SOL6
翌朝、メールに従って〈ガラクタ生命研究所〉にむかった。3階建てくらいの低層の研究棟は、ガラス張りと白く塗られたコンクリート壁のシンプルな構成。張り出し屋根が水平方向を強調してて、なかなかおもしろい建物だ。世界からここだけ切り離されて宙に浮かんでいるみたい。
光あふれるエントランスホールを抜け、左右に実験室が並ぶ長い廊下を進んだ。そこで俺たちを待ち受けていたのは、とても奇妙な光景だった。
「――何ここ?」
実験室のドアに開けられた丸窓を、片っ端から覗き込んでみる。どこ部屋も異様だ。生命研究所というから、てっきり実験用ネズミの檻か、最悪、大量の虫の飼育ボックスが並んでるような部屋を想像していたけど、そんなものは何もなかった。
「おい、見てみろよ、なんか変だぜ?」
ノゾミとリクも興味津々の様子で駆け寄ってきた。
部屋の床はすべて金網。真ん中には見たこともない巨大な装置が置いてあって、その銀色の不格好な装置からは雑然と無数のケーブルがぶら下がっていた。脇のテーブルには、いくつものフラスコをガラス管で繋いだ、これまた手作り感満載の謎装置も見えた。
とてもじゃないが、生物の研究室には見えないね。そう思ってノゾミの顔を見てみると、彼女は眉をひそめているかと思いきや、予想外を楽しんでさえいる様子だった。
「わぁー、すごいね。これぞ研究所! って感じ」
「――ねぇ、ノゾミちゃん。ほんとに、ここ?」
ヒナは器用に腕組みしてそっぽを向き
「ちぇっ、ツマンナイの! プールに行きたい」
なんてだだをこねている。ここに来たくない理由でもあるようで、朝に起動させてからずっとこの調子でご機嫌ナナメだ。
昨夜遅くまで続いたファッションショー(という名のノゾミのお人形遊び)で寝不足なせいもあるかもしれない。もちろん、アンドロイドそのものは満充電でピンピンしてるけど。
ヒナは今日はノゾミの制服を着せられ、ライムグリーンの髪は少し緩めの三編みだ。これもたぶんノゾミの仕業だろうね。それはそれで可愛いのだが、本人はご不満の様子。これがご機嫌ナナメの元凶か? 女子はよくわからん。
「ここのはずなんだけどなぁ」
ノゾミがスマホで確認していると、廊下の向こうから女性がひとりカツカツと足音を立ててやってくるのが見えた。
「おはよう。よく来たわね」
「あ、おはようございます!
ぺこりと頭を下げて丁寧にあいさつする。網野というその女性は、黒いハイネックシャツに黒のジャケット、黒のパンツで黒尽くめだ。
「これから1週間、よろしくおねがいします」
ノゾミが礼儀正しく明るい声で言うと、網野は長い銀髪を耳にかけてニヤリとした。耳で光るシルバーのイヤリング。そんな大人びた出で立ちのわりに、よく見ると顔はまだ中学生ほどの発展途上な感じ。
「ふっ、センセイ……ね。私も歳をとったもんだ……」
「え?」
「神秘に満ちた生命40億年の営み。そのもとでは、皆等しく子供で、皆等しく生徒、というわけか……。フッ……」
目を点にするノゾミ。網野の視線がヒナに向かった隙に
『ねぇ、ちょっと大丈夫かな、この人……』
なんて小声で俺に尋ねてきた。
『中二病とかじゃね?』
それを耳にしたリクがプッと吹き出してしまった。おいおい、バレたらまずいって。ノゾミも必死に笑いをこらえてる。
「あ、じゃ、じゃあ、網野さん……って呼べばいいですか?」
「――そうね。好きにして。それより、ノゾミちゃん。あなたの〈推し
「は?」
そんな単語初めて聞いた、という表情で固まるノゾミ。
「生命がいるかも知れないとあなたが思っている星よ! ここに何しに来たか分かってるの?」
「――え、あ……。スミマセン……」
「私の推しはタイタン――惑星じゃないけどね」
タイタンは土星の衛星だ。土星最大の衛星にして太陽系内の天体のうち地球以外で唯一、その表面に液体の存在が確認されている天体、と母さんが言ってた。ここで「火星」がくるかとちょっと期待していたのだが、外れた。
「まぁ、いいわ。またあとで聞くから、考えといて」
「つーか、網野さん、お若く見えますけど、いくつなんスか?」
リクは彼女の幼さを見逃さなかった。こういうことをサラッと聞ける話術が羨ましいよ。マジで。網野はサラサラの長い前髪を今一度耳にかけ、意外なほどにこやかな顔で答えた。
「10000歳」
「「えっ!?」」
さすがにそれはないだろ。普通に10代とかに見えるんですけど。
「よ、妖女? あ、いや、魔女……とかですか……?」
リクが真顔言うと、彼女はぼそっと
「ふふっ、2進数よ」
なんてつぶやいてはニヒヒと笑った。
「なんだよ16歳じゃないすか」
俺の言葉に網野がすぐにウインクを返した。
「マジ? 同い年じゃん! え? 中卒で働いてるの? どういうことだ?」
リクはもうわけが分からなくなっている。
網野の話によると、両親の都合でカナダに暮らしていた彼女は、10歳のとき政府から
「な、なんで?」
話を興味深そうに聞き入っていたノゾミが目を輝かせて純粋な疑問を彼女にぶつける。
「え……フフ。理由ね。――そ、そうね。名前をつけるなら〈孤独のプロム〉かしら」
動揺を隠せない網野。銀色の長い前髪が顔にかかる。
「プロム?」
首をかしげるリクに「高校卒業のときの、ダンスパーティ。ほら、アメリカの高校とかであるっていうやつ」とノゾミ。
「つまり、一緒に踊ってくれる人が、いなかったってこと、ですか?」
俺がずばり言うと網野は横を向き、頬を赤らめながら小さくうなずいた。図星かよ。彼女は今にも消え入りそうな声で続けた。
「しっ、仕方ないでしょ。そのときは、じっ、14で、私……。ほら、同級生に比べて、胸もぺったんこだったし……」
その一夜の出来事のダメージは、天才少女を不登校にさせるのには十分だったという。彼女は失意のまま帰国、流れ着いた先がこの研究所だったというわけだ。勉強はどんどん飛び級できても、社会生活のほうは、そうもいかないらしい。
(天才もなかなか楽じゃないんだな)
網野の背伸びしたメイクの横顔をぼんやりと見つめる。
見た目はクールで完璧。なのに、どこか不具合のある印象。ミステリアスを通り越して不思議ちゃんの域に入ってるんだけど、それがまた憎めない。
気づくとヒナは彼女に目もあわせず、体格のいいリクの後に隠れて、じっとしていた。網野がジトッとした目で睨みつけた。
「あれぇ、ヒナ? もう家出はおしまい?」
「――えっ、知り合い?」
振り返ると、ヒナは「ちぇっ」と口をとがらせながら、とぼとぼと歩み出た。それを網野が両手を広げて迎える。
「ふふ。おかえりヒナぁ。どこ行ってた?」
「……」
「何があったか知らないけど、制服なんて着て。楽しかった? あら、それに、肘のケガ、どうしたの?」
「……」
無言のまま何も答えないヒナに、過保護な母親のようにべたべたと彼女の身体を心配する網野。どうやら、ヒナの――少なくともアンドロイドの――家出は、これで一件落着のようだ。
「彼女、ウチで働いてもらってるの」
網野が二人の関係の説明を始めた次の瞬間、何かに気づいて慌ててて胸ポケットからスマホを取り出した。
「ヒナ、帰ってきて早々悪いけど、仕事よ」
その顔にはさっきまでの幼さや母親のような優しさはなかった。
「火球情報! 埼玉県上空。明るさマイナス10等級――隕石になってるかも!」
網野がアンドロイドの目をぐっと覗き込み、その向こうにいるヒナに向かって叫んだ。
「ヒナ! 確認急いで!」
「もうやってるって! 消滅点高度25キロを仮定。軌道推定ちうっ。――――落下先、茨城県南部」
網野とヒナが我先にと走り出し、俺たちは必死で2人の後を追った。
「県南かぁ。ヒナ、すぐ行く?」
と網野。
「まだ単点観測だから、精度出てない。網野、ほかにデータ、ないの?」
「
「おあいにくさま。あんたが科研費とってこなかったから、電源オフ」
「マジ?」
「マ・ジ!」
5人でエレベーターに飛び乗る。はぁはぁと肩で息をする網野と、汗一つかいていないヒナ。アンドロイドなので当然だけど。大した距離ではなかったけれど、全力疾走でもう汗びっしょりだ。なんでこんなにも急いでるのかよくわからないけど、とにかく2人の表情は真剣そのもの。ノゾミは「ふぅ」と息をつきブラウスの胸元をパタパタさせた。
網野とヒナの漫才のような会話は続いた。
「どうすんのよ? あんた隕石ハンターでしょ。ちゃんと仕事しなさいっ!」
「だ、か、ら、その仕事に、データが必要なんだってば! 岡山
「
流れ星でとくに明るく輝くものは
「高層の風が強い。もし隕石の残存質量が小さかったら、めちゃ遠くまで流されてるよ?」
まだ観測データが足りず落下地点の予想が定まらないらしい。
「ほら、予想円、見て」
ヒナがポケットからスマホを取り出し、ポイッと網野にパスした。網野も慣れた手付きで画面をタップして流し見た。見せてもらうと埼玉県、茨城県そして太平洋へと至る巨大な予想円。
「いいから! もうエンジンスタートしてある! 百データは一見に如かず! 現場百遍!」
「まったく、人使い荒いなぁ……」
「人じゃないじゃん!」
網野の甲高い声と同時にエレベーターのドアが開いた。屋上の強風。目に飛び込んできたのは、ローターを高速回転させる準備万端のヘリコプターだった。
「キミたちも行くよね?」
網野に言われ、たじろぐ。行くって? どこへ?
「これ、インターンの一環だから」
銀色の太陽に照らされ、首筋にたらりと変な汗も流れる。高所恐怖症ってわけじゃないが、流石に怖い。颯爽と操縦席に座り込んだのが、ヒナだったからである。
「ソラ! 行こうよ! 何事も体験だって! 楽しそうじゃん!! わたし、初めて〜」
強風になびく二つ結びを押さえながらノゾミが俺の手をとった。おいおいおい。そうして彼女は
「ほらほら〜」
なんて笑って、遠足にでも行くような顔でヘリにむかった。
「なんちゅうインターンだ!」
リクも続いて乗り込む。
「いってらっさーい〜」
網野はバンっと勢いよく搭乗口の扉を閉めると、ヘリに繋がれたケーブルをすべて引き抜き、遠くへと離れた。それを確認したヒナがゆっくりとヘリを離陸させる
慌ててシートベルトを締めながら横目でチラリ見た窓の外。屋上で大きく手をふる網野が、もう米粒よりも小さくなっていた。
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