第75話 丞との電話と愛の言葉

 七月。オーストラリアでは真冬だ。例年なら毎日吹雪いてるこの季節も今年は暖冬からか、あまり激しくは降っていない。

 それでもスキーを練習できるくらいには積もっているので、柚希は毎日スキー場で練習していた。





「ユキ、談話室行こ?」


 フローラに言われた柚希は首をかしげる。


「あれ? 今日なんか集まりあったっけ?」

「ないわよ」

「ただ話そってこと? ここでもいいよ?」

「そうじゃなくて……ここには運びきれない程大きな荷物が届いてるの」

「誰から?」

「タスク・クジョウから」

「丞くんから!?」

「だから、行きましょ」

「うん!」


 柚希が向かった先にはテーブルの上に巨大な段ボール箱が置かれていた。

 差出人の欄には『タスク・クジョウ』と流れるような筆記体で名前が記されている。


「開けてみなさいよ」


 わくわくを隠せない様子でフローラが柚希をせかす。


 柚希が少しばかり緊張しながら開封すると、そこには以前開け忘れて放置してしまったときと同じように真っ赤なソープフラワーが入っていた。


「綺麗……」


 フローラが呟く。

 たまたま部屋に入ってきた紬が歓声をあげたことで、柚希はチームメイト全員に注目されることとなる。


(あのときと比べると何倍も大きいよね……)


 柚希は心の中で呟く。


「数えてみましょ」


 フローラの言葉に頷いた柚希は花束をだいたい三等分する。


「一緒にお願い」


 そう言ってフローラと紬に渡すと二人はニヤッと笑って数え始める。


「わたしは三十七本」

「私は三十三本」

「そして私は三十八本」


「足して……百八本」

「結婚してください、だね」

「ちょ、ちょっと待って……」


 柚希は動揺する。


「どうするの?」

「世界一のイケメンにプロポーズされちゃったよ?」


 フローラと紬がニヤニヤと笑いながら問いかけてくる。


「んもぅ! 一人にさせて!!」


 柚希は花束をつかんで談話室から飛び出すと自室まで走って戻る。


 床に座り込んでサイドテーブルに置かれた柚希と紬のお揃いの品々を眺める。

 ふと視界に黒い物体が入り込んだ。そちらを見つめる。それは初めて丞と出会ったときに貰った丞のスケート靴だった。


(あれからいろいろあったけどいつも最後に支えてくれたのは凌久たち地元の友達と丞くんだったな……)


 柚希は悩む。

 これからも丞と一緒にいたい。だが、柚希はまだ選手生活に幕を下ろそうとは思っていない。

 次のパラリンピックで連覇する。それはスーザンと、栞奈とした大切な約束だから。

 それでも、丞の隣に違う人が立っている姿を想像すると落ち着かなくなる。


 柚希は悩んだままスマホを手に取った。









『柚希ちゃん?』

「丞くん! お久しぶりです」

『元気にしてた?』

「はい! 丞くんは?」

『僕も元気だよ。やんちゃ坊主たちの世話で手一杯』


 丞はため息をつく。そのため息の中から柚希は丞の充実感を感じ取った。


「だけど、楽しいですか?」

『うん。できたって笑う子供たちの笑顔が頑張れる源だな』

「……丞くん、荷物が到着しました」

『ほんとは直接渡したかったんだけど』

「聞いてもいいですか?」

『もちろんだよ』

「なんで、わたしなんですか」

『柚希ちゃんだからだよ』


 その言葉は柚希の質問の答えにはなっていなかった。しかし柚希はようやく心の底から思うことができた。


「丞くん。わたし丞くんと出会って五年経ってようやく分かったんです。…………わたしには丞くんが必要なんだって」

『それは……』

「わたしと一緒になってください」

『柚希ちゃん、結婚しよう』

「はい」


 柚希は問う。父と再開した母が父に問いかけていたように。


「丞くん、後悔しませんか?」

『出会ってから、付き合えてから、ずっと想い続けてたんだよ? 今さら後悔なんてないよ』

「……今、丞くんが隣に居たらなぁ」


 そう柚希が言ったとき、電話がビデオ通話に切り替わった。

 画面に写る丞の顔は真っ赤だった。柚希は笑いながらビデオをオンにする。


『柚希ちゃん』

「丞くん、返事が遅くなってごめんなさい」

『いいんだよ。こうやって嬉しい返事もらえたんだから』

「……」

『柚希ちゃん?』

「早く帰りたいです」

『僕もだよ。だけど……僕はコーチだから。真面目に練習してくださいね』

「うふふ。はい。分かりました」



 丞は真剣な声色で話しかけてくる。


『それとね、僕は考えたんだ。ずっとバラバラだったから柚希ちゃんが引退したあとは一緒に暮らしたいって。それで……僕はそのときにコーチはやめようって思ってる』

「……!」

『それで、羽澄神社で働こうと思ってるんだ』

「うちで!?」

『うん。今男手が紫苑くんしかいないでしょ? 僕が入ったら少しは戦力になれるかなって』

「もちろん来てくれたら嬉しいけど……」

『すぐじゃないから、ゆっくり考えるよ』

「丞くんならいいコーチになれるのに」

『……どうだろ』

「憧れの九条選手に教えてもらえるんですよ? 当たり前じゃないですか」

『そうかな?』

「憧れの人に誉めてもらいたいのは皆同じですから」

『憧れの存在になれてればいいけど』


 丞の言葉には否定の感情が明らかに含まれている。


「……丞くん、何かありましたか?」

『え?』

「なんか……いつもみたいな明るさがないなって。……疲れてます?」


 丞の掠れた笑い声がスマホから流れてくる。


「丞くん?」

『柚希ちゃんには隠せないね』

「……」

『ちょっとね、落ち込んでて柚希ちゃんの声が聞きたかった』

「何があったんですか?」

『大したことじゃないんだけど……武井コーチみたいな尊敬されるコーチになれなくて悩んでた』

「武井コーチって確か……」

『僕の原点のコーチね。今は上司だけど』

「何が心配なんです?」

『コーチに向いてないんじゃないかなって思ってる』

「丞くんに限ってそんなことないと思いますけど……」

『僕は世界一になって何でもできるようになった気がしてた。だけどね、人に教えるっていうのは何か根本的に違うんだよ』

「……」

『よかれと思って言ったアドバイスが逆に悪い方にいっちゃったりして』

「……」

『僕は選手としては成功したけど、コーチとしては未熟すぎるんだよね。お金をいただいて教えるってこんなに大変なことなんだなって実感してる』

「丞くん。初めは誰だってそんなもんじゃないですか?」

『……』

「最初から何でもできる人なんてどこにもいないですよ。上達のスピードは人それぞれだけどスタートラインはいつだっておんなじです」

『でもさ、お金もらってるんだ。僕には上達させてあげないといけないっていう責任がある』

「丞くんの教えはまだ目に見える形で表れていなくても、子どもたちはどこか変われてると思いますよ?」

『そうかな?』

「何でそんな心配そうなんです? わたしの知ってる九条丞は自信に溢れてて、いつも笑顔で前向きですよ」

『……』

「自信持ってください。きっと皆わたしと同じように思ってますよ。世界王者に教えてもらえるなんて自分は幸せ者だ、って。」


 丞が沈黙する。


「丞くん、わたしなんかが言うのはダメかもしれないけど……丞くんのような人だって最初から全てできたわけではないでしょ? だから大丈夫ですよ」

『でも、もう一年以上コーチやってるんだよ?』

「まだ一年しかやってないんですよ。これからですよ」

『……柚希ちゃんはいつも僕が欲しい言葉をくれるね』

「そうですか?」

『うん。だけど、そうだよね。まだこれからだよね』

「そうですよ」

『ありがとう。ちょっと元気でた』



 柚希は笑う。自分の些細な一言で丞を元気付けられたことが嬉しかったから。


 そして、伝えなければならないことを思い出す。


「丞くん。今年は暖冬でこっちにあまり長くいられないから、早めに日本へ行きます。だから……そのときは久しぶりに会いませんか?」

『帰ってくるの!? もちろんだよ! 会お!!』

「八月の初めにはもうこっちでの雪上練習を終わりにするので、日本が夏休みの頃には会えると思います」

『楽しみにしてるね』

「はい。もちろんわたしも」

『そのときは改めて新潟のご両親に挨拶行くから』

「ふふふ。恥ずかしい」

『だけどさ、しなくちゃいけないことだから』

「まぁ丞くんがいればきっと大丈夫だけど」

『嬉しいこと言ってくれるね』

「うふふ」


 暫しの沈黙のあと、丞が手を振る。


『そしたら、柚希ちゃんまた今度』

「はい。丞くんも元気で」

『夏、楽しみにしてるね』

「わたしもです」









 柚希は通話を終了する。

 何か大変なことが起こった気がする。

 今、談話室へ戻れば興味津々な仲間たちに盛大にからかわれるだろう。

 柚希は談話室には戻らずに自室のベッドに寝転ぶ。


(あぁ、ここが新潟だったらなぁ。すぐに紫苑に会いに行けたのに)


 願ってもどうしようもないことを考えながら柚希は寝落ちていった。

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