4-4

「ヒナぁ……」


 過去を顧みた蒼穹祢は、天井の壁画を力なく見上げて。


「う……ううっ……」


 シャープな目尻は徐々に歪み、瞳が潤んで、ついには涙が頬に伝う。一筋の涙は次第にボロボロと、とめどなく溢れ、こぼれてしまう。


「う……えぐっ……えっ……」


 あひる座りで、幼女のように泣きじゃくる蒼穹祢。両手で目元を拭い、人差し指で掬いきれない涙が顎に伝って、意識のない緋那子の顔に滴る。女の子の弱弱しい嗚咽が教会に響いた。


「ごめんね……ごめんね……ヒナぁ。痛く……なかったぁ? いっぱい攻撃して……ごめ……ごめんね……」


 泣きじゃくりながら、自然に口から出たのは謝罪の言葉。

 考えるよりも前に、無意識に想いが胸から溢れ出て、


「こんな性格で……ぐすっ……嫌な思い……させたよね……。ごめんね……。たくさん冷たい……うっ……態度取って……ごめんね……っ」


 胸の内の想いが、蒼穹祢の口から言葉になる。


「最後まで……っ、合格を祝え……えっ、祝えなくてぇ……ごめんね……。あの城ケ丘に……合格なんて……うぅ……すごいわぁ……。ほ、誇り……よ、すご……うっ、すごい……っ」


 言葉には妹への後悔も混じっていた。どれだけ流れても涙は止まらない。


「ぜんぜん……お姉ちゃんらしく……できなくて……ごめんね……っ」


 教会に反響する嗚咽と、妹への想い。

 涙を流したところで懺悔にはならないし、無意味なことはわかっている。

 わかっているけれども。


「ごめんね……ヒナぁ……ごめんね……っ、ごめんね……っ」


 悔やんでも悔やみきれない想いを、みっともなくても言葉にし続ける。


「蒼穹祢お姉ちゃん」

「……ふぇ?」


 涙を拭う手を止めた蒼穹祢。声が聞こえた気がしたから。

 それも、蒼穹祢の目下から。


「ヒナ……?」


 依然涙は流れるも、蒼穹祢は手を引いて、そっと俯いてみれば、


「――――!?」

「泣かないで。お姉ちゃんのキャラに涙は似合わないからさ。ほら、凛としたクールな感じがかっこいいから」


 泣く赤ん坊をあやす母親のように、緋那子は優しくほほ笑んでくれる。手袋を外し、仰向けのまま右手を伸ばして、姉の頬に触れた。壊れ物を扱うように、撫でるように。白い指で温かい涙を掬って。


「……ヒナ?」


 半信半疑。幽霊でも見るように、蒼穹祢はちょこんと首を傾げる。


「あー、やっと思い出せた。お姉ちゃんの声と涙が刺さったのかも。お姉ちゃんのおかげだね」

「ねぇ、本物の……ヒナなの?」

「うん、心は本物。もちろん身体は違うけどね。病院で寝てるから」


 緋那子はくすっと笑って、


「なんでも事故で植物状態なんだけど……あ、事故って宇宙飛行プロジェクトのことか。すごい装置が脳をサポートしてくれてるみたいで、ネットワークの世界なら会話も活動もできるんだ」

「すごい装置? ネットワークの世界で? それって、セリアみたいな概念……?」

「そう、セリアと一緒。ただの仮想体じゃないよ。君に巡る科学のこころマージナル・ハートは……お姉ちゃんも知らないよね」


「マージナル……ハート? ええ、聞いたことないわ……」

「私みたいに情報生命体になった子の集まりを君に巡る科学のこころマージナル・ハートって呼ぶんだ。セリアの力で街がコンピュータ化してることは知ってると思うけど、実は〈.orion〉って私たちの力も影響してるんだよ」

「街の演算能力が近年、飛躍的に向上してるって話は聞いたけど、そういうからくりがあったのね……。君に巡る科学のこころマージナル・ハート……、知らなかったわ」


 セリア以外にも情報生命体が存在することに驚いた。それも妹が当事者とは。


「記憶、なかったの? 『思い出せた』って、さっき言ってた気が?」

「うん。少しずつ思い出せてはいたんだけど、お姉ちゃんや自分の経歴のことは思い出せてなかったんだ。そもそも記憶があったらお姉ちゃんとも戦ってないし」

「そうなのね。だからヒナが情報生命体になったことを……私は知らなかった」

「記憶があれば真っ先に教えてるからね。も~う、セリアは私の過去を教えてくれなかったんだよ? 『私が半端に教えても回復の妨げになる』って」


「少しずつ、ショックを与えないように思い出させたかったのかもね」

「なんたって、あんな事故に遭ったわけだし。一度に思い出したらショック死しちゃうかも」

「身体のことは……受け入れてるの?」

「うん……。記憶がない頃に知らされたから、それがクッションになってる。受け入れてるよ」


 そう語る緋那子の顔は穏やかだ。本心だと納得した蒼穹祢。その強さには心から尊敬したい。


「でもね」

「でも?」

「お姉ちゃんを悲しませたのはほんと申し訳ない。お父さんやお母さんも……。こちらこそ……ごめんね。それが一番……つらいかな」


 このときになって初めて、蒼穹祢の口元に緩みが窺え、


「ったく、どれだけつらかったと思ってるのよ。おかげで体重が落ちたし。……、でも許すわ。ちゃんと戻ってきてくれたから」

「事故のときに、どんな形でもいいからお姉ちゃんに会いたいって祈ったんだ。戻って来られて……よかった」

「それが……ヒナの想いだったのね。私はそれを知りたかったの」


「そんなことを?」

「ヒナを失った自分の気持ちに区切りをつけるためにね。最後のヒナを知りたかった。まあ、区切りをつける必要はなくなったみたいだけど」

「意外に重かった……」

「重くて悪い?」

「いいや」


 視線を重ね、姉妹は軽く笑い合う。


「もしかしたら、小さかった頃に流れ星に願ったのが叶ったのかな?」

「どんなお願いしたの? あのときは教えてくれなかったわよね?」

「どうか、お姉ちゃんといつまでも一緒にいられますように。そんなお願いだったよ」

「……っ?」


 はっと目を見開いた蒼穹祢。緋那子が頭にクエスチョンマークを浮かべるので、


「いえ、願いは同じだったのね。星に願うのもやっぱり悪くないわ」

「星の神様に感謝だね」


 すると緋那子は、姉の十字架のペンダントに触れて、


「着けてくれてるんだ。似合ってるよ」

「……、ヒナを感じられるから。毎日着けてる。でも一番似合うのはヒナだから」


 蒼穹祢は頬を赤らめ、照れを隠すように口元を手で覆う。


「そんな反応されるとこっちも照れるな~」

「もう、笑ってるじゃない」

「お姉ちゃん、大好き」

「ストレートに言わないで……。恥ずかしいってば」


 蒼穹祢はいっそう頬を染め、髪をくるくる指で巻いて、反応に困ったが、


「事故の前は……冷たい態度を取っていたけど……それでも?」

「大好きなものは大好きだよ」

「どうして?」

「それは聞かないでよ、察して。セリフで説明してはイケナイものなんです~」


 と、姉ほどではないにしても、緋那子は照れ気味に頬を赤らめるが、


「世界で一人だけのお姉ちゃんだし。天体観測は覚えてる? すごく楽しかった。テストの結果を競ってたよね? お姉ちゃんには負けたくなかったもんなー」

「ヒナ……」

「全部ひっくるめてお姉ちゃんだもん。好きに決まってる」


 蒼穹祢は緋那子の手を優しく握って、


「昔みたいにまた……ヒナって呼んでもいい?」

「どうぞ。姉妹なんだから好きに呼んでいいよ」

「うん」


 こういう形にはなったが、確かに戻ってきてくれた緋那子に、感謝の気持ちでいっぱいの蒼穹祢。もちろん、それを叶えてくれた科学の力にも。

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