3-7

 蒼穹祢は膝を伸ばしながら今度こそ〈白の魔術師〉に踏み込み、アッパースイングのように剣を振り回した。浮いた魔導書を裂き、十字の刺繍が入った敵の右腕にヒットする。

 しかし〈白の魔術師〉は怯む間もなく、再び右腕を振るって氷の弾丸を発射してきた。斜め上方向に向けた発射で、蒼穹祢の顔へと飛来する。


(また氷!?)


 蒼穹祢は横に飛び込んで氷を避けた。何発か肩にヒットしたものの、ダメージは最小限に抑える。蒼穹祢は起き上がって反撃を試みるも、


「……は?」


 またも腕を振るい、氷の魔法を仕掛けてきたのだ。三回も同じ魔法を放たれれば軌道が読め、蒼穹祢は屈みながら剣で氷を弾き飛ばした。


(何を考えてるの?)


 そして四度目、五度目も氷の魔法。それもあらゆる方向に乱射。躱すまでもなくほとんどの弾はヒットせず、蒼穹祢は〈白の魔術師〉に剣を突き刺した。


「……ッ」


 びくっと肩が震え、少し膝が崩れる〈白の魔術師〉。

 せいぜい覚えるのは圧迫感で、痛みはないだろうが、剣先を間近に向けられた〈白の魔術師〉の反応は、人間に見られる生物学的な“反射”に他ならない。

 〈白の魔術師〉は即座に腕を振るい、氷の魔法を仕掛けてきた。


「くどいわ!」


 氷を避けた蒼穹祢だが、このとき、足裏がガリッと鳴る。例えるなら、道端に捨てたクラッシュアイスを踏み潰したときのような感覚。

 思いがけず足元を見た蒼穹祢。そこには、


「氷……?」


 床に氷が散乱していたのだ。魔法で放たれた氷が残っている。教会を照らすのは淡い月明りのみ。それもステンドグラス越しの、暗いブルーの輝き。暗みの中で目を凝らし、ようやく床の異変に気づいた蒼穹祢。

 それともう一つ、変化に気づいた点があった。


(――寒い。明らかに教会が冷えてる)


 顔や手、特に露出の多い太ももを含めた脚に冷気を感じる。

 まさか、〈白の魔術師〉はこれを狙っていた? あらゆる方向への乱射も、これの布石?


(動きを鈍らせるため? それにしては寒さが弱いけど……? 何が狙い?)


 蒼穹祢が疑ったとき。〈白の魔術師〉は腕を振るわず、人差し指を蒼穹祢に向けてきた。この動作は雷撃に他ならない。


「くっ」


 蒼穹祢はすぐに一歩、また一歩と退いた。雷撃の射程距離は十メートル弱。身体で覚えているから間違いない。距離は取った。次の雷撃は当たらないはず。

 だが――、


「いやぁッ!!」


 迸る雷撃の閃光は、蒼穹祢の身体を易々と呑み込んだ。眩しさ一色で、目をつぶらざるをえない。身体にも確かな痺れを覚え、HPゲージにもしっかりと影響を受けている。


(なんで!? 何度も見たけど、射程距離はすべて同じだったわ! だけど……今のは明らかに違う! たまたま!?)


 混乱する蒼穹祢に乗じて、〈白の魔術師〉はまたも人差し指を向けてくる。


「マズ……ッ」


 背筋が凍った蒼穹祢は即座に横へ避けようとするも、想定外のダメージで足がもつれ、その場に崩れる。その好機を〈白の魔術師〉に逃されることなく、雷撃が再びヒットした。


「来ないでッ」


 蒼穹祢は倒れながらも剣を〈白の魔術師〉に投げつけた。不格好な姿勢から投げたため簡単に避けられるが、少しの時間稼ぎにはなる。不安定な足腰で立ち上がった蒼穹祢は、敵に背を向けながら逃げる。


(雷撃が伸びたのは偶然じゃない、きっと理由はあるはずよ)


 背後を目で追いながら、雷撃からがむしゃらに逃げ惑う蒼穹祢。閃光が顔の横を駆け抜けていく。思考にリソースを割けないが、必死に頭を働かせて、


(寒い……温度低下……。そういうことね! ――気温の低下で空気の電気抵抗が下がった。だから雷撃が伸びた!)


 空気中の気体分子は温度の低下に伴い動きが鈍くなる。『熱』という物理状態は、気体分子の動きの速さを表しているからだ。そして電気抵抗とは『電子の通りにくさ』であるため、気体分子の動きが緩くなる=電子の阻害が減ることで、電気抵抗は結果的に減少する。電気抵抗が減ればオームの法則に従い、空気中の電流は強さを増すに至る。


 〈白の魔術師〉は雷撃を放ちながら蒼穹祢に追従してくる。蒼穹祢は次第に避けきれずに、〈白の魔術師〉に詰め寄られてしまい、


「いやっ!」


 振り返れば、〈白の魔術師〉との距離はわずか一メートル弱。さらに〈白の魔術師〉は燃え盛る炎を拳にまとわせ、腰の捻りとともに紅蓮の拳を蒼穹祢の腹部に振り抜いた。


「あああっ!!」


 狙いどおりに拳を叩きこまれ、続けざまに顔面を狙われる。蒼穹祢は左肩を捻り、剣を振り上げて応戦した。が、〈白の魔術師〉は左に身を引いて剣を軽く避け、蒼穹祢の顔面に掌底を振り切る。


「く……ッ」


 蒼穹祢は意図的に足元を崩すことで、間一髪で掌底を避け、鋭い眼光で睨みながら〈白の魔術師〉の喉元へ剣を薙ぎ、ヒットする。

 蒼穹祢の剣と、〈白の魔術師〉の炎をまとった拳の攻防。教会に差す薄青い光を炎が上塗りしては暗みに戻り、幾枚も連なるステンドグラスの前で二人のシルエットが舞う。〈白の魔術師〉の拳が蒼穹祢の剣を高々と弾き飛ばし、飛んだ剣が祭壇のパイプオルガンに直撃。甲高い音色が教会に響いた。蒼穹祢は新たな剣を握り、薙いだ剣が〈白の魔術師〉の右肩を掠める。


「……ッ」

「……ハッ」


 似た運動センスなのだろうか。お互いに決定打が放てない。

 引くに引けない状態。先の見えない攻防。


 そんな空気が流れた頃合い。

 膠着した空気を破ろうとしたのは蒼穹祢だった。


(隙よ!)


 呼吸を整えるためか、〈白の魔術師〉が半歩ほど引いた。蒼穹祢は好機と咄嗟に判断し、〈白の魔術師〉の肩から胴体にかけて剣を振り切ろうとする。

 だが、それは罠に他ならなかった。


「――――ッ!?」


 指揮者のようにすっと腕を小さく振り、氷塊を目前に出現させた〈白の魔術師〉。炎をまとった右の拳と左の拳で、――氷塊を叩き潰したのだ。

 低温の固体を急激に熱した結果、


「キャッ!!」


 バァン!! 爆音とともに氷は爆発する。爆音を前に蒼穹祢は仰け反り、床に尻を叩きつける。高温で熱せられた氷が水蒸気と化して、体積が急激に増えたのだ。魔法で作った簡易爆弾というわけか。

 両手で手をついて立ち上がろうとする蒼穹祢に、〈白の魔術師〉は腕を振るって氷弾を放つ。


「あ、……はっ!」


 ふらふらの千鳥足では、氷弾はまともに躱せない。HPが減り、されど反撃に転じることができずに、みっともなく背を向けて蒼穹祢は逃げる。先までの均衡した攻防が嘘みたいだ。氷の魔法は無慈悲に背後から繰り出され、HPが減っていく。

 とうとう蒼穹祢は転倒し、


「負けて……たまるものか!」


 それでも悔しさを鼓舞に変え、蒼穹祢は再び立ち上がろうとする。

 が、蒼穹祢は異変に気づかされた。


「……、霧?」


 そう、教会の空気が濁っているのだ。ステンドグラスから差し込む光の通り道がくっきり見える。チンダル現象と呼ばれる現象だ。そこから推測するに、おそらく霧がかかっている。


(空気中の水蒸気が……冷えて?)


 〈白の魔術師〉が仕掛けた一連の攻撃を思い返す蒼穹祢。氷弾を床にばら撒いて、炎の拳で蒼穹祢と攻防。再び氷の弾丸で蒼穹祢に追い打ち。


(炎をまといながら縦横無尽に動けば、床の氷は水に、水は水蒸気になる。水蒸気を空気が限界まで含んだ状態で、氷で気温を下げたことで……霧に変えたわけ?)


 すべて〈白の魔術師〉の狙いどおり……?


(霧を発生させた。ということは、次は――……)


 蒼穹祢だって頭が悪いわけじゃない。〈白の魔術師〉の狙いは読める。


(……――次は、雷撃!! マズイわ、この霧の中で撃たれたら……確実に威力が増す!)


 逃げなければ。蒼穹祢はふらふらと彷徨ったが、明かりが灯されていないことに加えて、霧が刻々と濃くなっていく中では見通しが悪い。そもそも霧の中では雷撃も広範囲のはずで、避けるという選択は無意味。〈白の魔術師〉の位置も掴めないのでは余計に。


 どうする?

 次、雷撃に呑まれたら致命傷は確実。


「……」


 蒼穹祢はもう逃げない。

 彼女は手にしている剣を目の前の床に刺した。手から離れれば新たな剣が手に生まれ、それをまた床に刺す。二本目を刺したら三本目を、四本目を。自らを囲むように。蒼穹祢はひたすらに剣を刺した。

 霧がいっそう濃くなった頃合い。


「……ッ!?」


 バチッと、火花のような迸りが真正面で輝いた。

 鈍い視界の中で目を凝らせば、〈白の魔術師〉が人差し指を蒼穹祢に向けている。拳銃の銃口を向け、ジ・エンド。そう宣告するような敵の所作。

 次の瞬間、


「キャアッ!」


 今までとは比較にならない電気量が、獲物を食らわんとばかりに、口を開けた竜のように蒼穹祢に牙をむいた。まさに雷そのもの。比喩抜きに視界が白一色に塗り潰される。霧の状態では、平時の空気に比べてぐっと電気抵抗が減る。相対的に電流が増すのは当然のこと。

 この雷撃の前では、蒼穹祢にとって致命傷は間違いない。


 決着。

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