3-8
霧の中にて、〈白の魔術師〉が蒼穹祢に歩み寄る。
この戦いの結末を看取るかのように、おもむろに。
「――ハァァ!!」
「――ッ!?」
否、――霧の中からギラリと光が反射した。――正体は、剣の刃。矢のように飛来する刃が〈白の魔術師〉の腰に突き刺さる。
「……まだよ」
蒼穹祢は立っていた。
彼女を囲むように、剣が何本も床に突き刺さっている。
剣を食らい立ち止まった〈白の魔術師〉。仮面で表情はわからないものの、なぜ? どうして? そんな動揺が透けて見える。
(一か八かだけど、どうやら成功ね)
蒼穹祢は静電遮蔽と呼ばれる物理現象を利用して電流を防いだ。
一見不思議な現象かもしれないが、内部をくり抜いた金属の球体に電流を流したとき、くり抜かれた内部には電流が流れない。なぜかというと、電流が流れることで金属の表面に電荷が現れる。金属の前後の電荷によって生じた電界が、電流の電界を打ち消してくれるからだ。屋外で落雷に遭遇したときは車内に逃げるべきという話には、このメカニズムが関係している。
蒼穹祢は剣を周囲に刺し、握った剣を横に構え、剣と剣をクロスさせた。クロスさせた剣の隙間は大きく、完璧な静電遮蔽を実現できたわけではない。しかれども電気量が減って致命傷は避けられ、こうして立っていられている。
蒼穹祢を守った周囲の剣が消えた。蒼穹祢は剣先を差し向け、
「まだ、勝負は終わってないわ」
鋭い眼光で、長椅子と長椅子の間の通路に佇む〈白の魔術師〉を捉える。
霧が晴れてきた。溶けた氷も合わさり、床が水浸しになっている。
膠着が生まれる寸前に仕掛けたのは蒼穹祢。前方に駆けながら、腰に引いた剣を〈白の魔術師〉に振り抜く。対する〈白の魔術師〉は寸前で身を引いて刃を躱し、腕を伸ばして手のひらを広げ、蒼穹祢に炎を噴射した。
「だから!?」
即座に横転して炎を回避した蒼穹祢は、不安定な体勢ながらも剣を投げつけた。床の水で濡れた手は水を撒く。くるくる回転する剣は〈白の魔術師〉の右脚のすねにヒットし、蒼穹祢は追い打ちで剣を投げる。だが〈白の魔術師〉は腕を振るって氷弾をぶつけ、剣の勢いを相殺した。跳ねた剣が長椅子に刺さる。
(――囮よ!)
俊敏に接近して回り込んだ蒼穹祢は、濡れた目元を袖で乱暴に拭い、死角から〈白の魔術師〉の肩に刃を下ろす。しかし〈白の魔術師〉は冷静で、右足を後ろに上げて蒼穹祢のすねを蹴る。
「うっ」
武器による攻撃ではないためHPに影響はないが、蒼穹祢はバランスを崩して前のめりに倒れる。
それでも、
「ハァッァア!!」
手で床を押し、バネのように身体を伸ばした蒼穹祢は全力で剣を振り上げた。
今度こそ首はもらった!!
否、――〈白の魔術師〉はやはり平静だった。蒼穹祢の行動を先読みしていたと言わんばかりに、人差し指を彼女に向ける。バチッと電気が迸るのも束の間、至近距離で雷撃を発射する。
「キャ!!」
雷撃が頬に掠めた蒼穹祢。青髪が舞い、握っていた剣は〈白の魔術師〉の衣装や魔導書を掠めることすらなく手を離れて、天井に高々と舞ってしまう。
「しまっ……!?」
剣の再生成には数秒を要す。
万事休す。
すると〈白の魔術師〉は二歩後ろに歩み、祭壇のある段差に乗ったのだ。人差し指を向けたのは蒼穹祢ではなく、彼女の足元に広がる――水たまり。確実にヒットさせるため、身を屈めて狙いを定める。雷撃を放たれたら水浸しの床に電流が流れ、決定打になるのは間違いない。
が、蒼穹祢は、
「甘い!」
掲げた左足を大股で踏み込み、踏みつけたのは――水たまり。盛大に跳ねた水滴が〈白の魔術師〉の白い仮面に付着した。
「――ッ!?」
「何も見えないでしょ!」
怯んだ〈白の魔術師〉が水を拭おうと、思わずといった感じで手を引っ込めた隙に、蒼穹祢は〈白の魔術師〉の胸ぐらを掴んで、一メートルほど左の水たまりに引きずり下ろした。バシャンッ! 水風船が弾けたような音とともに水が飛び、〈白の魔術師〉のローブがぐっしょり水を吸う。
〈白の魔術師〉は重そうにゆらりと立ち上がり、蒼穹祢へ真っすぐ人差し指を向けた。水たまりを経由した巻き添えを恐れ、さすがに足元は狙わない。今度こそ発射。
「頭上に注意したら?」
「――ッ!?」
剣が落下した。〈白の魔術師〉が被るフードごと、その身を二枚おろしにするように。
――剣は、振り上げた際に蒼穹祢の手から離れてしまったものに他ならない。否、“離れた”ではなく、意図的に“離した”剣。落下点は水たまりの反照で読めていた。
ダメージはまだ終わらない。
〈白の魔術師〉は予期せぬ刃に膝が崩れ、指に集まった電気が水たまりに触れる。バチバチバチッ!! 強烈な電流が水たまりを伝って、教会の内装全体を照らすほどに走り、一方で蒼穹祢は、
「よっと」
祭壇へと軽快に飛び乗って電流から逃れる。
「ふん、私だけを見ていると痛い目に合うわよ?」
巨大な十字架を背景に、腕組みの格好で、〈白の魔術師〉を凛と見下ろす蒼穹祢。
〈白の魔術師〉はよろよろと起き上がり、仮面に付着した水滴を右腕の袖で乱暴に拭い、
「はぁ……ッ、調子に……乗るなッ!」
「……!?」
仮面越しから放たれた声。女のような高い声域だ。成人ではなく、蒼穹祢と同じくらいの年齢の声に聞こえた。
(……気のせい?)
聞き覚えがあった気がする。が、今は戦いに集中。
仮面のせいで断定できないが、敵は蒼穹祢を強く睨んでいるように見えた。足腰にも力が入っている。それはつまり冷静さを欠いて、余裕もないということ。一目瞭然だ。
互いのHPは残りわずか。
(
蒼穹祢は剣を投げ、弓矢のように〈白の魔術師〉へ飛ばす。〈白の魔術師〉は横に身を捻って剣を躱すが、動いた所に先回りした蒼穹祢が剣を縦に振るう。〈白の魔術師〉は右手に炎をまとわせ、掌底で蒼穹祢を迎え撃つ。
「くっ」
剣が弾かれた蒼穹祢は、左手から繰り出される掌底を、身をよじることで辛うじて回避。勢いのまま一回転し、――剣ではなく握った右の拳を〈白の魔術師〉の仮面に叩き込んだ。
「な……んで――!?」
混乱を口走ったのは〈白の魔術師〉。
武器による攻撃ではないため、拳では〈白の魔術師〉にダメージがない。とはいえ、〈白の魔術師〉が怯むには十分だった。
蒼穹祢は剣を振り上げて、
「私の、勝ち」
〈白の魔術師〉に振り下ろす。右肩から胸、そして脇腹に振り抜かれる剣。
「――――」
斬られた〈白の魔術師〉は背中から崩れる。パリン、とガラスが割れるようなエフェクト音が教会に響いた。蒼穹祢の勝利を知らせる効果音に他ならない。魔導書も燃えて塵と化した。
エリアボスを単独で撃破。
「勝った……のね」
蒼穹祢の残りHPは八分の一を切っていた。まさに薄氷を踏む思いで得た勝利と言える。
雑魚エネミーのように消えてはいないが、意識を失ったのだろうか。倒れる〈白の魔術師〉の元に蒼穹祢は歩み寄り、
「あなたに聞きたいことがあるけど、その前に顔を見せなさい」
白い仮面に手を伸ばした。
「蒼穹祢――――ッ! ちょっと待って! 夏目景途は――……」
教会の入口から放たれる声。声の主はチームメンバーのレミ。彼女は大地を連れて、大声で蒼穹祢に呼びかけた。
しかし、蒼穹祢には一切届いていない。
「え……ちょっと、……うそ」
外した仮面を持つ蒼穹祢の右手は、わなわなと震えていた。
〈白の魔術師〉の素顔を目の前にして。
「そんな……嘘よ。なんで……?」
シャープな目が、限界までバッチリ開く。
“彼女”の顔がそこにあることに脳が錯覚し、目まいがした。
「おかしいわ……、どうしてここにいるのよ!? どうして私と戦ったの!?」
〈白の魔術師〉は、蒼穹祢が最もよく知る少女。
「そんな……ッ。
双子の妹、――――神代緋那子に他ならなかった。
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