1-5
滝上先生とお茶をしてから二日後。
放課後。桜鈴館高校からバスに乗ること八分。蒼穹祢は目的のバス停で降車する。
(中に入るのは初めてね。たしか入試は別の会場だったから)
私立・城ケ丘高校の前。
地上十五階建てのビル型の校舎が三本、トライアングルを描くように建つ。全面ガラス張りのシンプルな長方形の外観だが、しかし一方で、言葉にしがたい威圧感がある。
だが、蒼穹祢が覚える威圧感は校舎の高さが理由ではない。なぜかというと、
(国内で最高峰の偏差値を誇ると知っているとね)
桜鈴館高校も優秀で評判が高いが、城ケ丘高校は格が違う。かつて、妹の緋那子が通っていた高校でもある。
今日、用があるのは羽嶋という三年の男。アポは取っており、
(どんな話を聞けるのかしら。頭のおかしな人じゃなければいいけど)
そうして蒼穹祢は守衛に用件を伝え、正面扉から建物に入る。C棟のエレベーターに乗り、到着したのは十階。廊下を進むと、目的の『拡張現実研究部』の部室が奥にあった。扉は空いており、蒼穹祢が室内を覗くと、留学生と思われる白人の女子生徒に気づかれる。
「桜鈴館高校の神代蒼穹祢です。羽嶋さんと約束があって来ました」
そう伝えると、部屋の奥から呼ばれてやって来たのは、ずいぶんと体格のよい男子生徒だった。顔立ちに特徴はないが、まさに体育会系のオーラをまとった姿で、失礼は承知だがこの高校に在籍するには違和感がある。ラフな白Tシャツも、知的さを削ぐ要素になっていた。
「いらっしゃい。神代さん?」
「はい、神代です。よろしくお願いします」
軽く頭を下げるついでに、蒼穹祢は部室に目を配る。ノートPCや携帯デバイス、ヘッドマウントディスプレイなどの機器が、机の上に雑多に置かれていた。大学の研究室のような雰囲気で、
「三年の羽嶋です。どうぞ、こちらにおかけください」
「ありがとうございます」
見かけによらず丁寧な言葉遣いをする人だ。この辺は天下の城ケ丘高校の生徒なだけある。
椅子に案内された蒼穹祢は、お言葉に甘えて腰かけようとしたら、
「緋那子さんと同じで背が高いですね」
「ええ。背のことはよく言われます」
春に測定したときは166センチメートルだった。蒼穹祢自身はそこまで長身と考えていないが、すらりとしたスタイルだから目立つのだろうか。
「ただ、双子というわりには顔の雰囲気が違いますね。面影はありますけど」
「二卵性ですからね。特に目元の違いは自覚しています」
妹の緋那子は以前この部に所属していたと、羽嶋にアポを取った際に聞いた。双子と相手に知られていると、だいたいのところ、このような会話から始まる。
前の席に腰かけた羽嶋は、目に悲しみの色を浮かべ、
「緋那子さんと夏目さんのことは非常に残念です。緋那子さんとは一緒に研究しましたが、気さくな性格で部を盛り上げてくれたのは記憶に新しいです」
「その言葉を聞けて何よりです。悲しんでくれる城ケ丘の生徒はたくさんいました。恥ずかしながら、妹とは距離があって……。だからこの高校の生徒に与えた影響には驚きました」
妹のことを少し会話してから、
「今日来ていただいたのは夏目さんの件ですよね」
「はい。なんでも夏目さんを街で見かけたと聞いて」
「夏目さんとは昨年クラスメイトの関係だったのですが――……」
すると羽嶋は、机の上にあるヘッドマウントディスプレイを手に取って、
「二週間くらい前ですね。街で実験していたんですよ。そしたら彼を見たんです。神代さんは複合現実――、MRとも呼ばれているデジタル技術をご存じですか?」
「MR、ですか? たしかARとVRを組み合わせたような技術ですよね?」
「そうですね。一応ですが、MRの説明から入りましょうか。夏目さんの件に関わることなので。MRがARとVRの組み合わせと言われる所以から説明しますと――……」
そう前置きした羽嶋は、スマートフォンを手にして、
「ARは現実世界に情報を付加する技術ですが、映像に触れても変化は起こせません」
壁に貼られているモノクロのARマーカーにカメラをかざした。蒼穹祢がディスプレイを覗くと、今月五月のカレンダーが壁に浮いている。羽嶋がディスプレイ越しにARオブジェクトに触れるが、変化は起きない。
「これはマーカー型のARですが、マーカーレス型も同様ですね。ああ、後者は顔にメイクを施すようなARのことですね。ご存じとは思いますが」
続いて羽嶋はノートPCの操作に移り、モニターに映像を流す。グリーンの芝が扇形に広がる、バッターボックスから見た球場の映像だ。ただし現実にある球場ではなく、安っぽいバーチャルで再現されたもの。羽嶋からヘッドマウントディスプレイを渡されたので、蒼穹祢は装着してみる。モニターの映像がディスプレイで見え、頭を右に左に動かすと、併せてライトスタンド、レフトスタンドが見える。
「VRはARと違って世界に干渉できます。これは球場をVRで実現したものですが、投手が投げるボールを打ち返す体験ができます」
マウンドには投手が立っており、振りかぶって第一球を投げた。速球が瞬く間に飛来して、
「キャッ!」
パァンッ! 捕手のミットに納まった。VRとわかっていても、速球の迫力に思わず声が出た。センサーのついたプラスチックのバットを渡された蒼穹祢は、投じられたボールに合わせて軽くスイングする。ボールはバットに当たり、ボテボテのゴロが遊撃手に転がっていった。
蒼穹祢はヘッドマウントディスプレイを外し、
「VRは世界に干渉できる。けれど、すべてが仮想世界になってしまうのが欠点でしょうか」
「はい。バーチャルで球場を再現できても、あくまで再現レベルで留まってしまいます。限りなくリアルに近づけても、本物ではありません」
現実世界と隔てられた世界になってしまうのが、VRの特徴。
では、ARとVRを組み合わせたMRはというと、
「この体験をMRで実現するなら、現実にある球場に、投手とボールという仮想情報を取り入れる形になるでしょう。リアルの球場にネットワークを整備さえすれば、ネットワークに仮想情報を設定できると思いますよ」
「MRはあの宇宙飛行プロジェクトでも使われる予定だったんですよね?」
「そうですね。緋那子さんの研は自分も見ていました。緋那子さんが使っていた映像が、たしか――……」
映像は球場から切り替わり、宇宙空間のような暗黒がモニターに映る。すると行き先への進路や星々との距離、危険ポイントの提示、現在速度、残燃料などが空間を読み取って、仮想情報という形で逐一表示される。カメラやセンサーを駆使するので仮想情報に回り込んだり、切り取った宇宙空間を投影させて操作したりも可能なようだ。
(これが……緋那子の研究)
蒼穹祢は食い入るようにモニターを見つめた。
「さて、本題に戻りましょうか。夏目さんを見たのは、街でMRを実験していたときなんですよ。街のネットワークにオブジェクトを配置して、デバイスで見ていたら――彼がいたんです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます