5-6
自らの手で警備システムを解除した蒼穹祢はフロアを駆け抜け、胸元にかかる十字架のペンダントを優しく握り、
「あとは任せて」
囁いて、急ぎ足で階段を降りてゆく。
二階層分の長い階段を下ったら、簡素な開き戸が待ち構えていた。蒼穹祢は一度息を吸って、吐いて、心の準備を整えてからレバーハンドルを握る。ゆっくり開くと、薄いブルーで照らされる空間が蒼穹祢を出迎える。室温に変化は覚えないが、ほのかな冷房の風を肌で感じた。ゆとりのある部屋のわりに物は少ない。中央に大型のサーバーが三台並び、隣の白いテーブルの上にモニターとキーボードが置かれている。大型サーバーのさらに脇には、数十台のサーバーが縦横規則正しく並んでいた。
ただ、それらの要素だけなら平準的なサーバールームと言えるのだが、普通では絶対に見られないものが、大型サーバーから数メートルを隔てて陣取られている。
「……、ベッド?」
そう――、正体はダブルベッド。無菌ユニットのようなレースで囲まれているため、中の様子はこの離れた場所からでは窺えない。
用のある大型サーバーに歩み寄る蒼穹祢。そのついでにベッドを間近で見る。リクライニングのベッドは頭部が三十度ほど傾いているが、知った顔がベッドで眠っていた。
「セリア、なの?」
思わず少女の名を呟いた。
桃色が褪せたような銀髪が伸びる童顔の少女。レース越しで見えにくいが、無垢な寝顔には愛らしさがあり、異国の人形のような、どこか現実離れした佇まいもある。患者服のような桃色の衣服を着ていた。胸元まで白い布団を被っている、多数の医療機器に繋がれている姿は、お見舞いのときに見る妹と重なった。モニターに映る心拍数や心電図波形も、まさに病室のベッドを連想させる。
「あなた、ここにいたのね」
(セリアも……人間なのね。なんだか変な感覚だわ)
セリアの肉体を目撃し、言葉にはしがたい妙な気分を覚えた蒼穹祢。
蒼穹祢はサーバーのモニターに向き合い、事前に緋那子から受け取ったパスワードを慎重に入力して、エンターキーを押下する。問題なく先に遷移し、ほっと胸を撫で下ろした。三台のうち本稼働するサーバーは一台。残り二台はバックアップ用だそうだ。各サーバーに保管された目的のデータを順に削除していきたい。
目前のサーバーはCUIのため、操作のうえでコマンドの入力が求められる。が、街独自のOSではなさそうで、サーバーなど広い分野で使用される有名なOSが採用されているようだ。街の上位システムについては、最新の技術よりも安定稼働する“枯れた”技術のほうが好ましいというわけか。だが、蒼穹祢にとっては都合がいい。レミほどIT技術に詳しくないにしても、このOSなら触れたことがある。
とはいえ、
「震えてるじゃない……。みっともないわ」
キーボードの操作もままならない両手。だけれど、このフロアに味方はいない。
「やるしか、ないわ」
気持ちを入れ直し、蒼穹祢はコマンドを入力していく。カタカタ鳴るキーボード。緋那子の指示を参考にディレクトリを移動し、高校生宇宙飛行プロジェクトの関連が予想されるディレクトリを発見。その周辺のディレクトリを探っていると、
「これは……?」
見つけたのは『NARSS』という名のディレクトリ。その配下のディレクトリに移動すると、各種実験データや計画概要などが事細かにまとめられたデータを見つけた。中身を確認のうえ、蒼穹祢はディレクトリごと削除を実行する。だがしかし、
「消えない?」
エラーメッセージが出て消えてくれない。試しに管理者権限をコマンドに付与して再実行すると、今度こそディレクトリは消えた。が、それでも、
「は、復活……した?」
確かに消えたはずなのに、ファイル情報を数秒後にコマンドで再表示させると、ディレクトリが復活していたのだ。こんな現象は知らない。自動バックアップ機能でも働いた?
「……!?」
フロアに変化が起きた。耳障りな高音の警報が鳴り、淡いブルーのはずの蛍光が赤色に、アラームのように点滅する。
冷や汗を頬に流した蒼穹祢は、異常を感知したフロアを見回して、
「マズイわ……っ」
このままではなんらかの警備システムが稼働しかねないし、警備隊が来る可能性だってある。蒼穹祢はキーボードを鳴らして、関連しそうなディレクトリを、試せるコマンドを片っ端から入力して削除を試みるが、それでもディレクトリは復元される。
何度拭っても、嫌な汗が顔に滲む。
「絶対に……消してみせるわ!」
望まない形で緋那子を宇宙に送るなどありえない。妹の悲しむ顔はもう見たくないから。彼女は科学と宇宙を愛し、敬意を持っている。
(私だって!)
蒼穹祢の意思とは裏腹に、警報は無慈悲に鳴り続ける。部外者を追い出したくてたまらないように。高音のアラームは精神の摩耗に効果的だと、身に沁みて理解した。
「ヒナ……守るから!」
強く言葉にした。
けれど。
――――蒼穹祢は薄々気づいていた。
「……イヤッ」
妹のような情報生命体でもなく、十七年しか生きた経験のない人間。数えきれないエンジニアや研究者たちが、苦悩の末にバトンを繋げてきた技術の結晶に無力なのは当然のこと。両親や妹、それに他の親族たち。彼ら、彼女らにも不断の努力があって、そういう姿を近くで見てきた。
今の自分が敵うはずなどないことは……気づいている。
それでも、
「ヒナ……助けるから!!」
たとえ涙が出そうでも、決して蒼穹祢は手を止めなかった。
絶対に諦めてたまるものか。
「参りました」
モニターと格闘していた蒼穹祢は、ピタリと手を止めた。はっと我に返る。
「え?」
声が聞こえたから。
おかしい。このフロアには蒼穹祢だけのはず。
否、もう一人いたことを思い出した蒼穹祢。おもむろにベッドのほうを見た。
「私たち
眠っていた彼女が意識を取り戻している。ベッドで仰向けのまま顔を蒼穹祢に向けて。フロアに響く警報も静まり、目が痛くなるような赤い光も、元の淡いブルーの照明に戻った。
セリアの発言の意図よりも、
「その身体で……話せるの?」
蒼穹祢はその事実に驚いた。てっきり緋那子と同じように眠るだけの肉体と思っていたから。
病人のようなか弱い佇まいはあるが、顔色は健全だ。
蒼穹祢の驚きに答えるように、セリアは小さな口を動かして、
「驚いた? 病人じゃないから元気だよ。毎日食事も取るし、睡眠も取る」
「なら、どうしてこんな場所で……?」
「病気はないけど、――ただ、首から下が動かせないんだ」
「不随……なの? その、例の実験の……せいで? 詳しい出来事は……知らないけど」
「うん。正確にいうと、実験施設で起きた事故のせいでね。この身体になった」
そう明かすセリアの顔に、悲しげな色はない。
「ああ、降参の理由を伝えないとね。私のことよりもそっちに驚いてほしかったけど」
「え、ええ……。私がうまくいったとは……思えないけど?」
「強く抵抗される姿を見せられれば、ヒナを計画に組み込むことが難しいのは想像できるよ。たとえ騙せたところで、心を操ったところで、いつかバレて失敗に終わるのは目に見える」
「それ、だけ……?」
「それだけだよ? 情報生命体だって心があるからね。心が拒絶すれば何事もうまくいかないものさ」
「そ、そう……」
理由を聞いて、全身の力が抜けた蒼穹祢。張りつめていた分、余計に。彼女はその場にへたり込む。あまり嬉しさはなかった。達成感もない。胸に残るのは、異物が喉元につっかえたような、そんな違和感。
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