5-5
「ひっ……」
怒りよりも恐怖。背筋が凍るが、それでも緋那子は一歩でも先を進み、
(ごめん……っ、ごめんね!)
脇腹に残る痛みよりも、胸の痛みが何よりもつらい。
『……、レミと逢坂くんにはあとでお礼を言いましょう』
「うん……!」
そして地下三階に到着。最後の関門だ。
緋那子は先までと同じ要領で端末にアクセスを試み、警備システムに触れかけたが、
「鬼ごっこは終わりだよ」
背後から少女の声。いつもの声色なのに、絶望的な気分になる。振り向けば、フロアに悠々と顔を覗かせたのは翼の大きな敵手。緋那子を守る者はもう、誰もいない。
「来るな!」
右手で仮想ウインドウの操作を継続しながら、左腕をセリアに振り切る緋那子。〈マジック〉の能力で氷の弾丸を放つが、
「無駄だ」
セリアは避けることもせず、悠長に膝を屈めると、
「そら!!」
脚を伸ばして勢いづけた彼女は、目にも止まらぬ速度で真っすぐ飛行する。緋那子は一歩たりとも動けず、
「――ッ!?」
セリアの振り切った拳に、がら空きの腹部を鎌のように抉られた。緋那子の身体は端末を離れ、セリアの飛来とは九十度の方向に、十数メートル先まで吹き飛ばされ床を転がる。
「……ぅ! …………っ!」
視界が霞んだ。光が走り、悪い点滅もする。HPも半分減った。身体の芯から焼けるような激痛が、腹部に留まらず全身を隅々まで襲うが、緋那子は両手で口を覆って、
(がまん……! お姉ちゃんに……聞こえないように!)
仰向けでぴくっ、ぴくっと痙攣する。不格好でとても他人に見せられない姿だが、蒼穹祢に心配をかけさせたくない。その一心で、喉の奥で声を懸命に留める。
『ヒナ! ヒナ!? 大丈夫!?』
必死に呼びかけてくれる姉に応答したいところだが、まともな声が出せない。
マイペースに歩んできたセリアが、水を失った魚のような緋那子を見下ろして、
「くっくっ。お姉ちゃん想いの妹だね、まったく」
「……ぅぅ!」
嘲笑を浴びながらも、緋那子は涙目でウインドウを操作したのち、姉との通話を切った。
「ああっ……あああああああああああ!! うううううううううううう!!」
悶え、声で痛みを発散する。
そうして緋那子は片目をつむり、歯を噛み締めながらセリアを睨み、
「お姉ちゃん想いで……悪い……?」
「悪いとは言ってないさ。しかしわからないな」
セリアは翼を広げて、緋那子を巻き込むように羽ばたく。無理に身体を起こした緋那子は重い足取りで引き、羽ばたきをフラフラな身で躱す。人差し指を伸ばし、セリアに雷撃を浴びせた。
セリアは雷撃を浴びながら緋那子に問いかける。
「キミは非常に優秀だ。だから、キミより劣る姉をなぜ盲信するのだろうって」
「盲信……?」
「いわばヒナの劣化版じゃないか。学力に運動神経、コミュニケーションスキルに……他にも。母親のおなかにいるときにスキルを吸い取ったんじゃないか?」
「……」
緋那子は攻撃を躱しながら、ぐっと拳を握る。一方でセリアは羽根を飛ばしたり、掌底を振り抜いたりしながら、緋那子をフロアの端に着実に追い詰めていく。
「やっ!」
フロアを抜け、傍で階段が控える壁際へと追い詰められた緋那子。背中が壁に張りつく。この距離では端末にアクセスできない。それを知るセリアは『ジ・エンド』。そうとでも言いたげな、してやったりの表情を童顔に浮かべる。
身体の痛みは全く抜け切れていない。むしろ刻々と増しているような、そんな気もした。
背中が壁を滑り、尻もちをつく緋那子。
「……」
頭にへばりつくのは、姉に対するセリアの嘲笑。
たしかに姉がコンプレックスに悩む姿は散々見てきた。姉妹の拗れのきっかけだとも知っている。
それでも、
(ああ……そうだ)
ぼやけた視界で顎を上げ、
(私は――……)
脳裏によぎったのは、半年前にロケットに乗っていたときの記憶。まるで死を迎える際の走馬灯のように。
……――たしか機体が打ち上げられて数秒で異音を耳にした。気のせいだと思ったけれど、異音は瞬く間に増して。絶望に打ちひしがれる乗組員たちの姿は鮮明だ。
緋那子も例外ではなく、
(助からないかな。無理かなって。……諦めたんだっけ)
肩の力が抜けていたと思う。憧れの宇宙まであと一歩だが、残念ながら届きそうにない。
――お姉ちゃんと宇宙に行きたかったんだけどなぁ――
そう口走って目をつむったら、思い浮かんだのは――姉の姿。
『お願い、これを形見にしないでよ! ヒナが戻ってきたら返すから! 絶対に返すから! だから……無事に戻ってきてね』
緋那子が大事にしていたペンダントを胸に宛がい、はっきりと伝えてくれた姉。
――仲直り……したいよ――
胸にこみ上げた想いは、喉を通じて声になっていた。
(そして私は願った)
――どんな生き方でも構いません。どうか、まだ生きたいです。生きて、お姉ちゃんと仲直りをする時間をください――
「見くびる……なよ!」
壁に手をつき、緋那子は重い身体を上げる。引き千切れそうな激痛で声が漏れそうになったが、それは喉の奥にぐっと留めた。
姉のような鋭い目つきで、セリアをしかと捉えて、
「蒼穹祢は……強いよ」
「ほぉ?」
「ずいぶんと……競争したけど、一度も手は……抜けなかった。……強いからね」
発声すらもつらい。けれど、姉を嘲笑したセリアにはなんとしても伝えたい。
「蒼穹祢じゃないと……物足りないんだって。蒼穹祢と……勝負したいんだって。紙一重の……差なんだって。油断したら……負ける。そんな勝負……蒼穹祢じゃないとできないんだよ」
「……」
「宇宙飛行士になれたのは……蒼穹祢がいたから。いなかったらあんな高み……無理だって」
そして緋那子はきっぱり伝えた。
「だからお姉ちゃんは、強いよ。もう諦めないって」
「……、そうか」
セリアはため息をついて、
「想いはよくわかった。ところで〈
「ハァ? 今の流れで……協力しますなんて言うと思う? ばーか」
「そんな言葉を聞くためにキミを教育したわけじゃないんだけどね」
「あっそ」
緋那子はそっけなく返して、
「教育って言うけどさ、セリア先生だってしょせんは人間の女の子だよね」
「ん? 発言の意図がわからない」
セリアが首を傾げると、――横のフロアから照らされる照明が緑色に変わった。
「なっ!?」
セリアは振り向く。そこは警備システムが無効化されたフロア。
「待て! キミを追い詰めたはずじゃ……」
「あのさ、私一人じゃないでしょ?」
「しまっ……、蒼穹祢か」
「せーかい」
カラクリは簡単。緋那子が通話を切る直前、蒼穹祢にこっそり指示を送っていたのだ。端末から警備システムを解除する手順を。緋那子がセリアに追い詰められる隙に、蒼穹祢の手で解除してもらった。
「《拡張戦線》のネットワークは生身の人間を消すもんね。だから蒼穹祢のこと、意識になかったでしょ?」
「はぁ、そのとおりだ。まったく、情けないね。私も人間ということか。ここまでは神代姉妹に完敗だ。研究部の二人も称えるよ」
セリアは怒らない。言葉のとおり、やれやれと肩をすくめながら負けを認める。
「はは、ありがと」
敵に礼を言うのもおかしいけれど。そんな矛盾に気づき、緋那子はくすっと笑った。
「だが、まだ終わっていないよ」
「わかってるって」
緋那子は下に続く、暗みに包まれた階段を見据えて、
(この先は
最下層のフロアはネットワークのない世界。
つまり“デジタル”の世界に生きる緋那子には介入できない領域。
だから、託す。
階段の先へと、
「お姉ちゃん、任せた」
今も“現実”の世界に生きる
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