4-2

 定期的に続けていた妹との天体観測も、中学校への入学を境にその頻度は減少していった。


「またヒナに負けたわ。悔しい」

「えっへん! 連続一位とはさすが私。また焼肉で祝勝会だね」


 一年生一学期の期末試験の結果。中間試験に続いて緋那子が学年一位だった。姉妹で勝ったほうが希望する飲食店に、両親に連れて行ってもらえるため、連続で焼肉屋になってしまうようだ。

 蒼穹祢は二位。誇れる数字だが、妹に負けては悔しさでいっぱいだ。

 自宅のリビングでお互いの結果を教え合ったあと、


「次は負けないんだから」


 妹に宣戦布告する蒼穹祢に、


「私だって負けないからね」


 次も勝つ。隠しようもない自信に満ちた顔で緋那子は返した。


 そして数か月後、二学期の中間試験を終えて。


「やった……」


 蒼穹祢は自分の学年順位を知って、我にもなく拳をぐっと握る。

 放課後になり、帰宅のために廊下を歩んでいると、


「ヒナ、結果はどうだった? また一位?」


 左手の教室に緋那子がいた。友達に囲まれ、テストの結果を興味津々に聞かれている。友達に囲まれているのは日常だが、今日の蒼穹祢は歩みを止めて、こっそり教室を覗き見すると、


「うーん、今回は……だね」


 苦笑いで誤魔化して、緋那子が右手で作ったのはピースサイン。


「マジ!? また一位だったの!?」

「いや、二位って意味ね! も~、顔で察してよ~」

「ごめ~ん。でも十分すごいって」

「ありがと。うーん、一位は蒼穹祢かなぁ」


 そこまで聞いて、蒼穹祢は廊下を進んでいった。

 帰宅した蒼穹祢はリビングのソファに腰かけて、パンダ同士が戯れる癒し動画をテレビで鑑賞していると、


「ねぇ」


 背後から緋那子の声。『ただいま』の一言がないのは珍しい。


「あら、おかえり」


 蒼穹祢は振り返って妹に返したが、真顔で緋那子に見つめられ、こう聞かれる。


「テスト、何位だった?」


 思わず口元が緩んだ蒼穹祢は、人差し指を一本立てて、


「やっとお寿司が食べられるわ。焼肉も悪くないけど、やっぱり魚のほうが――……」


 そこまで言いかけたところで言葉を切った。なぜなら、


「ヒナ……?」

「うぅ……」


 ぱっちりかわいらしい瞳を歪に細めて、――緋那子はボロボロ涙をこぼしたのだ。歯の隙間から擦れたような嗚咽が漏れ出る。


「うぅ……うっ!」

「ど、どうしたの……? 大丈夫? どこか痛いの?」


 急に妹が泣きじゃくってたじろぐ姉。妹の涙はここ数年見てない。

 困り顔の蒼穹祢はおろおろと戸惑って、仕舞には緋那子の赤い髪を撫でようと手を伸ばしたが、


「次は!」

「ひゃっ!」


 肩を震わせて怯えた蒼穹祢に、緋那子は涙を撒いて、


「次は負けないから! 二度と……負けないからぁ!!」

「そ、そう……」


 宣戦布告した緋那子は自室へと戻っていく。蒼穹祢は妹の背中を茫然と見送ることしかできない。怖い、冷たいと評判の自分よりも、妹のほうがよっぽど怖いと感じた瞬間だった。

 その後、帰宅した母に学年順位と妹の件を伝えたら、


「ヒナに勝つなんてやるじゃない。えらいえらい」

「ちょっと、中学生なんだから……」


 頭を撫でてくれる母に蒼穹祢は照れるが、しかし母は蒼穹祢を褒めるに終わらず、


「負けたヒナは手強いぞ? ひょっとしたら二度と蒼穹祢が勝てないかも」


 冗談っぽく言いつつ、ヒナを評価した。


「ヒナに贔屓する気? 私だって次も勝つ気でいるから」

「がんばってね、応援してる!」

「ええ、がんばるわ」


 『二度と勝てない』――そのときの母の言葉の意味は後々になって思い知らされるが、当時は気にしなかった。その日は妹に勝った嬉しさでいっぱいだったから。

 余談だが、数日後に両親と四人で訪れた回転寿司店では、緋那子は大変満足そうにマグロやサーモンの寿司を頬張っていた。


(ほんと、おいしそうに食べるわね……)



 二年後。


「……くっ」


 クシャリと、期末テストの結果用紙がしわを刻む。学年順位の欄には『2位』の印字。高順位のはずなのに、蒼穹祢の顔はほころばない。

 放課後。廊下を歩いていると、女子たちに囲まれる緋那子が正面にいた。蒼穹祢が視線を投げて寄こすと、妹はその目配せに気づいたのか、わずかに目を逸らしながら、


「あ、お姉ちゃん……。その……今日、図書館で勉強しにいくから遅くなるね」


 愛想笑いをキュートな容姿に浮かべつつも、顔を曇らせ、友達に語りかけようと蒼穹祢への注目を外した。

 すれ違う二人。


「テストの結果、どうだった?」


 蒼穹祢は冷たく呟いた。妹の顔から目を逸らして。


「……」


 緋那子は人差し指を一本立てた。それだけの所作。

 やはり妹の顔を一切見ることなく、


「あっそ、おめでとう」


 乱暴に言い放ったら逃げるように足早に、蒼穹祢は再び廊下を進んだ。背後からは「なんであんな態度取るの? ほんと、冷たいお嬢様なんだから」、「ヒナ、気にしないでっ」の声。さらには「ヒナからコミュ力を分けてもらえばいいのに」なんて心ない言葉も聞こえた。


「……、聞こえてるわよ」


 震える、か細い声。

 まぶたの裏に残る、妹の人差し指。

 だいぶ離れただろうか、蒼穹祢は振り返った。遠くにいる場所で、友達と楽しそうにおしゃべりしている妹の姿。窓越しに広がる綺麗な星空が、今は無性に憎たらしい。


 そのとき、ポケットが振動した。メッセージの着信か。スマホを取り出して確認すると、『せめてみんなの前では愛想よくして。それと友達少ないって噂もあるから、ちゃんとお友達つくってよね。ぷんぷん《`^´o》=3』という妹からのメッセージだった。胸がチクリと痛む。


(遠い……)


 妹は自分にないモノを持っている。愛想だって、多くの友達だって。取り柄である勉学だって、二年前に勝って以降は一度たりとも勝ったことがない。泣きながら言い放った『二度と負けないから』が今もなお続いている。

 小学生の頃は緋那子が優勢だったものの、蒼穹祢が勝つことも何度かあった。しかし中学以降は完全に差をつけられている。

 けれど、そんな現実をまざまざと見せられたとしても。


(まだ、諦めてないから。せめて勝てなくても、あの時のように、また隣で……。――ヒナの、隣で)



 それが甘い妄想だと気づいたのは、高校の入学試験の合否を知ったときだった。


「え、……」


 合格発表の掲示板を前に絶句。自分の受験番号『30045425』が抜け落ちていたから。

 だが、


「お、お姉ちゃん……」


 蒼穹祢の次の番号『30045426』は掲示板にある。その数字が示すのは、


「なんで、……なんで、なのよぉ」


 緋那子だけは加速する科学の不夜城イマジナリーパート、ひいては国内において最上位に君臨する城ケ丘じょうがおか高校に合格していたという事実。ただそれだけ。

 緋那子は気まずそうに姉から目を逸らして、


「じょ、城ケ丘はすごく……難しいから……。わっ、私だって……、運がよかったのもあるって! 英語の最後の問題なんか、適当にエイヤッって選んで……。他にも――……」

「やめて! 慰めになってない!!」

「ご、ごめ……」


「どうせ内心喜んでるんでしょ! また私に勝てたんだって! ええッ、これで緋那子に負けたことは確定したものね!」

「そ、そんな……」

「私にできなくて緋那子が合格できたのなんて、納得できないこと……じゃないん……だからぁ……ッ」


 蒼穹祢は拳を握り締め、青髪を振りまくように駆け出した。


「お姉ちゃん、待って!」


 背後から聞こえる妹の叫び。


(最低……ッ! なんてこと言ってるのよ! もう……ッ、もう! 謝らないと……ッ)


 だけれど、とてもじゃないが振り返ることなどできやしなかった。



 結局、滑り止めで受験した桜鈴館おうりんかん高校には合格した蒼穹祢。両親は素直に喜んでくれた。加速する科学の不夜城イマジナリーパートにある七つの高校は世間的にどこも評判が高い。将来自慢できるステータスにもなる。

 城ケ丘高校に合格できなかったことは、別に恥じることじゃない。両親は励ましてくれた。


 城ケ丘高校は特別だ。少数精鋭教育という方針の下、生徒の数が街の他の高校に比べて約三割。さらに半数が留学生。そのため数少ない入学枠を、全国の優秀な同年代と争わなければならない事情がある。加速する科学の不夜城イマジナリーパートの中学で学年一位を取っても、城ケ丘高校に合格できない例はざらだ。

 そのため優秀な姉妹でも合格は難しいだろうと、両親は考えていたらしい。逆に緋那子の合格を知り、喜びよりも戸惑いの色が両親の顔に浮かんでいたのは、蒼穹祢にとって印象的だった。


 蒼穹祢が優秀なことはよく知っている。だから自分を誇ればいいと、両親は勇気づけてくれた。――緋那子は特別だから、比べて気にする必要はないよ。その一言を付け加えて。

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