第47話 我が家
「羽澄選手、メダルを首に下げていただいてもよろしいですか?」
柚希が飛行機から降りたとき、パラリンピック委員会の男性が遠慮がちに声を掛けてきた。
「…………? 分かりました…」
疑問を感じながらも柚希はリュックから、初めてメダルを取ったときに紬が作ってくれたあの巾着を取り出し、メダルを五つ首に下げた。
「柚希ちゃん」
「栞奈ちゃん…」
栞奈の首からもたくさんのメダルが下がっている。カメラが回っていないからか、栞奈は普段では考えられないくらいテンションが高く、まるでスキップしているかのような雰囲気を纏っていた。
「重いね」
そう言った栞奈の言葉には重量以外の重さも含まれているのだろう。
(そう。このメダルたちは本当に重いんだよ……)
そして、待ち合いロビーへと集団が進み始める。今大会で一番話題を呼んだ柚希と栞奈は最後だ。
ロビーへと一歩足を踏み入れ、柚希は一瞬固まった。
信じられないくらい多くの人が迎えに来てくれていたのだ。柚希の応援バナーを振ってくれている人も何人かいるのが目に入る。待ち合いロビーでメダルを下げろと言われた理由が理解できた。
「「羽澄選手、お疲れ様~!!」」
「栞奈ちゃん、かっこよかったよ!」
「柚希ちゃん、おめでとう~~~!」
「結城選手、お疲れ様!!」
柚希と栞奈への祝福と労いの言葉でロビーが溢れる。
「ありがとうございました!」
柚希は何度も礼を言った。
その時だった。小学三年生くらいの可愛い男の子がこちらへ向かって群衆から走り出してきたのが柚希の目に留まる。すぐに母親と思われる女性に捕まっているがバタバタともがいている。
関係者が止めようとする様子を無視して柚希はその子のところまで行く。
「どうしたの?」
「ゆきちゃん! あのね……あのね……」
本当に柚希が来たことへの驚きで固まっていた男の子は、柚希が目線を合わせると花開いたように、ふわっと笑った。
「ゆきちゃん、かっこよかった!! 僕、ゆきちゃんみたいになりたい!!!」
まだ未来が明るく広がっていて、曇りが全くない笑顔で柚希を見上げてくる。
柚希はしばらく彼のことを見つめていた。
「羽澄選手、すみません。こらっ、あんたもやめなさい。柚希選手は急いでるのよ」
男の子の母親が必死に謝ってくる。柚希ははっとする。そして微笑んだ。彼の頭に片手を乗せて話しかける。
「わたしは事故に遭って今ここにいるの。だから、本当は違う道にいたかった。わたしみたいになっちゃダメよ」
「…………?」
彼はきょとんとした顔で柚希を見つめてくる。
「いつかこのこと思い出してみてね。だけど、応援してくれてありがとう。これからもよろしくね」
柚希は彼の手に目をやる。そこには〖ゆきちゃん、おめでとう!!!〗と手書きで書かれたバナーが握られていた。紙だと思ったが布に書かれていた。
「ちょっと借りてもいい?」
「えっ!?」
彼の手からそれを手に取ると柚希は自分の荷物の所へ戻る。そこには栞奈が待っていてくれた。笑っている。本当にパラリンピック期間中に栞奈は丸くなった。
「柚希ちゃん、急げ!!!」
そっと囁かれ、目線を追うとスーザンがコツコツと腕を叩いていた。柚希はビクッとする。
急いでリュックからペンを取ると、カートに寝かせて置いてあるスーツケースの上に布を広げて、そこに大きくサインをした。
そして、信じられないというような顔をしている親子の元へ戻った。彼の手にまた布を握らせ、柚希は話しかける。
「いつか本気でやりたいと思えることを見つけたら、まずは思いっきり飛び込んでみてね。それから絶対に諦めないこと。夢は叶えるために立てるんだよ」
そう言った柚希に彼の母親がスマホ片手に話しかける。
「………あの羽澄選手……一枚、写真いいですか?」
「もちろんですよ」
彼とバナーの端と端を握って写真を撮る。
お礼を言う二人に軽く会釈すると柚希は栞奈と再び歩き始めた。時々何か話して笑っている二人をカメラのフラッシュが包む。
スーザンの元にたどり着く。後ろにいる出迎えのファンには見えない角度でスーザンに怖い笑顔と共に思い切り睨まれた。
「遅いわよ。ファンサービスはいいけど、みんなを待たせないこと」
「申し訳ありません」
自分の行動を悪かったとは思ってないが、他の人を待たせてしまったことは悪いと思ったので柚希は謝った。
栞奈と一緒に過ごせるのもひとまずこれが最後だ。
この後には報告会が待っているが、そのまま解散なのだ。
「栞奈ちゃん、お疲れ様。また次の試合で」
「二度と勝たせないから」
栞奈は栞奈らしい勝ち気な笑みで笑いかけてくる。
「わたしも負けないから」
「ふふふ」
二人で軽く手を振る。
(今回、栞奈ちゃんの手紙とか美郷さんに言われた『良いライバルで、良い友達友達』に少しはなれたのかな…………)
空港近くのホテルでの報告会を終え、宛がわれた部屋に戻ったとき柚希は懐かしい人と再会する。
「姉ちゃん!!!」
「お帰り、柚希」
咲来がカナダから帰国していた。
「いつ帰ってきたの?」
「柚希の試合初日」
「えっ!?」
「柚希の人生最高の日には母さんと一緒にいたかったの」
咲来は優しく微笑んだ。そのとなりにそっと寄り添った人影がある。
「ユキちゃん」
「アランさん、お久しぶりです」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「さぁ、家に帰ろうか」
アランの言葉に柚希は頷く。
そして、アランの運転する車で家に向かう。
車が到着した音に気がついたのか、家のドアが開いた。
お手伝いさんと母が出てくる。
「お帰りなさいませ、お荷物を貸してくださいませ」
お手伝いさんが荷物を運んでくれる。柚希はドアの前で立ち尽くしている母の前へ進み出た。
「母さん、ただいま」
「…………柚希」
小さな声が聞こえた。母の両目から大粒の涙が溢れていた。
「母さん、ちゃんと取ってきたよ」
柚希の笑顔に母が泣き笑いへと変化する。
「今度こそ言っていいわよね。ほんとに、お疲れ様。母として柚希を誇りに思うわ」
「母さん…………」
あのときは「まだ言わないで」と言った気がする。
「ありがとう」
柚希は母に抱きついた。
「母さん、中に入ろう」
「そうね。入りましょう」
柚希は母に背を押され先頭で歩き出す。
中ではお手伝いさんが笑顔で待ってくれていた。
「………ただいま」
「柚希さん、お帰りなさいませ」
柚希は深く息を吸い込む。
「あぁ、うちの匂いだぁ」
そう言った柚希を母と咲来とアラン、そしてお手伝いさんが優しく見守っていた。
四年越しの夢を叶えて柚希は家に帰ってきた。
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