1章 加速する科学の不夜城
1-1
――眩しい。
すっと目を開けた瞬間に、まず感じたこと。
少女は眉間にしわを寄せてかわいくしかめっ面を作り、今度は光に押し返されないよう、ぱっちりつぶらな瞳を徐々に開き直した。
「は、はえ……?」
まず目に飛び込んできたもの。それは夜の世界にて建ち並ぶ、ビルというビル。おもむろに360度を見回してみても、まるで森の中の木々のように、奥を見通すのが叶わないほどにビルがそびえていた。
しかし彼方で高々とそびえる一本の塔は頂きまで見届けることができ、摩天楼においても格別の存在感は、ともすれば都市のアイコンとしての役割を果たしていそうだ。まとわりつくような七色の電飾で、洒落たカクテルのように美麗に輝いている。
「なに、この世界? どこ、なの?」
高層ビル群に圧倒された少女は、威圧感から逃れるように天を見上げる。しかし首をさらけ出すほどに見上げても、摩天楼に切り取られた夜空は細長にしか見えない。
夜という闇に支配されることを拒むように、ビル群が放つネオンが世界を照らしていて、それを肌身に感じるこの景観は、
「まるで宝石箱の中にいる、みたい。きれい……」
まさしく不夜城。少女はうっとり魅入る。
「わっ!?」
ネオンに魅せられたのも束の間、白い何かが目の前を横切ったのだ。少女は咄嗟に身を引くと、
「ロ、ロボット!?」
白くて丸っこいそれは、プラスチック材が醸し出す表面の艶や、足代わりに地面を転がる四輪の黒タイヤからロボットだろう。器用に歩道を滑り、ロボットは通り過ぎていった。
「え、なに? あっちもこっちも……ロボット?」
AIで障害物を判断しているのか、至る所でロボットが人々の間を縫うように路面を走行しているのだ。すると、一人の通行人がロボットに手を挙げる。静止したロボットのフロントに浮かぶのは、空間に投影された仮想ディスプレイ。通行人が手際よくタッチし、スマートフォンをロボットにかざすと、ガゴンッと鈍い音が鳴る。通行人が少し屈んでロボットに手を伸ばしたら、手に取ったのはペットボトル。キャップを開けた通行人は、謎めいた紫色のドリンクでごくごく喉を潤しながら先を進んでいったのだ。
「あれは……?」
透過性の緑色の矢印ホログラムが、主要スポットへの所要時間を示しながら道路に被さっている。ビルの壁に張りつく大型ディスプレイには『ヒトの幹細胞から不完全ながらも心臓を再現。再生医療のさらなる進化に期待』というニュースが流れている。そのビルの横を、新交通システムの車両が音を立てず滑らかに走行していた。
「はわぁ~」
テーマパークを訪れた子どものように、少女は目をキラキラ輝かせ、
「SF映画に出てきそうな街。これって、夢? いや、夢にしてはリアルな気が……?」
しかし腕を組み、ちょこんと首を傾げる。
少女の緋色の髪は、首元にかかる程度のミディアムボブ。前髪の右サイドには、星を模った黄色のアクセサリ。学校の制服に採用されていそうな、髪と似た色合いのスカーフが結われた紺色セーラー服を着用している。女子にしてはやや高めの背丈だが、服装も相まって見かけは高校生。長いまつ毛に、ガラス玉のように可憐な瞳。すっと通った鼻筋に、艶やかな唇は美少女の証。
少女はポンと手を打って、
「わかった! ひょっとして異世界転生ってヤツ? 異世界転生といったらヨーロッパみたいな街とか、魔方陣の上とかに召喚されるものと思ってたけど。今回は未来都市に召喚されちゃった? ……なんてバカなこと言ってる場合じゃなくて」
やれやれと頭を抱える。
と、そのとき。
「ていうか、――」
彼女は気づいた。
気づくには遅すぎたかもしれないが。
「――私って、何者?」
自分の
“ヒナ”――、そう呼ばれていたことを除いて。
「ちょっと待って!? まさか記憶喪失!? ハァ? 何がどうなってるの!? あ~もう、わけわかんないってば!!」
ヒナは頭を抱えてブンブン首を振る。そしたら不注意が招いて、
「あっ、ごめんなさい!」
ここは歩道。通行人に衝突しそうになり、ヒナは身を引いた。が、今度は背後を歩いていた別の通行人に衝突しそうになってしまい、
「やっ、ごめ――……、あれ?」
結果的に衝突は免れた。
なぜなら、――通行人は自分をすり抜けて先を行ってしまったから。
「ぶつかった、よね?」
ヒナは試しに別の通行人に、恐る恐る手を伸ばす。だが、歩行を妨げることはなく、
「あ……」
やはりヒナの腕をすり抜けてしまった。見間違いではない。これではまるで幽霊だ。ヒナは開いた両手を見つめる。力を込めて握っても感覚に違和感はないのに。
「あのーッ! 聞こえますか! ねえ! ねえってば!!」
必死に声を張り上げても、通行人たちは誰一人としてヒナに関心を向けない。チラ見すらもなく、意図的に無視されているわけではなさそうだ。
「いやちょっと、おかしいって!! なに、なに!?」
青ざめ、無性に怖くなったヒナは、訳もわからず無我夢中で夜の摩天楼の下を、赤い髪を靡かせながら駆ける。衝突しないとわかっていても、通行人やロボットを避けるように、必死に。見えない脅威から逃げるために。
「マジでッ、冗談抜きに召喚された!? 記憶は奪われたの!?」
勢いのままヒナは路地裏に突入した。光に溢れた景観から一転して、ビルとビルの影で先は暗い。闇に呑まれそうな気がした。
「やだ、助けてお姉ちゃん……。え、お姉ちゃん? 私ってお姉ちゃんいるの? うぅ、覚えてない……」
暗闇の中ではよりいっそう恐怖が増す。やっぱり戻ろう、そう考えた矢先のこと。
カサカサ……。
「……ッ!?」
き、気のせい?
紙くずを擦るような音が背後から。ただ、小さい音なので思い過ごしかもしれない。
「思い過ごし、だよね……」
正直、振り返りたくない。そうは思っていても、
「気のせい、ですよねー? ……ですよねー?」
ヒナは振り返ってしまった。
結果、愛々しい瞳をギョッと見開いたヒナ。
「イッ、イヤ――――ッ!!」
悲鳴がこだまする。気のせいでは済まなかった。
――なんと、人の背丈の倍以上はあろうかという巨大な蜘蛛が、カサカサと脚を動かして近づいてきているのだ。
「やっ……いや……ッ」
恐怖で足腰の神経が鈍り、ヒナは尻もちをつく。獲物のように見定める蜘蛛の目は、オニキスのように黒々と不気味。先ほどの通行人やロボットたちと違い、蜘蛛はヒナを認識しているようだ。
「キモイ、来ないで! やだ! いやぁ!!」
手をつき、ローファのかかとでコンクリートの地面を擦り、後ずさりするヒナ。子猫のように震え、目尻には涙を浮かべながら。
「やっぱりここ異世界!? いやもう異世界確定だよね!! 現代日本にこんなモンスターいるわけないし!!」
蜘蛛がギラリと目を輝かせ、震える
「やれやれ、こんな所に迷い込んでいたのか。ずいぶんと探したよ」
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