1-5

 滝上先生とお茶をしてから二日後。


 放課後。桜鈴館高校からバスに乗ること八分。蒼穹祢は目的のバス停で降車する。


(中に入るのは初めてね。たしか入試は別の会場だったから)


 私立・城ケ丘高校の前。

 地上十五階建てのビル型の校舎が三本、トライアングルを描くように建つ。全面ガラス張りのシンプルな長方形の外観だが、しかし一方で、言葉にしがたい威圧感がある。


 加速する科学の不夜城イマジナリーパートの学校がビル型なのは、なにも城ケ丘高校だけではない。蒼穹祢の通う桜鈴館高校を含め、街の学校は小中高すべてビル型だ(体育館やグラウンドは他校と共用の施設を使用)。街の面積が約五〇平方キロメートル、そして二十五万人が収まる人口密度の高さという事情のためである。

 だが、蒼穹祢が覚える威圧感は校舎の高さが理由ではない。なぜかというと、


(国内で最高峰の偏差値を誇ると知っているとね)


 桜鈴館高校も優秀で評判が高いが、城ケ丘高校は格が違う。かつて、妹の緋那子が通っていた高校でもある。

 今日、用があるのは羽嶋という三年の男。アポは取っており、


(どんな話を聞けるのかしら。頭のおかしな人じゃなければいいけど)


 そうして蒼穹祢は守衛に用件を伝え、正面扉から建物に入る。C棟のエレベーターに乗り、到着したのは十階。廊下を進むと、目的の『拡張現実研究部』の部室が奥にあった。扉は空いており、蒼穹祢が室内を覗くと、留学生と思われる白人の女子生徒に気づかれる。


「桜鈴館高校の神代蒼穹祢です。羽嶋さんと約束があって来ました」


 そう伝えると、部屋の奥から呼ばれてやって来たのは、ずいぶんと体格のよい男子生徒だった。顔立ちに特徴はないが、まさに体育会系のオーラをまとった姿で、失礼は承知だがこの高校に在籍するには違和感がある。ラフな白Tシャツも、知的さを削ぐ要素になっていた。


「いらっしゃい。神代さん?」

「はい、神代です。よろしくお願いします」


 軽く頭を下げるついでに、蒼穹祢は部室に目を配る。ノートPCや携帯デバイス、ヘッドマウントディスプレイなどの機器が、机の上に雑多に置かれていた。大学の研究室のような雰囲気で、加速する科学の不夜城イマジナリーパートの高校の研究系部室らしい部屋模様だ。


「三年の羽嶋です。どうぞ、こちらにおかけください」

「ありがとうございます」


 見かけによらず丁寧な言葉遣いをする人だ。この辺は天下の城ケ丘高校の生徒なだけある。

 椅子に案内された蒼穹祢は、お言葉に甘えて腰かけようとしたら、


「緋那子さんと同じで背が高いですね」

「ええ。背のことはよく言われます」


 春に測定したときは166センチメートルだった。蒼穹祢自身はそこまで長身と考えていないが、すらりとしたスタイルだから目立つのだろうか。


「ただ、双子というわりには顔の雰囲気が違いますね。面影はありますけど」

「二卵性ですからね。特に目元の違いは自覚しています」


 妹の緋那子は以前この部に所属していたと、羽嶋にアポを取った際に聞いた。双子と相手に知られていると、だいたいのところ、このような会話から始まる。

 前の席に腰かけた羽嶋は、目に悲しみの色を浮かべ、


「緋那子さんと夏目さんのことは非常に残念です。緋那子さんとは一緒に研究しましたが、気さくな性格で部を盛り上げてくれたのは記憶に新しいです」

「その言葉を聞けて何よりです。悲しんでくれる城ケ丘の生徒はたくさんいました。恥ずかしながら、妹とは距離があって……。だからこの高校の生徒に与えた影響には驚きました」


 妹のことを少し会話してから、


「今日来ていただいたのは夏目さんの件ですよね」

「はい。なんでも夏目さんを街で見かけたと聞いて」

「夏目さんとは昨年クラスメイトの関係だったのですが――……」


 すると羽嶋は、机の上にあるヘッドマウントディスプレイを手に取って、


「二週間くらい前ですね。街で実験していたんですよ。そしたら彼を見たんです。神代さんは複合現実――、MRとも呼ばれているデジタル技術をご存じですか?」

「MR、ですか? たしかARとVRを組み合わせたような技術ですよね?」

「そうですね。一応ですが、MRの説明から入りましょうか。夏目さんの件に関わることなので。MRがARとVRの組み合わせと言われる所以から説明しますと――……」


 そう前置きした羽嶋は、スマートフォンを手にして、


「ARは現実世界に情報を付加する技術ですが、映像に触れても変化は起こせません」


 壁に貼られているモノクロのARマーカーにカメラをかざした。蒼穹祢がディスプレイを覗くと、今月五月のカレンダーが壁に浮いている。羽嶋がディスプレイ越しにARオブジェクトに触れるが、変化は起きない。


「これはマーカー型のARですが、マーカーレス型も同様ですね。ああ、後者は顔にメイクを施すようなARのことですね。ご存じとは思いますが」


 続いて羽嶋はノートPCの操作に移り、モニターに映像を流す。グリーンの芝が扇形に広がる、バッターボックスから見た球場の映像だ。ただし現実にある球場ではなく、安っぽいバーチャルで再現されたもの。羽嶋からヘッドマウントディスプレイを渡されたので、蒼穹祢は装着してみる。モニターの映像がディスプレイで見え、頭を右に左に動かすと、併せてライトスタンド、レフトスタンドが見える。


「VRはARと違って世界に干渉できます。これは球場をVRで実現したものですが、投手が投げるボールを打ち返す体験ができます」


 マウンドには投手が立っており、振りかぶって第一球を投げた。速球が瞬く間に飛来して、


「キャッ!」


 パァンッ! 捕手のミットに納まった。VRとわかっていても、速球の迫力に思わず声が出た。センサーのついたプラスチックのバットを渡された蒼穹祢は、投じられたボールに合わせて軽くスイングする。ボールはバットに当たり、ボテボテのゴロが遊撃手に転がっていった。

 蒼穹祢はヘッドマウントディスプレイを外し、


「VRは世界に干渉できる。けれど、すべてが仮想世界になってしまうのが欠点でしょうか」

「はい。バーチャルで球場を再現できても、あくまで再現レベルで留まってしまいます。限りなくリアルに近づけても、本物ではありません」


 現実世界と隔てられた世界になってしまうのが、VRの特徴。

 では、ARとVRを組み合わせたMRはというと、


「この体験をMRで実現するなら、現実にある球場に、投手とボールという仮想情報を取り入れる形になるでしょう。リアルの球場にネットワークを整備さえすれば、ネットワークに仮想情報を設定できると思いますよ」

「MRはあの宇宙飛行プロジェクトでも使われる予定だったんですよね?」

「そうですね。緋那子さんの研は自分も見ていました。緋那子さんが使っていた映像が、たしか――……」


 映像は球場から切り替わり、宇宙空間のような暗黒がモニターに映る。すると行き先への進路や星々との距離、危険ポイントの提示、現在速度、残燃料などが空間を読み取って、仮想情報という形で逐一表示される。カメラやセンサーを駆使するので仮想情報に回り込んだり、切り取った宇宙空間を投影させて操作したりも可能なようだ。


(これが……緋那子の研究)


 蒼穹祢は食い入るようにモニターを見つめた。


「さて、本題に戻りましょうか。夏目さんを見たのは、街でMRを実験していたときなんですよ。街のネットワークにオブジェクトを配置して、デバイスで見ていたら――彼がいたんです」

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