SOL8

 ヒナから「隕石発見♡」と連絡が入った頃、俺たち3人は自動操縦のヘリで研究所に帰ってきて、網野の居室にいた。大量の本が雑然と並ぶ部屋というありきたりな想像は、実験室に続いてここでも見事に裏切られた。

 ほこりひとつ落ちていないどころか、本の一冊もない。白壁に囲まれた無機質の空間に透明アクリルのテーブルと、巨大な寒天のようなローソファーだけがぽつんと置いてある。あとは本当に何もない。物もなければ情報もない。人が使っている気配さえもないただの白い空間がそこにあり、およそ生命の研究をしているようには見えなかった。

「うわっ、なにこれ。ふかふかじゃん!」

 得意の人懐こさで、リクは網野となんとか打ち解けようと努力している。

「このイスなにで出来てるの?」

 同い年とはいえインターンの受け入れ先でもある網野にタメ口で話すのはちょっと気が引ける。リクはそんなのお構いなしである。

「シリカエアロゲル」

 網野は銀髪をかきあげながら、気だるそうに応じた。少し低めの声に反して目はキラキラと興味深そうにリクを見つめ、その表情は明るかった。

 めんどくさいのかそうでないのか読み取れない。ある意味ポーカーフェイスか。

 そんな彼女から「どうぞ」とガラスのコップが差し出された。リクは「ちょうど喉が乾いてたとこ」なんて言わんばかりにその透明な液体を一気に飲みほした。

「ぐぇ、なんじゃこりゃ!! コーヒーだ!」

 リクの叫びに、網野がニヒヒと笑った。どうみても、実験につかう試薬にしか見えないんだけど。

「おまえよく飲んだな」

 彼女によると、特別な膜で濾過すると作れるらしい。

「――さてと、お遊びはこのくらいにして」

 網野がそう言い終わると同時に部屋の床と壁が暗転。俺たちは突然、宇宙空間に放り出された。

 どうやら、壁面全てに映像が映し出され部屋そのものが没入型ディスプレイとして作られているらしい。テーブルやイスが透明なのはこのためだった。

 真っ暗な宇宙をふわふわと漂う浮遊感を楽しんでいると、やがて足下に太陽とおぼしき黄色い星が光るのを見つけた。

「フハハハハ。よく来たな。生命誕生の秘密に仕える下僕たちよ。さぁ、ひざまずくが良いっ。いでよ、太古の地球ぅううう」

 唐突に叫ぶ網野。なにこの人? また中二病スイッチ入ったのか?

 足元には原始の地球が映し出された。その大地に降り立つと、もやもやと視界は不鮮明で、所々ぐつぐつとマグマが煮えたぎっている。

「すごーい。魔法みたい!」

 とノゾミは大はしゃぎ。

「ここではね〈生命の起源〉について調べているの。私たちが、どこから来た、何者なのかを探す旅」

 暗くてよく見えないが、網野のドヤ顔は容易に想像がついた。そろそろ魔法陣か何かを描きだすころじゃないかと思って、彼女のいる暗がりをじぃっと見つめた。

「私の専門はね、ダーク惑星プラネットのダーク生命ライフなの」

 こ、これまた、香ばしいな。俺は無性にニヤニヤした。だいたい、何でも英語にすればいいってもんじゃない。

 聞けば〈ダーク惑星プラネット〉とは、これまで地球外生命探しで誰も注目してこなかった天体のことを指すらしい。要はこれまで液体の水がないからと生命探査の対象外だったマイナーな星ってことだ。

「火山活動に水蒸気の噴出、氷の下に広がる海の可能性まで考えると、ビッグになる可能性、まだまだあるとおもうけどね」

 網野は長い銀髪をなびかせて得意げに笑った。売れるずっと前からファンだった推しのアイドルを紹介するような感じかもしれない。〈ダーク生命ライフ〉っていうのは、そんな氷の下の暗闇で生活する生き物のことをそう呼ぶそうな。

「地球上のすべての生物にはね、たったひとつの共通祖先〈コモノート〉がいると考えられているの」

「すべての、ですか?」

 ノゾミが聞くと、網野は優しく

「そう。人間も、ネズミも、魚も、恐竜も、植物やキノコだってそうよ」

 なんて答えた。

「さてそこで問題です」

 網野が暗闇からにゅっと顔を出し、俺の鼻先にひとさし指を突き出し詰め寄ってきた。うわっ、何なんだよ一体。

「あなたには親がいるでしょ? その親、そのまた親、とずうっと遡るとどうなる?」

「えっ……だから、さっきの〈コモノート〉にたどり着く?」

「はい。それで、ソラくん。じゃあその〈コモノート〉はどこからきたわけ? 親は? その親は?」

 うわ、性格わる。なんだよその小学生みたいな質問。

「――どこかで、生命じゃなくなって、ただの分子になっちゃうと思わない?」

 まてよ、言うとおりだ。よく考えると、たしかに気持ち悪いぞ――。

 背筋にゾクッというイヤな寒さが走る。思わずゴクリとつばを飲み込み、口に手を当て考えた。

 俺が親から生まれたのはわかっているし、その親にだって親、つまりじいちゃんばあちゃんがいたのもわかる。

 そんなふうに膨大な数の祖先が足元にいて、その鎖を何億年ぶんもたどっていくと共通の祖先〈コモノート〉にぶちあたる。でもそこでぷっつり切れてしまい、もうそれ以上先に行けない。何もない。あるのは闇だけ。

 そこから地球史の水面を見上げれば、俺なんてただそこを落ち葉のように漂っているだけ。行方知らずの根無し草みたいなもんだ。

 それは別に俺だけじゃない。ノゾミもリクも地球上の生命みんなが、そうなのか。

「――フフ。わかった? 私たちはどこからきたのか、わからない……きっとみんな同じものをなくしちゃったのね」

 網野の言葉で部屋は太古の地球の海に潜り、やがて真っ暗な海底にたどりついた。足元のでこぼこした岩肌のあちこちからは、ゆらゆらと何かが吹き出しているのがうっすら見えた。

 網野は床に映る映像を興味深そうに眺めているノゾミに近寄った。

「生命の身体をつくる材料もエネルギー源も、たしかに太古の海にあったわ。でも、単なる有機物のスープから、いきなり生命は生まれないわ」

「まあ、そうですよね……。菌っていっても、立派な生物なわけだし」

「さすが、生物部部長! そう〈コモノート〉はね、すべての機能をちゃんと持った生命だったの。今の生命と比べ何も見劣りすることのない。だから私たちは、物でも生命でもない、中途半端な〈ガラクタ生命〉が〈コモノート〉の前に地球に出現してたんじゃないか、って考えてる」

 ようやく話の全体像が見えてきた。

 研究所について最初に見た銀色の不格好な実験施設は、太古の地球環境と同じ状況を作り出して、そこで生命が作られるかを再現する実験装置だという。そして、ヒナを雇い隕石を調べるのも、〈推し惑星〉がタイタンなのも、そこに生命の痕跡を探すためだった。網野の言葉では「生命の起源のためなら、犯罪以外はなんでもやる」が、ここの方針らしい。

 みんな根無し草で、みんな同じものを探している。そう思うと、なんとなく胸のつかえが取れた気がした。

「質問は?」

 という網野の言葉にさっそくリクが手をあげた。

「あの、ずっと聞きたかったんだけど……」

「どうぞ」

「チラシにあったJKというのはヒナと、もうひとりはどこに?」

「目の前にいるでしょ」

 大きく胸をはる網野。

「は?」

「私。ここでの職位、准教授」

 ぽかんと口を開けたまま二の句がつげないリク。俺とノゾミがアハハと笑う様子を見て、網野も八重歯を見せてニヤっとした。

 そういえば隕石騒ぎがあって、ここに来た目的をすっかり忘れていた。今なら火星のことについて、母さんのことについてさらっと聞けるチャンスかもしれないな。うん、きっとそう。

「あのっ、火星……火星について教えてくれませんか?」

「ん?」

「俺、母が何のために火星に行ったのか全然知らないし、事故のことも詳しく知りたいっていうか、このままってのもイヤで……。ガラクタ生命と、何の関係があるのかもよく分からないですけど。あ、いや、だから何でも構いません。火星のこと、教えてもらえませんか?」

 網野は眉をピクリとさせ、無言のまま俺の顔をじっと見た。そうして思わせぶりにしばらく沈黙したあとで

「……っ火星は、いいよねぇ!」

 なんてニコッと笑った。なかなか珍しい彼女の笑顔。何かを認められた気がして、妙な嬉しさを感じた。

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