4-6

 セリア。


 それは加速する科学の不夜城イマジナリーパートをネットワークの世界から掌握する情報生命体の少女。


 なぜ、今になって……。それも――……。


「……フェーズ……5? バージョン、ブラック……エンジェル?」


 セリアの頭上に表示されたフォントを呟いた蒼穹祢。

 どうして、エネミーという立場で現れた?

 セリアはレミと大地、そして蒼穹祢の顔を順に追って、


「はじめまして、かな。私はセリア。加速する科学の不夜城イマジナリーパートを裏で支える情報生命体さ」


 腰に伸びるのは、ピンクが褪せたような銀髪ロングのストレート。肩が露わになった黒いセミオーダードレスを細身にあしらっていた。背にはドレスと同じ色合いの、背丈は優に超すほどの〝天使の翼〟を広げている。月明りを浴びた色白の肌には、黒がよく映えていた。とても味方とは思えない外見だ。

 蒼穹祢は生来のつり目をより尖らせて、


「用件は何? それに私とヒナを騙した理由は? いい? 全部話しなさい」

「せっかちだね。安心してほしい、全部話すから」


 するとセリアは、緋那子に真っすぐ人差し指を差し、こう言った。


「――ヒナ。記憶を取り戻したキミは、加速する科学の不夜城イマジナリーパートが計画する〈NARSSナース〉のメインオペレーターになることが正式に決まった。それを伝えに来た」

「は……?」


 何を言ってる? そんな空気が姉妹と研究部に流れる。


「ナース? ヒナ、何か聞いてる?」


 蒼穹祢が聞くも、緋那子は首を横に振って否定するが、


「あ! セリアの言ってた計画って、もしかして……」


 緋那子の気づきに、セリアはニヤリと口角を上げて、


「詳細は明かさなかったが、今まで私の言っていた『計画』がまさに〈NARSSナース〉のことさ」

「もったいぶってないで……さっさと説明しなさい」

「そんな怖い顔をしなくても。かわいい顔が台無しだ」


 掴みどころのないセリアの態度に、蒼穹祢は腹が立って舌打ちを放った。

 セリアは大地に意識を向ける。


「オ、オレ?」


 まるで教壇に立つ教師が生徒に聞くように、


「この《拡張戦線》で存分に体験しただろうけど、MRの利点といえば何かな?」

「利点? そりゃあコンピュータの情報が……間近で見えることか?」

「そのとおり。仮想オブジェクトを間近で見られたり触れられたり、ネットワークさえ整備されていれば容易に実現できるね。そしてネットワークが関わるということは、私たちのような情報生命体とも相性がいい」


 レミもうなずき、


「ネットワークのある世界ならどこへでも出現できるのがきっと情報生命体アンタの強みよね」

「そうだね。そこでこんな案だ。――ネットワークの世界で情報生命体がデータを集め、MRで人に情報を伝達する。ただの画像や動画を超えた、リアルでわかりやすい形でね。仮想オブジェクトは専用のネットワークを経由させれば、セキュリティ面の懸念も解消されるだろう」

「情報生命体がMRを使って、人への橋渡しを担うってこと?」


 蒼穹祢の確認に、セリアは肯定した。


「そのうえで想像してほしい。もし、ネットワークを宇宙規模に拡張してみたら?」

「……宇宙規模で情報をかき集められるってこと? 仮に情報生命体が人工衛星を乗っ取れば、地球上のあらゆる情報を盗み見ることだって、見える化して送ることだって、できる?」

「そう、宇宙の支配は世界の支配そのもの。それが宇宙包括情報システムシステム――〈NARSSナース〉なのさ」


 ネットワーク【“N”ETWORK】、複合現実の継承元である拡張現実【“AR”】、セリア【“S”ELIA】、宇宙【“S”PACE】から由来する、――その名も宇宙包括情報伝達システム〈NARSSナース〉。

 セリアは緋那子を一瞥すると、嘲笑気味に薄く唇を伸ばし、


「皮肉なものだね。キミが夢に描いた“わたしの宇宙”が、〈NARSSナース〉という発想を生んでしまったことは。悪用とまでは言えないけど、科学を使った利己的な計画ではある」

「……っ」


 悔しげにセリアを睨む緋那子に、手を伸ばして待ったをかけたのは姉の蒼穹祢。


「例の宇宙飛行プロジェクトを経験しているから、ヒナが〈NARSSナース〉に適格と言いたいわけ?」

「ああ。宇宙をよく知る情報生命体がうってつけというわけだ」

「私とヒナを対戦させた理由は、ヒナの記憶を戻すため?」

「そうだよ。お姉ちゃんと競い合うことがトリガーと考えてね。この教会まで足を運んでもらったのは、道中でゲームに慣れてもらうためだよ」

「なるほど、腑に落ちたわ」


 緋那子は髪を撒くように、ブンブンと首を横に振って、


「嫌だよ! 絶対に嫌! 協力したくない! 科学をわがままの道具に使わないで!」


 蒼穹祢もまたセリアをしかと捉え、


「妹の想いを踏みにじる計画は、姉として絶対に認めないから」


 凛とした声で、ハッキリと主張した。


 そして蒼穹祢は考える。


(科学は――……)


 科学は利己的な道具ではない。緋那子が救われたようにあるべきもの。カネとか、情報戦に勝つとか、名誉を得るとか、それは二の次でいい。両親や妹、それに親族たち。多くの神代の者たちは、そういう想いで科学の発展を願ってきたはず。

 もし計画が成功したら、いったいどれほどの情報が街の手元に集まるだろうか。研究によって得られた努力の結晶データに人々のプライベート、果ては国家機密。それらのデータを自在に手に入れられたとき、加速する科学の不夜城イマジナリーパートが世界を支配すると言っても過言ではない。逆に支配される人々は、あらゆる情報を握られて幸せと言えるのだろうか。


(幸せとは……言えない。それこそSF映画のようなディストピアが想像できてしまうわ)


 だから、加速する科学の不夜城イマジナリーパートのくだらない計画など、叶えてたまるものか。


「私たちも阻止に協力するわ」

「ああ! 姉妹の絆を前に黙ってられねえな!」


 レミと大地も加勢してくれる。


「しかし阻止するとは言っても、どうやって? 街が決めてしまったことだし、簡単に覆せるとは思えないけど?」


 セリアの疑問に、蒼穹祢は苦虫を噛み潰したような顔で、


(そのとおりよ。すでに相応の準備も進められているはず。ヒナたち情報生命体を《拡張戦線》でプレイさせたことも、おそらくその一環だわ)


 すでに各種データの収集までされているとなると、阻止は難しい。

 否、蒼穹祢は一つ引っかかりを覚え、


(データの収集……? 収集されたデータは――……。あっ!)


 思わず緋那子を見たら、彼女もまた同じタイミングで蒼穹祢を見る。きっと、同じことを考えたはず。顔を見合わせた姉妹はうなずき、


「〈オリオンタワー〉だわ」

「うん。最下層のサーバー、だよね」


 やはり、同じことを考えていた。


「ほお、高校生といえども神代を敵に回すと厄介だ」


 セリアはやれやれと肩をすくめる。彼女の反応こそが、〈オリオンタワー〉が鍵ということを証明している。


(街の機密情報は〈オリオンタワー〉の最下層フロアにあるサーバーで管理される決まりだわ。だったらそのサーバーのデータをごっそり消してしまえば……)


 加速する科学の不夜城イマジナリーパートの中央に天高くそびえる塔――〈オリオンタワー〉。街の電波塔としての役割のほか、実は最下層のフロアには、街の機密情報と基幹システムを管理するサーバーが設置されている。機密情報は絶対に外部に漏れてはならない。特に倫理に反するような計画なら尚更。そうすると、計画情報や実験データなどは絶対に流出のない場所に保管する。その『絶対に流出のない』を実現する場所として、厳重なセキュリティで固めた〈オリオンタワー〉が最適というわけだ。

 逆に言えば、サーバーに管理されたデータを破壊することで計画のとん挫に繋がる可能性は高い。漏えいリスクを恐れ、機密情報は個人・企業PCにはまず保管しないから。サーバーデータのバックアップも、タワーの別サーバーにされているはず。


「(タワーは無人だけど、警備システムで厳重なのよね。それってヒナの力で解除できない?)」


 耳打ちする蒼穹祢に、緋那子は小さくうなずき、


「(できると思う。ただ、遠隔で解除はできないよ。ここからアクセスしても強いセキュリティでガードされる。タワーに直接潜入して、フロアの端末から解除が必要かな。この仮想体の身体なら潜入はイケル。でも、厄介なのが……)」

「(ええ……)」


 緋那子の力でデータを破壊するのに、一つ大きな障害がある。


(最下層のフロアだけは――スタンドアロン。ネットワークが一切繋がらない環境)


 たとえ凄腕のクラッカーだろうが、〈オリオンタワー〉の内部ネットワークに侵入することは難しいだろう。しかしネットワークが繋がっている以上、クラッキングのリスクはゼロではない。だから最下層だけは物理的にネットワークが遮断されているのだ。


「(スタンドアロンだから、このネットワークの世界からはたどり着けないよ。誰かが生身で最下層に行く必要があるね)」

「(ええ、私が行くわ)」

「(うん、お願い。私がこちら側からサポートする)」

「(任せたわ)」


 そして姉妹はレミと大地に作戦を伝えた。

 蒼穹祢が《拡張戦線》のネットワーク世界から現実に戻り、生身で〈オリオンタワー〉に潜入する。一方の緋那子はネットワーク世界から〈オリオンタワー〉に潜入して、端末から警備システムを無効化。蒼穹祢を最下層まで導き、蒼穹祢の手でサーバーに管理された計画のデータを削除する流れだ。

 ただ、その作戦を妨害するのが、目の前で佇む堕天使の少女。


「キミたちの作戦はお見通しさ。全力で邪魔させてもらうよ」

「邪魔って、ゲームを踏襲して、かな? ブラックエンジェルさん?」

「ふふ、おふざけのチート能力で遊んであげる。私が隠しボスというわけだ。絶対に負けないバグったボスだけどね」


 セリアが緋那子の邪魔を企てるのは想定内。エリアボスだった緋那子は、彼女の手で内部変数を操作し、今はプレイヤーとして復活している。しかしプレイヤーはHPが潰えたら意識を喪失し、《拡張戦線》のネットワークから弾かれる仕様。そこでレミと大地の出番だ。二人が同行し、緋那子のクラッキングを防護という形でサポートする。セリアをゲームオーバーにすることはできないだろう。できるのはせいぜい時間稼ぎ。

 そして時間稼ぎは蒼穹祢にだってできる。現実に戻るためにはゲームオーバーにならなければならない。だったら、残り少ないHPは時間稼ぎに使うべき。

 立ち並んだ神代姉妹は、セリアへ強い眼差しを向け、


「あなたや街には絶対に負けないわ」

「私たちが勝つから。舐めないで」


 セリアは不適に笑うのみで、言葉では答えない。

 蒼穹祢は剣を握り、セリアに向かって駆け出し、


「できるだけセリアを食い止めるから! ヒナ、行って! レミ、逢坂くん! 妹をお願い!」

「わかったわ! 任せて!」

「先輩も気をつけて!」


 研究部の二人は快諾し、そして緋那子は握り拳を姉に伸ばして、


「お姉ちゃん、勝とうね!」

「ええ!」


 ――――加速する科学の不夜城イマジナリーパートの計画〈NARSSナース〉を阻止する、神代姉妹の戦いが始まった。

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