4-3

 高校に入学して一か月。――妹が高校生宇宙飛行プロジェクト、ミッション『SS-01』の搭乗員に選ばれたという一報が両親から入った。


 宇宙空間にMR技術を組み合わせた理論――地球と宇宙間でより視覚的な情報伝達をすることの優位性をアピールし、宇宙行きのチケットを手に入れたそうだ。妹もまた神代の血が流れている。科学で人々に幸せを届けたいと、その気持ちが伝わったのだろう。


「……夢、ほんとに叶えようとしてる」


 高校入学と同時に、親族から逃げるように始めた寮生活。プロジェクトの存在は知っていたものの、傷心がまだ癒えていなくて、蒼穹祢は応募していなかったのだが。

 机の隅に寂しく置かれた宇宙図鑑を手に取り、パラパラとページを捲った。


「緋那子……、どこまで遠い場所に行くの? ほんとに、行っちゃうの? 自分色に染めたいって言ってた……世界に……」


 蚊の鳴くような声で蒼穹祢は囁く。


「悔しい、……並びたい」


 それ以上、言葉が出ない。口にすることは敗北を認めたようなものだから。

 机に散る紙きれ。それは親族だけに配られる、プロジェクトの概要を記した用紙。目的や飛行士の訓練過程などがまとめられている。


「あと……、半年。いくらなんでも早すぎるわよ」


 加速する科学の不夜城イマジナリーパートだからこそ成せる業だろうか。この街の科学に常識は通用しない。きっと短期間でプロジェクトを成功させる算段があるのだろう。

 だが、胸によぎる一抹の不安とざわつき。それは緋那子が宇宙へ旅立つ瞬間を、この目で見届ければならない現実が迫っているからか。嫉妬心で押し潰される自分が、あと少しで訪れる未来が怖いからか。


「私は……、私は……ッ」



 時は過ぎ、半年後。

 プロジェクトを通知されてからの期間はあっという間だったと、蒼穹祢は今でも思う。


 アメリカのとある宇宙センターにて。

 ロケット打ち上げの前日に、宇宙飛行士と家族が面会する時間があった。


「……」


 高校に入学して以降は、緋那子と口を利く機会が激減していた。両親が同席する中で、蒼穹祢は気まずさに耐えながら家族の時間を過ごした。

 蒼穹祢がほとんど口を開くことのないまま、面会終了まで残り五分。すると両親は、姉妹を残して席を立ったのだ。


「ちょっと、どこに?」

「先行ってるね。二人で話をしときなさい」

「もう……」


 姉妹の背中を押すように母は言って、父と面会室を出ていった。


「……」

「……」


 蒼穹祢は困った。何を話せばいいのか。言葉が出てこない。

 対面の緋那子を上目遣いで一瞥すると、彼女もまたボブの髪先を指でくるくる遊びながら、困ったように唇を噛んでいる。


「あのっ」

「あのさっ」


 勇気を振り絞って声を出したら、まさか妹も同時に発声するとは。いたたまれない空気が姉妹に流れた。タイミングの重なりは双子だから? まったく、こんなときに勘弁してほしい。


「お姉ちゃんから……どうぞ」

「……、気をつけてねって、それだけよ」

「そ、そっか」

「緋那子は?」

「うん……とね」


 そしたら緋那子は自らの首元に触れ、首にかけている十字架のペンダントを外したのだ。たしかそれは、彼女が中学に入学した頃から身に着けているお気に入りのペンダント。

 緋那子は手のひらにペンダントを乗せ、蒼穹祢に差し出して、


「これ、預かってて」

「やめて、縁起でもないわ」


 蒼穹祢は断るも、緋那子は「ううん」と、ゆっくり首を振って、


「お姉ちゃんに預けたいんだ」


 それ以上は言わない。つぶらな瞳には固い意思が込められ、キラリと照り輝く。そんな目で見つめられてしまえば、断れるはずがなかった。

 蒼穹祢はガラス細工を扱うように、大切に受け取ったペンダントを胸に宛がい、


「お願い、これを形見にしないでよ! ヒナが戻ってきたら返すから! 絶対に返すから! だから……無事に戻ってきてね」


 潤んだ瞳で見つめ返した姉の言葉には、感情的な熱がこもっていた。

 緋那子は優しくほほ笑んで、


「絶対に戻って来るよ。だから待っててね、お姉ちゃん」



 そしてロケットの発射当日。

 蒼穹祢に待ち受けていたのは、悪夢のような時間だった。


 ――ヒナの、嘘つき。


 雲に届きかけたタイミングでの、あの大爆発。目を疑った一時。

 妹の旅立ちのときに覚えた嫉妬心も、無事戻ってきてほしいという想いも粉々に砕かれた、あの瞬間。


「いやあ!! そん……なぁ……、嘘よ、こんなの嘘よ……! 嘘でしょ、嘘でしょ!!」


 パニックに陥る飛行士の親族たち。蒼穹祢も例外ではない。


「あぁ……、ヒナぁ……」


 鬼灯ほおずきのような炎の膨らみと、晴天を汚す黒い煙。弾け飛ぶ破片に、形を失った機体。

 横の夫婦は泣き喚き、後ろの少年と少女は全身をわなわなと震わせていた。

 取り乱していた蒼穹祢だが、深呼吸して静かに目をつむり、祈りを捧げるように手を組み、


「神様。どうか緋那子を助けてください。お願いします、緋那子に謝らせてください」



 高校生三名を含めた乗組員六名の死亡という訃報が届いたのは、事故から数時間が経ってから。五名が即死で、一名の高校生が病院で死亡が確認された。ただ奇跡的にも、残り一名の高校生が一命を取り留めたとの知らせも一緒に届いた。


「……ヒナ」


 さらには、生存者は緋那子とのこと。しかし容体は極めて危険な状態であり、今は手術室で懸命の治療を受けている。

 待合室の椅子に腰かけ、蒼穹祢は妹の無事を祈り続ける。両親のほか神代一族の者たちが蒼穹祢の傍で、同じく緋那子の回復を祈る。

 そして手術室に運び込まれてから一〇時間が経過した、そのとき。


「……ッ!?」


 日本人医師が待合室に顔を出した。蒼穹祢たちは思わず立ち上がり、固唾を呑んで医師に注意を傾ける。


「一命は取り留めました。ただ……」


 曇る医師の顔。蒼穹祢の頬に一筋の汗が流れる。


「……――おそらく一生、目を開けることはないでしょう。脳に大きな損傷が見られました。生命維持装置を外せば、生きながらえることは不可能です」

「いやぁ……。それって、結局……」


 死んだのと同じじゃない……。口には出せなかったが、蒼穹祢は心の中でそう漏らした。

 全身の力が抜け、椅子に落ちた蒼穹祢。真っ青に色が抜けた顔。脂汗が止まらず、現実を認めたくないと願い続けた。


 医師の言ったとおり、事故から半年が経過してなお、緋那子は一度も目を覚ましていない。病室のベッドで静かに眠る彼女には、数多の医療器具が繋がっている。いずれか一つでも機能を失うと命も潰えてしまうだろう。それくらい、彼女は死の手前にいる。


 凄惨な事故があって、緋那子の大切さに気づかされた蒼穹祢。身勝手なコンプレックスで距離を置いてしまって、そんな自分は姉失格。


 何よりも。


 唯一の妹と、二度と会話できない現実が無性に悲しかった。

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