SOL36
夏が終わる。
先週までの暑さはどこへやら、昼休みの校舎を抜ける風はかなり涼しくなった。どこまでも高い空。澄んだ青に一筋のきれいな白い飛行機雲がかかる。ヒナと出会った日も、別れた日も、こんなふうに青を見ていた。一緒に過ごしたのはほんの1ヶ月のことなのに、とても長い時間を共にしたように思える。
賑わう購買部で、目当ての焼きそばパンを手にすると、見知らぬ女子生徒が1人えらい勢いで走り寄ってきた。
「うわっ、こっちに来るぞ!」
あれ? 前にもこんなことを口走ったっけ――。
あるいは映画や小説で見た光景か。
登校初日にぶつかった転校生と、新しい恋が始まるパターン。なんて考えたが、ここは見通しの悪い通学路じゃなく、広々とした廊下。出会い頭の衝突の可能性はない。しかも朝じゃないので「遅刻遅刻〜」なんて言ってくるやつが、いるわけが――
「遅刻ちこくぅぅう!」
いた。
さすがに食パンはくわえてなかった。むしろ買う前。
彼女の走っている理由はだいたい予想がつく。それは、俺の手の中にある、学園名物たっぷり焼きそばパン。今日最後のひとつ。
「あああ、それ、あたしの!」
息を切らす少女の口から、どこかで聞いたセリフが飛び出す。俺は思わず「はて」と首をかしげた。
「ねぇ、きみ、えーと、どこかで会った?」
目の前の少女は頬をふくらませて不満そうにした。知らない顔だが案外かわいい。
「アハハ。ねぇ、これ、ゆずってくれない?」
彼女の細腕がむんずとパンの袋を引いていた。
「は? いやいやいや。これはいま俺が買ったの!」
「そ、そんなぁ……チョー美味しいからって急げって言われて来たのに……」
「あのな……」
彼女はまだ俺の目を盗んでパンに手をのばそうとしている。油断もスキもあったもんじゃない。諦めが悪い。俺が後ずさりすると、彼女も一歩、また一歩とついてきた。なになになに? そんなに食べたかったのか。彼女の後で栗色の髪をさらりとまとめたポニーテールが元気よく揺れた。
「ふーん。リアルは案外けちだなぁ。やっぱ顔か……ちぇっ」
ようやく諦めてくれたのか、彼女は肩をすくめてその場から何事もなかったかのように立ち去ろうとした。
「リアル? 顔? どういうこと? ていうか、見かけない顔だね。1年生?」
俺が詰め寄ると、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
見れば活発そうなわりにあまり日焼けしておらず、透き通るような白い肌。人懐こい瞳はうるうるとし、1年生にしても幼く見えた。照れ隠しなのか彼女はニッと八重歯を見せて笑い、ペコリとお辞儀をした。
「あっ、あの、こんどロボット科に転校してきた、2年の鷹野です」
突然に礼儀正しい。さっきまでの焼きそばパン争いは何だったのか。
あっけにとられた俺は、彼女につられてペコリと会釈した。それを狙ってたかのようなタイミングで、リクが現れる。
「なかなか手が早いなソラ。ロボット科、来る気になったか?」
サッとリクの後ろに隠れる少女。なんか怪しい――。思わず彼女の動きを目で追った。リクのシャツを掴んで背後に隠れながらも、彼女は時折イヒヒといたずらっぽい顔をのぞかせ、こっちの様子を窺っていた。
この声、この態度――。
アハハと笑い、思いついたらすぐ行動。予想どおりに予想外。
「――ヒナ?」
「マジか!?」
リクも目を丸くして振りかえった。
「ヒナだろ?」
無言のままの少女。
「ヒナだろ?」
もう一度、問い詰めると、とうとう観念してリクの背後から飛び出してきた。
「――ちぇっ。バレちゃったか……アハハ」
「なんで!?」
「エヘヘ。会いに、きちゃった……」
思いついたらすぐ行動、ってこと? まったく、今まで連絡もなしに、いまさら何なんだよ。
「それうちの制服だろ? ほんとに転校してきたの?」
「そだよ。アハハッ。驚いた?」
予想どおりに予想外――。
「変、かな……?」
彼女はスカートのすそを持ち、ダンスを踊るみたいにくるりと回ってみせた。
「少しずつ、外の世界に慣れるのも、悪くないかなあって思ってさ……」
ヒナには聞きたいことも話したいこともたくさんあった。でも、この時ばかりは、次に会ったら伝えようとずっと思ってたことが、すぐに口から飛び出た。
「変じゃないよ――むしろ、尊敬してるんだ! あのときキミが勝手にいなくなっちゃったから、言えなかったけど」
「ありがと……。ソラ、ごめんね。待たせたね」
「ガッハッハ。ヒナ! おかえり! あれ? 違うか……? ワハハ。まあいい。とにかく、みんな待ってたんだぞ!」
リクに肩を組まれ、照れくさそうにするヒナ。彼女の新しい
「新しいの手に入ったんだね。よかった」
「うん、あのね……そのことだけどさ」
「ああ、いいよ。余計な詮索はしない。
「あ……うん。そうじゃなくて。あのね、見た目が変わったとしてもね、アンドロイドのときに繋がりを持った人がいる所に、まずは出ていくのがいいだろうって、診てくれてる先生に言われたの」
「そっか――うん……良いと思う」
もう一度だけ、彼女の頭のてっぺんから足のつま先まで眺めた。うん。良かった。どんな形であれ、こうして再会できて嬉しいよ。そういうふうに直接言えないものだから、俺は精一杯ニコニコして彼女を見つめた。
「お昼ごはん屋上で食べるんだけど、一緒にどう? ミッチーも来るよ」
「いいね!」
俺たちは競いあうように階段を駆け上がった。今回は〈賭け〉はしないみたい。屋上に出ると、ヒナは暖かな日差しに髪を輝かせ、んああぁと伸びをした。
さあ食べるぞという段になって、ヒナがよろよろとフェンスにもたれかかった。どうしたんだろ。新しい
「う、うん。なんだかおかしいな。のぼせたかも。ちょっとフラフラする……」
俺はよろめく彼女の肩を抱いた。
――大変だ、温かい!
「オーバーヒート?」
この様子だと、内部は相当に高温になっている可能性が高い。そう直感した俺は、「じゃ、とりあえず再起動?」と声をかける。
「う……ううん……」
いまいち歯切れの悪いヒナ。
「エヘヘ。ゴメン。恥ずかしいよ……」
「何をいまさら。一緒に風呂入った仲じゃん。じゃあ、ボタン押すぞ」
何かおかしい。いつもと逆だけど――。
妙な胸騒ぎがしたけれど、これはたぶん再会のせい。いまはアンドロイドを冷却するのが先だ。なに、大丈夫。もう手順は分かってる。あの暑い夏の日に、出会ったときも同じことをしたんだから。俺は彼女の背後に回り込み制服のブラウスの裾から手を忍ばせた。
「あ……ちょ、ちょっとお」
あれ? 今日は下着つけてるの? という決定的な違和感があった時点でやめておけばよかったのに、俺はそのまま電源ボタンを探してしまった。
「あれ? おかしいな、ボタンが見当たらな
「くぉーらぁああああ! ソラァ! あんた何してんのよぉおおお!」
階段室からノゾミが鬼の形相で飛び出してきた。
「ミッチー! ちょ、待ってくれ! ほら、ヒナだってば! アンドロイド!」
むにゅ――。
電源ボタンがない。とても柔らかい。とても温かい。
(まさか……)
さぁぁっと一気に血の気が引いた。ちょ、ちょっと、待て待て待て!
「きゃあああああああああああああっ!」
悲鳴を上げたのは俺のほうだった。
すぐ彼女のブラウスから手を抜いて平謝り。ごめん、ほんとごめんなさいっ。なんで? どうして? いつから?
そもそも、焼きそばパンを買いにきていたという時点で、アンドロイドではないと気づくべきだったのかな。
「……」
顔を真っ赤にして立ち上がったヒナに、ノゾミが駆け寄った。
「ほんとに、ヒナちゃん? ナマの?」
「――えへへ。そうだよ。ノゾミちゃん、会いたかったよ!」
「おかえり! 何も言わずにいなくなっちゃったから、心配してたんだよ!」
どちらからともなく抱き合う2人。ノゾミはヒナの身体をあちこち触っては、まだ信じられない様子だ。そうして、ボロボロと大粒の涙をこぼすリクを横目に、2人はキャーキャー笑いあった。
「ねえ、聞いてよ。ソラがさぁ……。もうあたし、お嫁に行けないよぅ……くくくっ」
「はいはい。よーく見てたわよ。ほんっとに困ったやつね。完全変態。わたしからきつーく言っておくから」
「ちょっ、誤解だってば。ミッチー。俺はてっきり、新型の――」
「問答無用!」
こうして、俺たち4人は4人に戻った。
新しい4人になった、と言うべきか。
俺はなくしていたものを見つけ、ヒナはもう居場所を探さなくなった。
「ねぇ、ソラ。もう1回だけ、あたしに触って?」
ヒナは何か思いついた顔で歩み寄ってきて俺の顔を覗き込み、イヒヒと笑った。
「サービス精神はもういいってば」
「違うって。手!」
「あ、手ね」
そりゃそうだよね。なんだか恥ずかしい。迷っているとノゾミとリクが早くしろと急かしてきた。俺は思い切ってヒナの手をとった。
温かい手が、くっと俺の手を握りかえす。
屋上を通り抜ける爽やかな秋風で、彼女の長い髪が鼻先でゆれた。シトラスの香りがふわっと漂い、俺は彼女の手を引いて歩きだした。
「ヒナ、おかえり。それから――ようこそ」
―おしまい―
君のなくした火星 嶌田あき @haru-natsu-aki-fuyu
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