5章 君に巡る科学のこころ

5-1

 今から十年近く前のこと。

 蒼穹祢そらねの頭の片隅にある、薄っすらとした記憶。


 自宅のリビングで蒼穹祢は、父が壁に絵を飾っているのを見て、


「おとうさん、その絵って?」


 著名な画家が描いた類のものではなく、クレヨンで描かれた拙い絵だ。黒く塗られた背景に、宇宙服のようなものを着た二人が浮いている。二人は赤い髪と青い髪の女の子。黄色い星々や桃色のハートマークで、黒い背景の中でもカラフルに彩られる。


緋那子ひなこが描いた絵だよ。いい絵だから飾ろうかって。本人は恥ずかしがっていたけど」


 学生時代に結婚した若い父は、短髪の明るい茶髪に、耳にはピアスと、とても研究者には見えない風柄だ。兄と誤解されることもあるくらいだが、絵を飾っている今の顔つきはまさに父親そのもの。


「そのふたりって?」

「蒼穹祢と緋那子だよ。いつか二人で宇宙に行くんだって」

「わたしと、ヒナ?」


 蒼穹祢は嬉しそうに笑った。仲睦まじい双子の娘に、父も目を細める。

 だが、父はふと寂しげに視線を落とす。幼い蒼穹祢でも変化に気づいた。


「どうしたの?」

「あ、いや。ごめんな。蒼穹祢たちを見ると、どうもあの子を思い出してしまって……」

「あの子?」

「蒼穹祢と同い年で、歩けなくなった女の子のことだよ。蒼穹祢にはいつか話すけど、神代かみしろがその子を傷つけたんだ。おこがましいけど、その子が歩けるようにできないかと考えてる」


 父と母を含め、神代の者たちが集まって試行錯誤しているそうだ。けれども大きな怪我で、現代の医療技術では回復が難しい、と父は語る。


「……」


 蒼穹祢は妹の描いた絵をじっと見つめた。たぶん星やハートマークは、緋那子が目を輝かせて語っていたARの産物。

 そして思いついたことを、蒼穹祢は父に伝える。


「その子もARになったらどうかな。今のからだで歩けなくても、“デジタルのからだ”なら歩けないかな?」

「蒼穹祢……」


 七歳の幼い子どもが思いついたこと。ARの理解だって浅いはず。だけど、蒼穹祢の目は父の目と同じ色をしていた。

 父は同じ目線で、蒼穹祢の言葉を一言一句逃さず聞いてくれ、


「ありがとう。ひょっとしたらあの子は救われるかもしれない」

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