SOL11

 なくしたものが見つからないのは、探し方が悪い――。

 親や先生に言われた言葉を思い出しながら、ひたすら東通りを走った。ヒナが行きそうな場所。必死で考えたけど、ぜんぜん思い当たらない。

 彼女のことをほとんど何も知らない自分がいた。聞いてもいないことをべらべらと口にしていた彼女の話。いまさら、右から左に聞き流してしまっていたのを後悔した。

「ヒナだったらこうするだろうな」なんて予測ができるような、確たるものは俺の中には何も残っちゃいない。

 何やってんだろ。人が死ぬわけでもなし、アンドロイド1体どうなったっていいだろ――とは、どうしても思えなかった。行動が予測できないのは、彼女のことを分かってやれない、よく見てもいないせいだ。昨日までの俺を呪った。

 蒸し暑い計画都市の夕暮れ。まっすぐな道路が無機質なオレンジ色に染まっていた。雲行きが怪しいなと思ったあたりから、急に鳴くセミの種類が変わった気がする。こころなしか埃っぽい匂いもした。車通りは多いのに人影はゼロ。雨が心配だ。

 はぁ、はぁ、はぁ――。

 赤信号で立ち止まり、息を整えてはまた走り出す。吹き出す額の汗をTシャツの肩で何度もぬぐう。

 はぁ。はぁ。はぁ。

 汗をかかないヒナの顔を思い出す。

 なんでだよ。どこ行ったんだよ。

 諦めかけてダメ元でむかった川原に、ようやく彼女を見つけた。息が切れて胸が苦しい。それでも歯を食いしばって勢いよく土手を下り、ぽつんと寂しそうに座り込む背中に声をかけた。

「はぁ、はぁっ……。――良かった。心配したんだぞ!」

 たぶん俺、半分泣いたような顔だとおもう。そのせいなのか、彼女はあっけらかんと笑った。

「あ! ソラぁ! アハハハ」

「あ、あのな……」

「ごめん。日が暮れるまでには、戻ろうと思って」

「ウソつけっ!」

 冗談が言えるほどの元気な様子に、ホッと胸をなでおろす。ポケットからペンダントを取り出し、ぐいと彼女の眼前に突き出した。

「ほら、これ。大事なものなんでしょ?」

「ソラに、あげたつもりだったんだけどナ」

 引っ込めないでいると、彼女は「ありがと」なんて恭しく会釈して、そのペンダントを愛おしそうに受け取った。器用に首からかけて、それからまた金色にゆれる水面に視線を戻した。

 やれやれ。

 俺は頬の力をゆるめ、彼女の隣に腰をおろした。

「――ねぇ、あたしのこと、どう思ってる?」

「どう? アンドロイドだと思ってる」

「い、いや、そうじゃなくてさ! ――うっとおしい? いないほうが良い? 邪魔? ……だよね?」

「思ってないよ」

「ほんとう?」

「本当!」

 語気を強めると、ヒナが俺の顔を覗き込んできた。透き通ったカメラアイに見つめられ、その奥にいるまだ見ぬヒナともばちっと目があったような気がして、なんだか恥ずかしくなってしまった。

「さっきは、ゴメン。あんな怒ったりして。――俺、どうかしてた。キミがアンドロイドの奥から出てこれないのをいいことにしてさ……」

 ほんと、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。ぽりぽりと後頭をかいた。

「ううん。悪いのはあたし。砂時計、壊してしまってごめんなさい」

「もういいって……どうせ、本物じゃないんだ。火星の砂……」

 そのへんの小石を手に取り立ち上がり、川面にむかって投げた。

「ホント、うっとおしいなんて1ミリだって思ってないから」

 アンダースロー気味に投げる。金色の上で1……2……3回跳ねる。

「むしろ、なんていうか――楽しいよ。昔からの友達みたいな感じ」

「3人の仲に入って邪魔じゃない?」

「ないない! ミッチーとリクの楽しそうな顔、おまえも見たろ?」

「……そっか……うん。ごめん」

 もう謝ることなんてないのに――。

「……うぁ……あ、あたし、本当に、どうしたらいいか、わかんないや……。ゴメン、ごめんね、ソラ……」

 慌てて彼女を振り返る。瞳からは涙一滴こぼれちゃいないんだけど、すぐそこから聞こえてくる声は震えてて――泣いてる。えっと、こういうとき、どうすればいいんだ?

「うあ、ええっと。えと、えっと――あ、そうだ。ハンカチ! ほら」

「……ありがと」

 せっかく渡したハンカチを彼女は受け取らずに目を閉じ黙っていた。俺も無言のままいると、彼女は急にお腹を押さえる仕草をした。

「――くっ、くくく……」

「えっ? 何? 俺なんか変なこと言った?」

「アハハハっ……だめだ。お・も・じ・ろ・いぃい……ひぃいい」

「え?」

「アハ。ハンカチ! 涙、ふけないってば! アハハハ……」

 ざざぁっと夕立みたいに泣いたかと思うと、次の瞬間には昼の太陽みたいにキラキラと笑っている。今はどんな顔をしてるんだろう。アンドロイドの向こうにいる彼女のことが、もっと知りたくなってしまった。

 ヒナはさんざん腹を抱えて笑ったあとで急に真顔に戻り、ポツリと口を開いた。

「あたしね、なくしちゃったものがあるの」

「なくしもの?」

「そう。ここに居てもいい理由」

 言っていることが、いまいちピンとこない。ごめん。多分俺の人生経験値が低すぎるせいだと思う。たぶん彼女は俺よりもずっと大人なんだろうね。日頃の小学生みたいな振る舞いに反して。

「水切り、やってみる?」

「できるかなァ」

 ちょっと投げやすそうな小石を見つけ、そっと手渡した。

 さらりと流れるライムグリーンの髪。手が触れる距離に立つとわかる、シトラスの香り。最初に会ったときと同じタンクトップとカーゴパンツ姿が、夕日のせいでどこか寂しげな雰囲気。

「あたしさ。ひきこもりなんだ……もう1年くらいになるかなぁ。家族以外、リアルで人に会ってない」

 そう言うと、ヒナは大きく振りかぶって、ひゅっと小石を投げた。

 ぽちゃん、と小波を立てたところで、そのまま水に沈んでしまった。

「でも、大丈夫。今日だって、こうしてソラとも話ができた」

 しんみりとした表情で、ぐーぱーと動かして手のひらを眺めた。

身体これはね、もともとNASAで使われてたものなの」

「NASAって、アメリカの?」

「そう――火星に行ったやつのバックアップ機」

 2年前に地球を発った火星調査隊のうち、母さんを含む5人は人間で、1人はAIの頭脳をもったアンドロイドだった。火星の汚染を最小限にする目的と、もしも未知のウイルスに調査隊が感染してしまった場合に備えて、ということらしい。

「研究所に払い下げられたのを、たまたま使わせてもらえることになったの」

「ふうん……どうりで」

「え?」

「よくできた機体だなーと思ってた」

「アハハ。でも、この身体もあたしと同じ。居場所をなくしてたんだ」

 そう言うと彼女は愛おしそうに自分の肩を抱き、そっと目を閉じた。本当に、よくできている。人間よりも人間らしい、流れるような動き。俺とヒナの間を夕方の風が通り抜け、足元の草がサラサラ涼しげな音をたてた。

 西日でキラキラと輝く彼女の髪を見つめていると、この身体とつながっている遠くの誰かの、寂しそうな顔を思わずには居られなかった。

「寂しい?」

「ううん」

 器用に首を振るヒナ。

「でも、ときどきね、中学のとき仲良かった友達とか、ネットで仲良くなった人とかに、直接会えたらなって思う日もあるよ」

「そっか」

「うん。今日もそうだよ。――ソラに会いたいよ。会って、直接、謝りたいな」

「フフ。大丈夫。キミは十分、謝ったよ」

 ヒナが俺の顔をぐっと覗き込んできて、くくくと可愛らしく笑った。

「ああーキミも何なくして、いま探してるんだねェ? あたし、そういうの匂いで分かっちゃうんだ」

「えっ?」

 なんだって? Tシャツをパタパタしたり、肩のあたりの匂いをくんくんと嗅いでみたりした。

「アハハハハ。そういう、匂いじゃないって!」

「もう!」

「アッハハハ」

「――本当のキミも、そんなふうに、よく笑うの?」

「えっ? 本当の? そ、そうだよ? あたし、変……かな?」

「ううん。なんていうか、ちょっと安心した」

 アンドロイドの奥には、笑うことも笑わせることも大好きで、少しだけ恥ずかしがり屋の、だれよりも心優しい少女がいる気がした。

「俺はさ」

「あ、ちょっとまって。今当てるから!」

「は?」

「んーとね、ソラが探してるのはねぇ……」

 そう言って彼女はすぐ目の前まできて、俺の額に自身のおでこをそっと重ねた。人工皮革の奥のカーボンファイバーの骨格がこつんとぶつかるのを感じる。

「ふーむ。ああーなるほどねぇ。よーくわかるよ……」

 は?

 急に顔が熱い気がする。

「もう! サービス精神はいいってば」

 すぐに肩をもって引き剥がすと、いよいよヒナは頬をふくらませた。 

「――俺がなくしたのは〈根っこ〉かな……。たぶん」

 ヒナは目を丸くして、きょとんと小首をかしげた。

「なんかさ、母親が火星に行ったまま帰ってこなくなっちゃってさ。そんで、親父も小さい時に亡くしてるじゃん。だからもう、俺、なんつぅか、根無し草なんだよ」

「うん」

「ハッカーになりたいなんて思ってたけど、それもこの病気のせいで無理んなっちまったし……」

 さっきヒナがそうしていたように、手をぐーぱーしてじっと眺めた。ヒナはうんうんうなずいて、ただ俺の声に耳を傾けていた。

 どこから来たのか分かんなきゃ、どこに行くかなんて考えられないじゃん。そんなことを言い訳にして、近頃は進路や将来のことを考えるのも避けてきた。母さんが地球に帰ってくるまでは、となんとなく期限は決めてるけど。

「火星から、帰ってくるんだ、今月。たしか……27日」

「マジ? 迎えに行かないの?」

「いや、石が先。人はあとなんだ」

 まず火星で採取された石が入るカプセルがアメリカの沙漠に帰還する予定になっていた。探検隊のほうはというと、いったん国際宇宙ステーション「ゲートウェイ」に留め置かれ、ここで精密検査を受けながら2週間ほど待機したあとで、ようやく地球に帰れると聞いていた。これも地球を未知のウイルスから防護する〈宇宙検疫〉のひとつだそうな。

「砂漠の真ん中に落ちたカプセルを見つけてあげたら、拾った人に1割とか、中の砂くらい分けてくれるんじゃない?」

「あン?」

「ね! ソラもほしいでしょ?」

 思いついたことを口にしないと気がすまないらしい。たしかにカプセルの軌道は分かっているし、大気圏突入時は流れ星みたいに光る。NASAに先んじてカプセルを見つけ出すことなど、隕石ハンターの彼女には造作もないことなのかもしれない。

「ハハ。交番に落とし物を届けるんじゃないんだからさ」

「むぅ……。うまくいくと思うけどなぁ」

「ハハハハ。ま、そう言ってくれるだけでも、嬉しいよ」

 心の中に淡く浮かびつつあった彼女に対する温かい感情を、ぐっと押し殺した。臆病といえばそうなのかもしれないけど、これは俺なりの思いやりなんだ。どうせすぐに別れが来る。それに、とりたてて一緒にいるメリットもない。それでも――。

「ヒナ、帰ろう。一雨来そうだよ」

 灰色の雲がたちこめる西の空を指差す。土手のほうから傘を何本も持ち大きく手をふるノゾミとリクの姿が見えた。それを見たヒナは長い髪を弾ませて喜んだ。

「いいの!?」

「ああ。――だからさ、居場所がないとか、そんなこと言うなよ」

「うれしい!」

「ハハハ。ただし、条件がある――」

「じょうけん?」

 思いがけない言葉にどきりとしたのか、はたと動きをとめるヒナ。何とはなしに俺は彼女の手をとって、瞳をじっと見つめた。

「夏のあいだに、なくしたものを探そう。キミは〈居場所〉、俺は〈根っこ〉を探す。OK?」

「うん。わかった!」

 陽だまりみたいな彼女の笑顔を見て、俺は大きく息を吸った。つらい思いをするのは、きっと自分だけだから。

 彼女は俺の手を握ったまま「おーい」と土手の2人に手をふった。夕立前の埃っぽい匂いと、シトラスの香りが入り混じり、なんだか胸がいっぱいになった。

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