。

「何?」

「恋よ!」

「コ・イ!?」

「そう。あんたソラくんに、見られてるから、じゃない?」

「えええっ?」

 思わず大声をあげたのは俺のほうだった。

 一体どういうことだ? 誰が誰に恋してるって?

「そっか。うんうん! そうかもね。アハハ」

 明るく笑うヒナ。ちょっと待て。俺は完全に置いてけぼりを食らった。

「ヒナさぁ。な、なんか嬉しそうだね?」

「そりゃあ嬉しいよ! だってさぁ。ふふ。だって、考えたことなかったもの! あたし、こんな気持ちになれるなんて!」

「どういうこと?」

「あたしが、恋だって! ふふ。あーなんか安心した……」

 ヒナはくくくと照れくさそうに笑うと、えいやっと勢いよくタンクトップを脱ぎ捨てた。待て待て待て。

 あらわになった白い背中は、肩甲骨から背筋のラインが艶めかしい。カーボンファイバー製の内骨格が人間と似せて作られているからだろう。とてもよくできている。

 すぐに緑のレーザーの光が、机の上にキーボードを描いた。これをタイプすると、センサーが検知するしくみになっている。恐る恐るタイプしてみると、机がコトコトと小気味よい音を立てる。打鍵感がなくてなんだか不思議な感覚。しばらく作業を進めてみて、不具合が起きるかどうか試すことにした。ヒナは手持ち無沙汰なのか、ああでもないこうでもないと話をした。

「あたしさぁ、引きこもりになって、こうしてアンドロイドがなかったらろくに人と会話もできずにいたんだ」

 背中を向けたままつぶやくヒナ。どんな顔をしているか見えないけど、いつもより低いトーンの声だ。

「だから、こういう普通の高校生だったら経験するようなことは、もうあたしにはできないと思ってた」

「いや普通の高校生は、人前で服脱いだりしないと思うけど……」

 俺はPCのモニタに目線をむけたまま答えた。

「もう! ソラぁ? そうじゃないって!」

 振り返ろうとするヒナ。

「ちょっ、動かないで。キーボードが逃げる」

「んああ。ゴメンゴメン」

「それに、普通とかどうでもよくない? だって、その『普通』の高校生が体験できないようなこと、キミはもうたくさんしてるじゃない」

「そうだけど、そうじゃないのっ! 乙女心がわかんないのね! まぁいいや。とにかく、ソラ! ありがと!」

「わっわっ、いいから。わかった! わかったから、こっち向くなって!」

 こうして、自分の肩を抱いて恥ずかしそうに背を向けるヒナの後で、俺は黙々とキーボードにむかった。ヒナは、鼻歌なんぞ歌い始終ゴキゲンな様子でじっとしていた。

 アンドロイドを介してクラウドのバーチャルPCを使い、いろいろなことを試してみた。けれど1時間が経ってもパウリ病による不具合はひとつも現れなかった。本当に触らなければいいだけだったのか。

 それまで実験動物でも観察するような目で俺たち2人をじっと見ていた網野がようやく満足したように声をかけてきた。

「とにかくこの方法なら、いけそうね」

「よかったねソラ!」

 思わず振り返るヒナ。俺は慌てて彼女の肩をおさえた。

「だあぁ、こっち向くなってば」

 対症療法なのは分かってるけど、それでも久々にコンピューターに触って気分がいい。やっぱ俺、こういうの向いてると思う。調子づいた俺はせっかくだからと、アンドロイドの機体ボデイのセキュリティ検査をしてみることにした。

「わープロっぽいっ!」

「いや、ポートスキャンとか、ドライバーの脆弱性検査とか、そういう簡単なのだけね……」

「ふうん」

「まぁ、身体検査みたいなもんだよ。精密なのは、ちゃんとNASAでやってもらったほうがいい」

 口が滑った。アンドロイド回収の話を出すべきじゃなかった。

 ごめん、と謝ろうとしたけれど

「お医者さんごっこ? いいよ! や・さ・し・く、してね」

 なんて気にするそぶりもなく、楽しそうな笑い声を上げる彼女。少しホッとした。それからヒナは胸元を隠すように自分の肩を抱きながらゆっくりと俺のほうを向いた。アンドロイドの身体だというのに、なまじ出来が良いものだから、見ているこっちが恥ずかしい。

「もう! こっち向かないでってば」

 俺が何度言っても「アハハハハ」なんて笑ってはぐらかされる。

 きっと彼女なりの励ましなんだろうな、と思う。火星のことやパウリ病のことで気落ちしていた俺を、ずいぶんとちゃんと見てくれているのか。それに応えられるほどには、未だにヒナのことをちゃんと理解して挙げられていない自分がいることに気づく。彼女は台風みたいに近寄ってきて、俺のまわりを強い風で引っ掻き回すみたいに騒がしくした。けれど、不思議と彼女の隣は居心地よかった。こんな気持ちになるのは初めてだ。

 俺はヒナのことを『出会って5日目の転校生』よりも知らなかった。他人に興味がないというよりかは、知ろうとするのが怖い、に近い気持ち。けれど、それでもよかった。夏休みが永遠とは思わないけど、お互いを知るにはまだ十分な時間があるから。俺の思い込みかもしれないけれど。

「検査、終わったよ」

 簡単なセキュリティ検査プログラムを実行してやると、機体ボディのソフトウェアにいくつかの脆弱性が検出された。いちばん深刻なのは一部の制御ドライバーが古いバージョンで、攻撃対象になると脆弱性データベースに報告されていたものだ。NASAがこの機体ボディを回収しようとしている理由はこれか。火星アンドロイドの脆弱性をついたサイバー攻撃が今起こってる探査機の不具合と関係してるのではという俺の妄想は、あながち間違ってるというわけでもないかも。ひょっとしたら母さんの事故とも関係が――。

 そこまで考えを巡らせて、ふと前を見ると、ヒナが大きな目をぱちくりして俺の様子を窺ってた。

「大丈夫?」

「え、あ……うん――。ゴメン」

「あはは。そんな顔してたら、幸せがにげちゃうよ?」

 もうすぐこの機体ボディを手放さなければならなくて、つらいのは彼女のほうなのに、いつも励まされるのは俺ばかり。

 このあと、夏の成果を論文にまとめるのに悩んでるときもヒナは

「ソラのためじゃないよ」

 なんて強がりながら、必死で手伝ったくれた。俺は思いつきでわがままばかりのヒナをなんとかうまくやりこめながらも、肝心なときに彼女が問題を抱えたらもちろん真剣に助けるつもりでいつも身構えてた。彼女が触れてほしくなさそうなことは決して口にしなかったし、事情を追求したりもしなかった。彼女は俺の喜ぶ顔を見て、一緒に喜んでくれた。もうすぐ夏が終わる。

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