SOL31

 運命の8月27日がやってきた。

 俺たち5人は海上自衛隊の護衛艦『いずも』の中にいた。この船はヘリコプターが離着できる通称「ヘリ空母」で、すでに落下予定海域に到着していた。研究所のヘリとVTOLも飛行甲板でスタンバイ済み。俺たちは一角にある休憩室を充てがわれ、そこで横須賀を出港してからずっと固唾を飲んでモニターを見守っていた。

 画面の中のNASAの管制センターの時計が〈E-04:06:00〉を示す。火星の石を乗せたカプセルの大気圏突入まであと4時間と6分だ。

 6分後に控えたカプセル分離の準備で管制センターは緊張に包まれていた。ゲートチェックC1と呼ばれる確認作業で「GO」の判断が下り、分離シーケンスが実行されようとしていた。

『ゲートチェックC2』

 管制センター内はいっそう慌ただしくなった。

 網野の膝上のアザラシが黒石の声で解説する。

「ここで宇宙船の姿勢がチェックされ、正しいと判断されれば、ハーネスカット――カプセルと宇宙船を繋ぐケーブルの切断だ」

 もう後戻りは許されず、ひとつの確認漏れが命取りになるという。

『GO』

『カプセル分離時刻、予定通りノミナル

 管制室は手に汗握る慌ただしい状況。カプセル分離まで残り5分を切った。分離を指揮するマネージャーらしき女性と黒石が軌道担当者だといった男が、ドップラーレーダーの画面を凝視していた。

 俺とリクは2人して中継映像を食い入るように見た。気づけば、膝が震えている。すぐ隣でヒナがくくくと笑い、ノゾミが

「男子ってこういうの好きねぇ」

 とテーブルに頬杖をついた。

 いよいよその時が訪れる。カプセルと宇宙船を繋ぐハーネスが切られる瞬間。ひとたび〈へその緒〉が切られれば、カプセル内部の状態を外から知る術はなくなるという。そして、切断したケーブルをつなぎ直すのも不可能らしい。

『10――9――8――7――6――5――4――3――2――1――。ハーネスカット』

『ハーネスカット確認!』

 管制センターでガッツポーズがいくつもあがる。

「くううーっ! 鳥肌立った!」

 思わず立ち上がるリク。その肩に網野が手を置いた。

「まだまだ。次はカプセル分離よ」

 カプセルに軌道制御する仕組みはなく、分離したら、本当に手放しの状態になるのだそうだ。網野の説明では、精度良く〈回廊〉と呼ばれる針穴のような帰還軌道に放り投げたら、あとは重力に身を任せ、激しい空気摩擦に焼かれ、目的地である太平洋を目指すのみ、とのこと。

 分離1分前――。

 担当者の合図でカプセル分離シーケンスが始まった。

『30秒前!』

 アナウンスの声に、いよいよ部屋の中の緊張感はピークに達する。

『10――9――8――7――6――5――4――3――2――1――。分離』

『Got it!』

 モニターで宇宙船の姿勢を見ていた担当者が大声を上げ、マネージャーらしき男がかけてきて画面を覗き込む。

「反動を見てるんだ。カプセルの反動で宇宙船が姿勢変化してる。だが、まだこれだけじゃ分離成功の判断は下りない」

 黒石が落ち着いた声で解説した。留め金が火薬で飛ばされ、蓄えられたバネの力でカプセルがぐいと押し出されるしくみになっているという。と同時に、カプセルの姿勢を安定化させるために、わずかな回転も加えられるらしい。こまがバランスをとるようなものだ、と説明してくれた。

 画面には、代わる代わる担当者が確認状況を報告する様子が映し出された。

『分離シーケンス、すべて通ってます』

『OK』

『4番リアクションホイール、どうなった?』

『作動確認。想定より乱れが大きく、安定まで時間がかかっています。カプセルの推定分離速度は毎秒0.1885メートル』

 じつはハッキングの影響で、分離の様子を捉える光学カメラが使用不能になっていた。そのため、カプセル分離の反動で宇宙船がどれだけ姿勢変化したかなど状況証拠から間接的にカプセルの分離を確認するしかないのだそうだ。

 最後に火薬が動作したことによるわずかな温度上昇が確認されると、ようやく

『カプセル分離は成功と判断』

 と全体連絡が入った。

 管制センターの張り詰めた空気が一気にゆるみ、テレビの画面を凝視していた俺たちにも、安堵の表情が広がった。

「さぁ、ここからは、私たちの出番ね」

 網野が決心した表情で呟く。俺もヒナもこくりとうなずいた。

 もう後には引けない。ここでやめる理由は、なにもない。やれるだけ、やろう。


 千葉県、房総沖。高度2500メートル。

『イー・マイナス・ワンミニッ』

了解ラジャー

 管制センターからの無線にヒナはモニターに〈E−00:01:00〉と表示されるのを指差し確認する。

 俺たち5人はVTOLとヘリコプターに分乗し、30分ほど前に護衛艦『いずも』を発艦。いまは落下予想水域の上空で、固唾を呑んでその時を待っていた。ヒナが操縦桿を握るVTOLに俺とリクが同乗し、落下水域の北西寄りを航行していた。一方、網野の駆るヘリコプターはノゾミと黒石を乗せ南東寄りで待機。想定落下範囲の大部分をこの2機でカバーできる算段になっていた。

『ううう』

 インカムから聞こえてくるノゾミの不安そうな声。すぐに網野が

『大丈夫』

 と優しくつぶやいた。そして、たぶんノゾミの膝の上にいるだろうアザラシ型ロボットが、きゅうんと鳴く声が聞こえた。場を和ませようとしているらしい。

『くるよっ!』

 網野の無線が飛んだ次の瞬間、カプセルの大気圏突入が音もなく始まった。

 能登半島沖。高度136キロメートル。時速4万キロメートルを越えるスピードで飛来したカプセルが、少しずつ高度を下げる。そんな様子を思い浮かべながら、ただひたすら空を眺める。さすがにそれらしいものはまだ何も見えない。

 時計を見る。E+20――突入エントリーから20秒が経った。モニターに表示されたカプセルの予想現在位置が能登半島に触れた。推定高度は106キロメートルと書かれていた。

 徐々に濃くなる大気に受け止められるようにして減速するカプセル。強烈な衝撃と空気摩擦。前方で圧縮された空気が発熱し、やがて1万度にまで達するらしい。

 E+30――。カプセルはあっという間に富山湾を渡り黒部市上空に到達。推定高度は94キロメートル。さっきよりもう10キロも降りてきた。

 網野と黒石が代わる代わる状況を説明してくれた。現在の表面温度はおよそ3千度。カプセルの底に取り付けられたヒートシールドが溶け始め、熱分解ガスが発生している頃だそうだ。ガスが膜のようにカプセルを包み込み、高温から守るという。こうすることで、内部温度は設計では50度を超えないことになっているらしい。

 E+40――。カプセルの予想現在位置は立山を飛び越して長野県に入っていた。推定高度80キロ。いっそう濃くなる大気と強烈な空力加熱。黒石が「厚さ3センチのシールドの表面のうち、1センチはもう真っ黒に炭化した頃だ」なんて言って俺たちを驚かそうとした。

 カプセルはめらめらと発光し始め、やがて流れ星のような火球となって――。

『火球情報! マイナス8等!』

 網野から入電。その直後、ヒナも叫んだ。

「見えた! 北西!」

 すぐさまVTOLを旋回させるヒナ。黒のタンクトップが頼もしい。

 俺も窓の外に目を凝らした。どこまでも青い真夏の空。そのはるか遠く。とても低いところに、チラッと白い光が見えた。

 光の点はゆっくりと、しかし確実に空の高いところに上っていく。見たこともない光景。リクも迫りくるカプセルに驚きを隠せないでいる。

「うわっ! マジで来た!」

「アハハ。あったりまえでしょ! アッハハハハ〜」

 ヒナは始終ごきげんな様子。

『ソラくん。軌道推定、急いで。研究所ウチの全天カメラと横浜SGスペースガードで挟んでる。三鷹の望遠鏡も使って!』

 網野から無線で指示が飛ぶ。

『OKです』

 インカムで応え、すぐにレーザー式キーボードを叩く。動画データを自作のAIツールに流し込むと、動画が1フレーム入ってくるごとに、落下予想範囲がどんどん狭まっていく。俺はもう一度窓の外を見た。

(さっきよりだいぶ高くなった――)

 実際の高度はどんどん下がってきているはずなのに、見た目の仰角はどんどん上昇していっていた。なんとも不思議な感覚だ。白煙を従え、確実にこちらに向かってきている。

 E+60――。カプセルは東京湾上空を通過したみたい。地図上では市街地を抜ける恐ろしい軌道に見えたが、推定高度はまだ60キロメートルもあった。これは飛行機の飛ぶ高さの5倍以上もある。網野の話では、カプセルの明るさがピークを迎えたらしい。たぶん今頃、東京のビルの合間からは大勢の人が真夏の青空を飛び抜ける人工の流れ星を見上げていることだろう。

 E+80――。千葉県九十九里浜の空を抜け、カプセルはいよいよ太平洋に飛び出した。推定高度は45キロメートル。

『ダークフライト』

 網野が全員に告げた。空気抵抗でカプセルの速度が急速に落ち、発光が収まったのだ。火球は見る間に輝きを失い、淡く残った一筋の白雲もじきに青空に溶けた。

「ヒナ、軌道パラメータをVTOLの操縦支援システムに送るね!」

 研究所の全天カメラから送られてくる画像には飛跡の全てが捉えられていた。これを他のカメラの画像とあわせれば、三角測量の要領でカプセルの軌道を精度良く推定できる。

「ありがと! 網野のヘリにも送っておいて!」

「オッケー」

 俺が応えるとヒナはにっと笑顔を見せて

「さあ、落下地点に回り込むよ!」

 と腕をぐるぐる回して意気込んだ。

 彼女の声がわずかに震えているのが分かった。緊張してるのかな。そりゃ緊張してるよね。俺たちは互いに目も合わせなかったけれど、すぐ隣にいるみたいに彼女の顔が見えた。

 ほんとうは操縦席ではないどこかにいる彼女。顔で笑って、心で泣いて。今だって、極度の緊張を隠してる。俺には、隠さなくてもいいのに。

「大丈夫?」

 俺の声に、ヒナが不思議そうに振り返った。じっと目を見つめ、カメラアイの奥にいる彼女にもう一度、声をかける。

「大丈夫。ヒナなら、きっとうまくいく!」

 網野の計画では、このあと、カプセルの軌道を先読みして真下に潜り込み、パラシュート開傘後に背後から追いかける作戦だった。

『まだだ。まだ近づくな! 今は速すぎる』

 黒石から大声で連絡が入る。

『大丈夫。海自のレーダーでも捕捉してる。弾道降下開始。30秒でドラッグシュートが開く。そこからはお前ら、物理フィジカルだ! 眼ぇこらせっ!』

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