5-7

「あれ、嬉しくないの? 釈然としない顔つきだね」


 先まで敵だったのが嘘のように、セリアの顔が優しい。悪役を演じるドラマの撮影を終えた女優が、メイキング動画で素を見せるように。


「なんだかしっくりこないわ」

「おいおい、騙してるわけじゃないから。素直に喜べばいいのに」

「でも……何もできなかったから」


 悔しさを隠すために目を伏せる蒼穹祢。体育座りで口元を隠す。

 そんな蒼穹祢の仕草を見たセリアは、ふと語る。


「私はね、神代一族を恨んでいるわけじゃないんだ」

「え? でも、その身体は……?」


 神代の者が密かに取り仕切っていた、非合法かつ非倫理的な実験の被害者であることは事実のはず。しかしよく思い返せば、セリアの口から『神代一族を恨んでいる』と聞いたことがないのも事実。


「少し昔話をしていいかな」

「ええ……」

「実は三歳のときに親に捨てられてしまってね。事業に失敗して、多額の借金を背負ってしまったようで。だから、しばらく地元の施設で育てられたんだ」

「それは……同情するわ」


「六歳のときに施設の子と一緒に、加速する科学の不夜城イマジナリーパートに連れてこられた。施設の引っ越しという名目でね。まあ、場所が変わることは苦じゃなかったよ。友達と一緒だったし。……でも」

「でも?」

「問題は、移転先が人体実験を行う研究施設だったことなんだ。薬物を投与したり頭にメスを入れたりすることで、ヒトの学習能力がどれほど向上するか、という実験のね。ヒトを超えた存在を生み出して金儲けをしたかったらしい」

「それが、神代が関わっていた実験?」

「そうだよ」


 ならばセリアは、実験の失敗という事故で不随になった?

 しかし、


「私はスペアとして待機していただけで、実験には巻き込まれてないよ。巻き込まれたのは友達。言葉を話せなくなった子や命を落とした子もいた」

「え? なら、セリアはどうして?」

「装置の暴走か、何者かが破壊を目論んだのか、今でも発端は明らかになっていないけど。ある日、施設で大きな爆発が起きたんだ」

「爆発?」


「爆発が連鎖してしまってね。私以外の子どもと研究員が全員死亡という有様さ。私は居場所がよくて奇跡的に助かったけど、爆発の衝撃で脊髄が損傷した。それ以来、手足を動かすことができなくなったんだ」

「そういうこと、なのね」

「歩けなくなったことも悲しいけど、友達とお別れになったことが一番つらかったかな」

「……」


 蒼穹祢は言葉が出なかった。神代の悪事にも、セリアの境遇にも。

 締めつけられるように胸が痛む。


「でもね、蒼穹祢」


 沈痛な面持ちの蒼穹祢に、セリアは穏やかに語りかけたのだ。


「情報生命体という身体を私に授けてくれたのも神代だったんだよ」

「そうなの? 知らなか……あっ」


 このとき蒼穹祢は理解した。『たしかに神代に振り回されてこの身分になったわけだし』という数日前の発言の、本当の意味に。


「倫理の欠けた神代もいれば、“科学の闇”に巻き込まれた者に手を差し伸べる神代だっている。病室で面会したのは後者の人たちだった」

「そんなことが……」

「私のために必死に考えてくれて。その結果、私は情報生命体という身体を手に入れた。街をコンピュータ化させようとか、演算能力を向上させようとか、そういう意図は一切なかったらしい」

「純粋にセリアに喜んでほしいための技術って、こと……?」


「そうだね。〈.orion〉というシステムは偶然の産物だから」

「一つ聞かせて。セリアが街に協力する理由って、科学の発展に貢献する理由って、なに?」

「神代も街には勝てなくてね。利益目的に身体とサーバーが街に横取りされてしまったから、街の言いなりにならざるをえない面はあるけど。まあ、個人的に夢があってね。――この身体で街を歩いてみたいんだ」

「つまり、医療技術を向上させるためってわけ?」

「そのとおり。街を歩いて、空気を吸って、雰囲気を肌で感じたい。それが夢なんだ」


 薄いレース越しのセリアはほほ笑んでいた。


「あなたにそんな夢があるとは……、知らなかったわ」


 蒼穹祢がそう口にすると、逆にセリアが蒼穹祢に問う。


「キミにだって夢があるんじゃないか?」

「私に……?」

「今も勉強をがんばってるのは知ってる。科学に嫌気が差しても、興味を捨てきれていないのは見え見えだよ。いろいろ詳しいよね。物理も数学も、情報分野も。街の科学にもね」


「そんな……」

「まだ、胸にあるんじゃない? ――宇宙飛行士の夢」

「……っ」


 肩から背中にかかる蒼穹祢の髪が揺れた。


「双子のヒナだってチャンスがあったんだ。だったら今の調子で努力すれば、お姉ちゃんも夢に近づけるはずだよ」

「セリ……ア……」


 桃色の唇が震え、つり目の目尻には涙が浮かぶ。


「そこにサーバーが並んでいるよね。それ、君に巡る科学のこころマージナル・ハートの“脳と心臓いのち”なんだ。私とヒナ以外の」

「これが……?」


 規則正しく並ぶ数十台のサーバーを見てセリアは言う。


「亡くなる間際に脳の情報をスキャンして、一人につき一台に格納してる。スキャンできるのは、脳の容量と耐久性の問題から十九歳まで。マシンが再起不能に壊れれば、その情報生命体は死ぬことと同じさ」


 まごうことなき、機械の命。


「可哀そうだけど、彼らは眠ることが無理でね。“夢”を見ることができないんだ。脳の研究が追いつかなくて。もしかしたら何年経とうとも、彼らが夢を見ることは難しいのかもしれない」


 目尻に溜まった涙を制服の袖で拭った蒼穹祢。


「でもね、私とヒナは夢を見ることができる。幼く見られるから意外かもしれないけど、私たちって同い年なんだよね。何かの縁だし、よかったら一緒に“夢”を見てみない?」

「うん……っ」


 拭った先からボロボロと涙が溢れる。体育座りのまま膝に顔を埋め、涙声ながらも蒼穹祢は返事した。

 がんばりを認めてくれる嬉しさ。けれど認めてくれる彼女が敵だったはずで、自分は無力に終わった悔しさ。対照的な感情で胸がいっぱいで涙が止まらなかった。


「今回はこちらが降参したけど、納得はしてないよね。加速する科学の不夜城イマジナリーパートが積み上げた科学は大きな壁だったと思う。だけど今のがんばりを続ければ、街が企む“闇”に抗えるよ。そしたら大切な妹だって守れる」

「うん……っ」

「科学で人々に幸せを――。神代の想いが蒼穹祢の願いでもあるなら、私は応援する」

「うん……っ」


 ――――今回はセリアに助けられたと、今さらながらに理解した。エネミーとして姉妹を追い詰めたのも、姉妹が計画に強い抵抗を示すきっかけを生むため。彼女はすべてわかっていた。


 セリアは強い。

 不随になってもなお、前向きに生きている。


 そして。

 自分の弱さも思い知らされた。


 妹が二度と目覚めない眠りに就いてしまい、ただ塞ぎ込んでいた自分。手を差し伸べてくれたレミと大地、そして緋那子に助けられっぱなしだった。加速する科学の不夜城イマジナリーパートには無力で、自らの手で妹を守れなかった。


 悔しい。

 だからこそ。


 蒼穹祢は、素直な想いを声に出す。


「もっと……強くなりたい!」


 声は大きさを増して、


「街に負けないくらい……ッ、――強くなりたい!」


 みっともなく涙の混じった声。だけれど声はこもることなく、揺るがない芯のある声がフロアにこだました。

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