「果てしなき流れの果に」
SOL29
網野が用意したヘリコプターで車を追った。正確には、行き先は分かっているので先回りだ。黒石が言ってたことだけど、アンドロイドからセキュア・チップを取り出すには特殊工具が必要で、だったら行き先はひとつしかない。研究所だ。
「ソラくん。これでよかったの?」
操縦席の網野。俺は晴れやかな表情で応えた。
「はい」
首をかしげる網野。ヘッドセットでおさえられた銀色の髪が揺れた。
「なんかスミマセン。俺のわがままに付き合ってもらっちゃって……」
「フフフ。こんなこと、いつ思いついたの?」
「掴みかかったときです。黒石って男、アンドロイドでした」
なるほどね、とこの一言ですべてを理解したようにうなずく網野。俺は少し得意げに鼻をすすり、説明してみせた。
黒石に掴みかかったときに感じた違和感の正体はこれだった。黒石の身体はヒナと同様、遠隔操作のアンドロイドだ。パウリ病の俺に触られたせいで、今頃あいつは研究所に向かう車の中で不具合を起こしてるだろう。ヒナの身体を取り戻すために、一芝居うったのだ。
「ある意味で、ソーシャルエンジニアリング攻撃なんです。ほら、サイバーだけ守ってもダメって言ってたでしょう? あれと同じ」
奇病にこんな使い方があったなんて、自分でも驚いてる。
「敵をあざむくには、まず味方からってことか。フフ。でもまさか、ソラくんがあんなに演技派だったとはね」
「もう! 言っときますけど、怒って掴みかかったとこまでは、素でしたよ!」
網野は珍しくケラケラと声を出して笑った。頬にちいさなえくぼができて、なんだかいつもよりずいぶん幼い印象。
「んあー、ヒナにも見せてあげたかったな、あの泣き顔!」
やめて。
俺はヒナの
網野の手元のタブレットに映るヒナのアバターに声をかけた。
「ヒナ、どう? そっちから見えた?」
『見えてるよ! カメラアイをONにしてみたけど、真っ暗! まだ箱の中だあ!』
箱の中で手足が物理的に拘束されていて、サーボモーターの安全装置がはたらいてしまうようだった。
『アハハハ。なんか変な気分。隕石じゃなくて私を追いかけるなんて!』
いつもと変わらぬ陽気な声。アニメ調のアバターも笑顔をつくる。網野も手を口に当てて楽しそうに笑った。
ヘリはあっという間に車を追い越し研究所に先着した。網野の居室にこもり、アンドロイドから送られてくる映像を見守った。
「見て! 開いたみたいよ」
網野が指差した画面に、見たことのない天井の映像が送られてきた。
「どこですか、これ?」
と尋ねるも、彼女にも見当がつかないらしかった。
ヒナがアンドロイドの集音マイクで拾った音をこちらに転送してくれた。旧友との再会を祝うようにフランクに挨拶しあう2人の男の声。1人は黒石で間違いない。出迎えた相手の陽気な男は――ロッドか!?
「まさか、ロッドが黒幕?」
網野がやけに楽しそうな声をあげた。ヒナがそわそわして
『どうする? あたし、動けるよ? 今すぐ逃げ出す?』
と言い出した。
「いや、もう少しだけ、様子を見よう」
周辺の状況が分からないまま動くのは危険だ。
やがてアンドロイドは2人の手により木箱から慎重に取り出され、今度は金属製の頑丈そうなハンガーにワイヤーで固定されてしまった。まずいな。俺は少し焦りを感じたが、今はどうすることもできなかった。
「揺れてますね」
「そうねぇ。これは、宙吊りになってるわね」
カメラアイの映像がゆらゆらと揺れた。
仕方なく、俺たちは耳をすませた。
カチャ、カチャリ、カタン、という冷たい金属音。たぶん、工具か何かをステンレスの作業台に置いたときの音だろう。手術でもしているかのように不気味だ。
しばらくして、黒石の驚く声が聞こえてきた。
『何故、電源がONに? 無線通信も入っているぞ?』
万事休す――。
背中に冷や汗を感じた。
手元のタブレットの中でヒナが焦る。
『やばいよ! 逃げなきゃ!』
まてまてまて。落ち着けって。
一刻も早く遠隔操作でアンドロイドを逃したいのはやまやまだけど、固定されている状況が分からなすぎる。たぶん今アンドロイドを動かすのは危険だ。
画面の向こうでロッドの「don't know」というとぼけた声が聞こえ、黒石は落ち着いた声で彼を問いただした。
『ロッド。お前なにか隠してるな?』
無言で返すロッドに黒石は、フンッと不機嫌そうに鼻息を荒げながら作業に戻った。
『君の心配は知っている。なぁに悪いようにはしないさ。こうやって有線アクセ
そこで音声も映像もぷつりと途絶えた。
「ヒナ? どうした?」
『こっちからも見えなくなった。強制ログオフさせられた……かな?』
「は?」
『うあ、再ログインできない! ロックされてる。どうしよ。気づかれちゃったかな?』
網野の話では、アンドロイドの制御系に有線でログインすると、それ以外のユーザーは使用中であっても遮断されてしまうしくみのようだった。黒石の細工というよりは、設計上そうなっているだけなのだろう。でもこれは想定外だった。
「まずいな」
俺が一旦落ち着いて考えよう、と頬杖をついた次の瞬間、その右手を網野がぐいと引っぱり、そのまま部屋の外へと連れ出した。
わけも分からずとにかく網野に続いて廊下を走り始める。同時にタブレットの中のヒナが網野の名を叫んだ。
『網野、確認急いで!』
「分かってるって! フフッ。人使い荒いなぁ……」
ああ、この流れ、前に来たときもエレベーターまで走ったな。
いや。いまはまだ感傷に浸ってる場合じゃない。俺は首をブンブン振って余計なことを考えないようにした。ひたすら走る。
『細かい位置情報、あとで送るから! まずは現場百遍でしょ?』
「フフ。
阿吽の呼吸で、2人の間には何かが約束された。あいかわらず俺には何の説明もないままだ。
研究棟を飛び出した俺たちを待ち受けていたのは降りしきる夏の雨。
「よっしゃ」
気合一発。俺たちは傘もささず、ただひたすらに走った。
走って、走って、走って――。
ふと、何のために走っているのか見失って立ち止まり、思い出してまた走る。網野が長い髪をゴムで一本に縛り直した。水滴が滴る。
はぁ、はぁ、はぁ――。
肩で息をして、髪を振り乱して、アンドロイドの元へ急いだ。
送られてきた位置情報を頼りに、ようやくたどり着いた実験室。勢いよく扉を開けたびしょ濡れの俺たちを「オーマイ……」とロッドが呆れ顔で出迎えた。
黒石は俺たちに驚く素振りも見せず、落ち着いた声で言い放った。
「ちょうどよかった。君たちに聞きたい事がある。不思議なことに、この
これは「怒らないから言ってごらん」と言っておいて本当は怒る大人の口上に違いない。俺は無言のまま黒石を睨み返した。
目の前には、アンドロイドの
「アンドロイド、解体するんじゃなかったんですね?」
「解体? フッ、あれは方便だよ。君を諦めさせるためのね。大事なアンドロイドに、そんな手荒なことはしないよ」
まあそうだろうな。俺は心のなかで悪態をついた。
家から搬出するときの、木箱にアンドロイドを収める彼の慎重さといったらなかった。あれは捜査官の手付きじゃない。俺が見たのは、ロボット研究者のそれだった。研究に興が乗って自身の身体もアンドロイド化してしまったとかかな?
「セキュア・チップはどこだ?」
黒石がいっそう険しい顔をした。でも、もはや怖くはない。
「知りません。ちゃんと探したんですか?」
「は? 俺を誰だと思ってる!」
「探しものが見つからないのは、探し方が悪いからですよ!」
親や先生に言われたことを思い出しながら、嫌味たっぷりに叫んだ。
これは思いのほか、スッキリした。
「ふざけんな! アレがないと、火星の石は助からないんだぞ!」
「フフフ。仕方ないわね。ソラくん――」
網野はそこで溜めてから
「あれ、出して」
とウインクした。俺はすぐにポケットからペンダントを取り出す。ヒナが「私の心」と大事にしていたものだ。
光にかざすと透明な樹脂の中にキラキラ浮かぶ、虹色の粉末。そのうちの1つが、マイクロチップなのだという。
「それをよこせ」
「ごあいにく様。チップはデジタル割符にしてあるから、これだけじゃ鍵として機能しないわよ」
「網野ォ。謀ったな! いつそれを?」
黒石がいよいよ語気を強める。網野は雨に濡れた長い前髪を耳にかけると、フフフと得意げな表情で応えた。
「JPLから譲り受けてすぐよ。ヒナに
「――分かった。設計ミスなのは認める。とにかく、それをこっちに!」
「
「は? ――――――クックック。がぁーはっはっはッ。これはやられたな。セキュア・チップを人質に
黒石はわざとらしく顔を押さえ、天を仰いだ。
「そうよ。文句ある?」
「OK。いいだろう。そもそもNASAの依頼はアンドロイドの回収じゃない。だが先に動作確認だ。割符のもう片方はどこにある?」
網野がロッドにウインクで合図すると、彼もまたゴキゲンな顔でウインクを返した。
「ハッハ。それでは、ご案内しまショー」
ロッドの案内でエレベーターに乗り、俺たちはぞろぞろと地下を目指した。網野の話では、特殊な実験室で厳重に管理しているのだという。
雨で濡れて冷えたせいか、網野はノースリーブの肩を震わせていた。そして彼女がくしゅん、と可愛いくしゃみをエレベーター内に響かせると、黒石は何も言わず上着を差し出した。
「あ……ありがと」
「オウ」
2人とも、つきあい始めの高校生みたいにぎこちない。一体どういう関係なのか。俺は思わずニヤリと笑ってしまった。
実験室のある区画に入ると、まず準備用の小部屋があり、重厚な扉の向こうにチップの保管されている奥の部屋があるということだった。俺は分厚い扉の向こうに網野とロッドが消えるのを見届け、準備室のイスに腰掛け待った。隣には無言の黒石。話すことなどなにもない。ひたすら空調の音を聞いて2人の戻りを待つのは永遠に感じた。
しばらくして、プラスチックケースを小脇に抱えた網野が主室の扉に立つと、黒石は彼女に呼ばれ前に出た。
「黒石……さん。ソラくんからは言いにくいと思うから、私がきっちり言っとくわ」
「アン? 何だ?」
「NASAの依頼がどうであれ、正直、あなたと一緒に仕事をするのは気乗りしない。やり口も、態度も苦手。でも、たぶん火星の石を取り戻すには、どう考えてもあなたの助けが必要。私達はセキュア・チップを持っていても、軌道修正さえできないのだから……」
網野らしい論理的な帰結。彼女が黒石の前にすっと手を差し伸べると、彼はぎこちなく応じた。
「フッ。いいだろう。
瞬間、網野が彼の手をぐっとつかみ、そのまま思い切り部屋の中に引きずり込んだ。
「がああぁ」
黒石はあっという間にバランスを崩し、鈍い音ともにそのまま部屋に頭から倒れていった。網野はその反動を使って、ひょいと勢いよく扉の外に飛び出す。
「何をする!」
状況が掴めていない黒石。俺はロッドと協力して分厚い扉を力いっぱい押して、押して――なんとか閉じた。金属製の頑丈そうなドアロックをがちゃりとかける。もちろん中からも開けられるが、反応はなかった。
扉につけられた目視用の小窓から恐る恐る中を覗く。黒石アンドロイドは、さっき見た姿勢のまま、床に倒れて完全に沈黙していた。突然のことに、自律制御への切り替えも間に合わなかったのだろう。
電波暗室――。
実験室は外部からの無線通信が完全に遮断されており、そのせいで黒石のアンドロイドは遠隔操縦できなくなってしまったのだった。
扉を背に、フウ、とようやく一息つけた。網野はイヒヒと八重歯を見せて笑った。
「「大成功!」」
俺たちは声を揃えてハイタッチした。
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