SOL10
翌朝、少しだけ早起きし、リクと連れ立ってジョギングに出かけた。研究所の構内はとても緑が多く、気温もまだそれほど高くなかったので、身体を動かすのにピッタリだった。
1時間ほど汗を流しゲストハウスに戻った。シャワーを浴び、着替えを済ませ、さぁ朝食をとって今日の作業に向かうぞ、というときにヒナが男子部屋に飛び込んできた。
「ねぇ、ソラ! 今日こそはプール行こうよぅ!」
「――あのなぁ。ダメだって」
相変わらず、さっき思いつたようなことを口にする。今日は、Tシャツにデニムのショートパンツ。これもノゾミの服らしい。
「いいじゃん、行こうよ。あ、あたしの水着姿、見てみたくない?」
「いい」
「どうして? けっこうキワドイよぉ。興味ない?」
「――ん、ほんとはちょっとは興味ある」
「うむ。正直でよろしいっ」
タイミングをあわせたようにジト目のノゾミがドアから顔を出し、ゆっくりと部屋に入ってくる。
「ソ〜ラァァ! あんたねぇ……」
「ミッチー! いや、そういう意味じゃないって! たたた、体重とかさ、そう、体重。興味あるんだけど……」
「変態! レディーにそういうの聞く?」
ノゾミが眉をひそめる。
「いや……だって、あのさ。プール浮かないんじゃないかと思って」
ヒナの身体を頭の天辺からつま先まで眺める。
「エヘヘ。バレたか。あ! バッテリー抜けば浮くんじゃないかなぁ……」
とヒナ。
「思いつきかよ。まあ、とにかく、俺らは遊びに来てるわけじゃないんだからさぁ」
「そうなの?」
「そうなの! とにかく、今日は網野さんがクリーンルーム作業って言ってたし、もう行かなくちゃ」
「えーっ」
ヒナは子供のように口をとがらせてだだをこねた。その様子を見ていたノゾミは彼女の肩をもみながら「まぁまぁ」なんて言って、お姉ちゃんっぷりを発揮する。
「明後日はお休みだから、そしたら海でもプールでも行こう」
こういうのは、本当にうまかった。ノゾミの説得に満足したのか、ヒナはニコニコ顔で部屋の中をひょいひょいとスキップしてみせた。
そうしているうちに、ヒナがふと机の上の砂時計に目を留めた。
「これ、なぁに?」
器用に手に取って持ち上げ、カメラアイにかざして興味深そうに眺めた。ああー、見つかっちゃったか。
「火星の砂だよ」
と俺が言うと、彼女は目を丸くした。
「ウッソ!?」
「――嘘。ハハハ。ほんとは、地球の砂」
中の砂はアメリカ・ユタ州の沙漠にある火星有人探査の訓練施設の砂だった。この砂時計は、母さんと訓練を共にしたという同僚の研究者が、事故の連絡のあと少したってから送ってきてくれたものだった。母が踏んだ砂には違いないが、火星のものではない。それは分かってる。
「形見なんだ」
「あ――ご、ゴメン」
「あ、うん。大丈夫。本物の火星の砂は、もうじき帰ってくるらしい。まぁ、俺の手元はこないけどね。ハハハ」
俺が乾いた笑いを浮かべると、ヒナも少しだけ表情をこわばらせた。
そもそも、これが形見と呼べるのかどうかも、よく分からなかった。
「ほんとゴメン。あたし、知らなくて……」
「いーんだよ。砂時計って、なんか好きなんだ。こうやって時の流れを形として見るのって、なんだか特別な神様になったみたいで……落ち着く」
ベッドでゴロンとしていたリクが
「ライナスの毛布、ってやつだな。ガハハ」
とか言いながら、むくっと起き上がった。
「アハハ。ああ、そういうのって、あるよね。――あたしは、これ」
そう言ってヒナは胸元のペンダントを握った。
「これはね、私の心なの」
「えっ? どういうこと?」
ヒナはわざわざ俺の目の前まで来てそれを見せびらかしてから、ひょこひょこと人差し指を振った。
「ひ、み、つぅ――なんでも聞けば教えてもらえるわけじゃないゾ!」
「んだよ、思わせぶりな……」
彼女がくるり舞うと、長い髪がふわっと浮かんだ。そして、ベッドに寝転んで、足をバタバタさせたり口笛を吹くマネをしたり、はしゃいだ。どこか憎めないやつだ。
「がっはっは。事情はよくわからんが、とりあえず今日はここにいろ」
「うん。そうするー。エヘヘへ」
「今日も外は暑い。部屋、自由に使っていいから」
「おいおい、リク」
俺たち3人はヒナを残し、研究室にむかった。
指示された作業は、ヒナが回収した隕石のクリーニングと分析だった。だんだんとインターンらしくなってきたかも。実験室は最新鋭のクリーンルームになっていて、隕石だけでなく、小惑星から採取した石や砂も扱えるということだった。
母さんが踏んだ火星の石や砂が、ここに来ることもあるのかな――。
そんなことをぼんやりと考えながら、指示通りにもくもくと作業を続けた。クリーンルームは空調が効いて涼しいはずなのに、無塵服にマスクで息苦しい。
電子機器を触ることもないので、クリーニング作業は俺が買って出た。こう見えて、細かい作業は好きなほうだ。行きつけのお好み焼き屋のカウンターみたいに3人横並びで作業台に向かうと、両脇からノゾミとリクがときどき茶々を入れてきた。
「割ったら巨大なダイヤモンドの原石が入ってて、一夜にして大金持ち、ってのも悪くないな!」
たしかに、確率はゼロじゃない。
「いや、宇宙恐竜の卵が入ってるかもよ! ナマの!」
そう言ってパチクリするノゾミ。流石にそれはないだろ。
こうやって最高水準のクリーンルームを使うのは、貴重なサンプルを汚さないためだけでなく、その逆の、地球を汚さないためというのもあるらしい。宇宙から未知の病原体が持ち込まれないよう地球を防護するのだ。
網野の説明では、ここは国の〈宇宙検疫施設〉に指定され、生命がいるかもしれない、あるいは、情報が全く不足している天体からの岩石や砂を受け入れ可能だという。
「ミッチー。夢あるね」
結果は網野だって知らないのだ。隕石の中に入っているのが、巨大な宝石か生命の痕跡か、はたまた人類絶滅の引き金となる最悪の病原菌か――。いずれにしても、それを世界で一番最初に知るのは俺たちだというのがなんともくすぐったい。
「おおっ! おい! ノゾミ、ソラ! 見てみろよ!」
リクは隕石のはじっこを専用のノミで突いて割ると2人に合図した。俺もノゾミもチャンバーの小窓に額を押し付け、それをじっと見つめた。
「ちっちゃくてよく見えないよぉ。ねぇソラ、そっち側から見える?」
「ん? よくわかんないな。黒っぽい――。まぁダイヤや金塊じゃないのは間違いないな。ハハハ」
これは、なかなか他では味わえないようなことだった。本やネットで「これは!」とはじめて知るようなことでも、大抵のことは自分よりもずっとよく知る人が世界にいる。学校だってそう。自分の知らないことも先生はたくさん知っているけれど、その逆はめったにない。
しかし、隕石は違った。
世界中のどんな天才物理学者も、何十年と研究している天文学者も、今俺の目の前にある隕石の中から何が出てくるか、誰も知らないのだ。
最後にノゾミが耳かき一杯ほどの小さなかけらを分析装置に入れ、今日の作業は終了。結果は明日までお預けだ。
夕方、ゲストハウスの部屋に戻ると大変なことがおきていた。
「ああああ! なんで!? ヒナ? おまえ何してくれてんのっ!?」
無残に割れた砂時計と、床一面に散らばった赤い砂。
「ゴメン! ほんとゴメン!! ソラが大切にしてるって知ってたんだけど……ソラが、時間の流れが見えるっていうからさ、つい。どんな感じなのかなぁ、って試してたら手の制御が……滑って……」
切なそうな顔でひたすら平謝りするヒナ。いやいやいや、謝れば済むってもんでもないだろ。
「もう! ほんとロクなことしないな! こんななら研究所に来ればよかったのに!」
「ゴメン――だって、ソラが見てる世界を、あたしも見てみたかったんだもん……」
「ふざけんなよ! だから、おまえをここにかくまうのは気乗りしなかったんだよ」
「ゴメン。ほんとうにゴメン……」
頭を深々と下げるヒナに目もくれず、俺はどこへ行くでもなく部屋を飛び出した。なんだか俺が俺じゃないみたいだ。俺はなんでこんなに怒っているのか。もっと別の言い方もあるんじゃないか。そんなことは分かってる。頭を冷やそう。
しばらく散歩して戻ってみると、ヒナがいなくなっていた。部屋の床はきれいに掃除され、砂の入った小瓶と割れた砂時計は机の上に置かれていた。
その脇に、彼女のペンダントがちょこんと添えられていた。その虹色に光る石を彼女がそうしたように握ってみる。ひんやりとした感触を確かめて、それから窓の光にかざしてみると、中に封じこめられている小さな砂粒のようなものが透けて見えた。
(あいつが〈私の心〉とかいって大事にしていたものじゃないか……)
カチャと静かな音で扉が開き、ノゾミが心配そうな顔でやってきた。
「――ソラ。ちょっと言い過ぎた?」
「……うん。あいつに悪いことしたかな……」
ぼんやり眺めた窓の外には、玄関口にある青々とした木が見えた。陰の中で木漏れ日がきらきらと揺れている。
ああ。
彼女に行くあてなんて、ないんじゃないか――。
日は暮れかかってるとはいえ外はまだ相当暑い。どこかでまたオーバーヒートでもして倒れてたりはしないだろうか。だいいち、バッテリーだってそんなにもつように思えない。
ノゾミに促され、ベッドの上を見た。そこには、さっきまでヒナが着ていたTシャツとショートパンツが丁寧にたたんで置いてあった。
「ヒナちゃん、家に帰ったのかな……?」
そう言われても、俺にはヒナがそうするようには思えなかった。だいいち研究所に行きたくない理由もよくわからないままだ。平穏を保とうとする、彼女なりの気づかいなのか?
「ミッチー、ごめん。なんか俺のせいで面倒なことに巻き込んじゃって」
「いいよ。インターンに付き合ってくれたのは、ソラのほうじゃん」
「わりぃ……。一緒に探してくれる? そんな遠くには行ってないと思うんだよね」
「うん。リクにも連絡してみる。いま、駅のほうに買い物行ってるから」
「たのむ。俺は東通りを見て川の方へ行ってみる。ミッチーは西通りをお願い」
「オッケー」
俺たちはゲストハウスを飛び出し、必死でヒナを探した。
日没が迫っていた。
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