4章 蒼穹祢と緋那子
4-1
「ヒナぁ……ヒナぁ!」
必死で呼びかける
訳がわからない。
ビルの三十五階に構えるカトリック教会――“天空の教会”。ガラス壁の上に掲げられる十字架に見守られた祭壇で、蒼穹祢は力なく、あひる座りで尻もちをついた。左手の剣も、右手の仮面も、からんと音を鳴らして床に落ちる。
「どうしてヒナが……ここに……」
動揺で定まらない蒼穹祢の視界に映るのは、意識なく仰向けで倒れる双子の妹。彼女の名は
その容姿は
妹は半年前、
だからなぜ、
「なんなのよぉ……」
この《拡張戦線》で、エネミーとして蒼穹祢の前に立ちはだかっていたのか。
ホンモノ? ニセモノ? ――ナニモノ?
妹の前では、蒼穹祢の心は正常を保てない。今後一生、街の病室でしか妹を見られないと思い込んでいたから。
「いやぁ……いやぁ……」
抱えた頭を、駄々をこねる子どものように振る蒼穹祢。青い髪が背中をくすぐった。
しかし動揺の一方で。
「ヒナぁ……」
蒼穹祢の脳裏には、妹と過ごした十五年間が走馬灯のようによみがえっていた。
大切で愛おしい思い出に、つらくて苦い思い出。
「ヒナぁ……!」
思いがけずに、そして蒼穹祢は追憶する。
あの“悲劇”を含め、すべてをひっくるめて。
◆
だけど、それは――、
「えへへ、またお姉ちゃんに勝っちゃった。やったやった~」
ロングヘアの姉とは対照的なボブヘアの女の子は、心底嬉しそうにテストの答案用紙を見せびらかす。紙の端には赤い高得点の数字。
「たった二点差でしょ。じまんしないの、みっともない」
「あはは、ごめんね」
「ふふ、もう」
一目置かれていた事実は、――妹の緋那子も同じことだった。
「……」
いや、薄々気づいていた。妹のほうが優れているかも、なんて。だけど小学生の頃は〝優れた姉妹〟として見做されていたから、蒼穹祢は気づかないふりをしていたのかもしれない。
「ねぇねぇ、おねーちゃん」
マンションが連なる居住区エリアのバス停。バスを降りた緋那子は、先に降りていた蒼穹祢の前へ駆け足で現れると、ニコリと笑って天空に指を突き立てて、
「今日もお星さまを見よ!」
「うん。アンドロメダ、見えるかな」
「どうだろ? アンドロメダもそうだけど、わたしは近くのカシオペアも好き」
「そうね、わたしも好き」
蒼穹祢は空を見上げた。
「彗星や流れ星もそろそろ見たいわ。見たのっていつ?」
「うーん、だいぶ前だっけ? キラーンって光るお星さま、わたしも見たいなあ」
それぞれの楽しみを胸に、姉妹は夜の訪れに期待を膨らませ――……。
「あっ、カシオペア!」
両親と来た公園で姉妹は、交代しながら天体望遠鏡で夜空を眺める。代々優れた科学者や研究者を輩出してきた神代一族の姉妹。両親もやはり研究者で、専門の図鑑も、天体望遠鏡も喜んで娘たちに買い与えてくれた。
「少し西にあるのがペガサスね」
蒼穹祢は分厚い図鑑と照らしながら、空をじっくりと眺める。
姉に負けないくらいの眼差しを、緋那子も夜空に向けて、
「いつか宇宙に行ってみたいなぁ」
「宇宙飛行士なんてよっぽどすごくないと無理よ。世界中の人と競争ね」
「お姉ちゃんは行きたくないの?」
「行きたいわよ。だって宇宙にはすごい可能性があるもの。たくさんの星があって、知らないのものがあって……」
大部分が液体と気体で構成された木星型惑星、星の終末期の姿である白色矮星、星が一生を終える際に起こす超新星爆発、見る者を魅了する銀河、極めて強力な重力をもったブラックホール……見たいと思うものなんて、数えても数えきれないほどに。
「でもお姉ちゃん、宇宙ってさみしいよね。星はいっぱい見れても、だいたい真っ暗なトコを泳ぐだけだし。そう考えると、宇宙に行ってもなんだかなあ」
「宇宙飛行士はお仕事をしてるのっ。観光に行くわけじゃないわ!」
「あはは、わかってるってば」
緋那子は苦笑いで返したが、
「だけどね、宇宙ってメチャメチャ広いでしょ? だったらさ、宇宙のちょっとくらいを貸してもらって、わたし色に染めてみたいなって思うじゃん?」
「ヒナ色に? 好きなものでも浮かせるの? ダメよ、ゴミを捨てちゃ。スペースデブリの問題は知ってるでしょ?」
「実物を持ってくんじゃなくて、バーチャルを重ねるの。それならお金をかけずに宇宙を染められるでしょ? 要するに、宇宙はちょーぜいたくなわたしのぬり絵ってこと」
現実世界に仮想情報をオーバーレイさせる技術――拡張現実。略してAR。緋那子はARの説明を織り交ぜながら、具体的な目標を蒼穹祢に話していく。
「つまり宇宙をARで彩った〝わたしの宇宙〟を見ること、それが夢! だからARもお勉強しないとね」
「へぇ、すごい夢……。ヒナ、お絵かき好きだもんね。ヒナの言う宇宙、わたしも興味ある」
緋那子は姉の顔を見ながら無邪気に笑って、
「ありがと。一緒にがんばろうね、お姉ちゃん」
蒼穹祢も、妹の笑顔につられて笑みをこぼし、
「うん、がんばろうね」
そのとき。流星が長い光の糸を残し、虚空を斜めに堕ちていった。
「は、流れ星!? しまったー、見逃しちゃった! お願い事あったのに~!」
「願い事? そんなオカルトを信じてるなんて」
「いいじゃんオカルトでも。わたしは好きですけどー?」
蒼穹祢はくすっと微笑して、
「わたしも……好き。きっと次も流れるから、今のうちに祈りましょ」
「うん」
手を組んで祈る緋那子の隣で、蒼穹祢も手を組んだ。宇宙飛行士になりたい、テストで緋那子に勝ちたい――……。数々の望みはあれども、このとき蒼穹祢が思い描く願いはただ一つ。
再び星が夜空に流れ堕ちて、蒼穹祢は心の中で願いを唱えた。
(――――)
やがて二人は組んだ手を解いて、
「お姉ちゃん、どんなお願い事した?」
「ヒナが教えてくれたら教えてあげる」
「ふふーん、ナイショだよ」
「それならナイショね」
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