2-6

 ジリリリリリ。セミの鳴き声が目覚まし代わりになる。


 意識が宿り、蒼穹祢はまぶたを開くと、


「ここは……?」


 学習机が規則正しく並び、前方には黒板。ありふれた教室の風景そのものだ。しかし蒼穹祢が通う桜鈴館高校の教室とは違い、日光が差し込んでいる。横の窓から外を見渡すと、校庭には緑の木々が生え、田んぼや畑に川など、絵になる自然豊かな風景が広がっている。人工的な建築物が連なる加速する科学の不夜城イマジナリーパートとは対極の世界。

 最後部の窓際の席に座る蒼穹祢を除いて、教室には誰一人としていない。


「悪くないわね、こういう眺めも」


 蒼穹祢が感想を漏らしたその折。


「おねーちゃん」


 一人だけの世界を破るような声。懐かしさすらも感じる音。

 蒼穹祢は声の方に、おもむろに顔を向けると、


緋那子ひなこ……?」


 そこに立っていたのは、城ケ丘高校の黒セーラーの制服を着ている妹だった。


「ど、そうして……?」


 妹とは二度と会話することができないはずなのに。

 けれど、蒼穹祢は察した。強張った肩の力が抜ける。


「ああ、夢ね」


 そういえば周囲の風景も、今晩に見た青春ドラマの舞台にそっくり。

 そう、妹と会話できるはずがないのだ。それに気づくと、寂しさが心をくすぐった。そのくすぐったさで夢から覚めてしまいそうになるが、


「夢でもいいから話がしたいわ」

「うん」


 近づいてきた妹は、背後から蒼穹祢の両肩に手を置く。蒼穹祢が顎を上げると、妹はニコッとほほ笑んでくれる。自分には難しい表情を簡単に作るものだ。双子なのに。いつ見てもかわいい笑み。蒼穹祢の口元も緩和する。


「久しぶりに声を聞いても涙が出ないから、“冷たいお嬢様”なんて言われるのかしら」

「ここで泣かれても困るよぉ。今の表情でいいって」

「そう? じゃあ、そうするわ」


 蒼穹祢は妹の右手に自分の左手を重ねて、


「みっともなくコンプレックスを抱いて、だから距離を置いてしまって。例の事故があってから後悔ばかりしてる」

「お姉ちゃん……」

「こんなお姉ちゃんだけど、緋那子と話をする資格があるのかしら?」

「姉妹が話をするのに資格なんていらないでしょ」


「それもそうね。じゃあ、一つ聞いていい?」

「うん?」

「事故の直前の話になるけど、大丈夫? 嫌な話になるけど……いい?」

「いいよ」


「事故のときの緋那子が知りたいの。考えたこととか、言い残したこととか、なんでもいいわ」

「そんなことを聞きたいの?」

「せめて最後を知りたいの。もちろんお別れは……嫌よ。でも、区切りをつけないと……前に進めない気がして。緋那子の最後を胸に仕舞って……区切りにしたいからっ」


 不安定で崩れそうな、感情的な蒼穹祢の声。そしたら妹に、人差し指を両頬に埋められて、


「ナイショ。自分から話すのは恥ずかしいよ」

「……ふふ、そうね」


 答えなど、自分の見る夢で聞けるわけないのだ。妹の指が頬から離れ、蒼穹祢は苦笑いする。


「土曜日、夏目景途に会いにいくわ。プロジェクトで一緒だった、あの夏目さん。緋那子の最後は夏目さんに聞いてみる。いいかしら?」


 尋ねると、妹はニコッと返してくれた。


 蒼穹祢は田園風景を眺めて、


加速する科学の不夜城イマジナリーパートに慣れるとこういう風景も恋しくなるわ。最後に緋那子と外に出たのは……二年前の夏だったかしら? 暑かったけど花火が綺麗だった。りんご飴を初めて食べたけどおいしかった。ねえ、緋那子は……、緋那子?」


 振り返ると、妹は消えていた。視線の先には空っぽの廊下。教室はしんと静まり返っている。静寂さを奪うように涼しい風が吹き、空気を取り込んだカーテンがふわりと膨らんだ。


 何かを追うように、掴もうとするように左手を伸ばしかけたが、蒼穹祢はそっと腕を下げ、


「会いに来てくれて、ありがとう」

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