第48話 ただいま、蒼依。

 柚希が日本に帰ってきた次の日。柚希は昼頃、母校の中学校を訪れた。


 蒼依に誘われたのだ。「卒業ちゃんとしない?」と。

 柚希は中学校の卒業式に出席していない。卒業式終了後に担任の先生が卒業証書を持って来てくれたのだ。


 今回、目標を果たしたからこそ、これまでの人生のひとつの区切りとして学校に戻ってきてはどうかという誘い、そして「私にも金メダル見せてよ」という蒼依のお願いを断る理由は見つからず、柚希は学校へと向かっていた。


「柚希ちゃん!!!」


 道の向こうから大きな声が聞こえた。顔を上げると門の前に蒼依が立っていた。


「蒼依ちゃん、久しぶり」


 柚希は道を渡る。約三年ぶりに再会した蒼依はあの頃より目付きが優しくなった気がする。柚希の気のせいかもしれないが。


「言いたいことはいっぱいあるんだけど………とりあえず、三年間お疲れ様。金メダルおめでとう」

「ありがとう」



 柚希は門の前に立ち一度深呼吸する。


「ねぇ、凌久は?」


 柚希は昨夜から疑問に思ってることを尋ねる。

 凌久の家に帰国の挨拶を父と再婚相手には会ったが、凌久本人の姿は見えなかったのだ。


 柚希はその時のことを思い出して苦笑する。凌久の義母は結構個性的な人だった。




 ――――





 柚希は凌久の家の前でインターフォンを押す。


「………はい」


 凌久の父親の声がする。


「ご無沙汰しております。羽澄柚希です。凌久、いますか?」

「柚希ちゃん、久しぶり。金メダルおめでとう。だけど、今凌久はいないんだ」

「あっ、そうですか………。じゃあ、出直します。夜分に失礼しました」


 柚希がそう言って歩き出したとき、後ろで大きな音がした。

 そして、周囲に響き渡る大声。


「ちょぉ~っと待ったぁぁぁぁーー」


 万引き犯を捕まえる勢いで走ってきた女性に捕まる。


「………どなたです?」


 柚希が恐々と質問すると、街灯に照らされたふくよかなその顔は驚いた表情になる。


「ごめんなさいぃっっっ!!」


 また大声で叫ばれる。

 柚希は咄嗟に口を指を立てる。


「しぃぃぃぃぃぃ」

「う……ごめんなさい。あたし、廣瀨明璃あかり。凌久のニューマザー」


 その人は凌久の新しい母だった。


「ちょっと、話そ。うちに来て」


 また出直すと言ったのに強引に腕を引かれ、柚希は凌久の家の前に連れてこられる。


「さぁ、入って入って」

「お、お邪魔します……」


 柚希は少し緊張しながら家に足を踏み入れる。柚希が凌久の家に入るのも久しぶりだ。


「それで? 何の用だったの?」


 凌久の義母に問い詰められる。


「帰ってきたので挨拶と、凌久の合格祝いに………」

「まぁ、礼儀正しいなぁ」

「そんなことはないですけど」

「柚希ちゃん、テレビで見るとき以上に可愛くて華奢ねぇ」

「そんなことはないですけど。華奢だったら、スポーツできませんよ」

「かわいいなぁ」


 どうやらこの人は人の話を聞かないタイプらしい。明るくて優しい人であることなら柚希にもわかった。しかし、愛想が悪い凌久が嫌いそうなタイプの人なのに、どうしてそうではないのか、疑問になる。


「ああ、あたしのことうるさいって思ってる? あたしね、キャラ強いのよ。ごめんねぇ」


 そう言うと明璃はからからと笑った。気前良さそうな楽しい人である。柚希は彼女のことを嫌いではなかった。


「それで? 金メダルだったのよね。おめでとう」

「はい。凌久のお陰でもあるんですよ」

「まぁぁぁ、あの子が!? 何かの間違えでしょ」


 本当のことなのだが彼女の中ではあり得ないことらしい。

 柚希が詳しく尋ねると、彼女曰く凌久は自宅では基本全く話さずに黙々と勉強しているらしい。


「最初の頃はまだ話しかけてくれたのに、途中から受験勉強に集中したいからって凌久の部屋には進入禁止にされるし、寂しいの何の」

「なんと言うか…………すごい凌久らしいですね」

「そうよね。ほんっとうに今日は珍しく出掛けてくるなんて言って。柚希ちゃん来るって分かってれば全力で止めたのに」

「なんか……ごめんなさい」

「いいのよぉ。あたしが柚希ちゃんと話せて楽しかったから。つか、こっちこそごめんねぇ。引き留めて」


 柚希が帰ろうとすると凌久の父が部屋に入ってきた。


「あ、柚希ちゃん。ごめんな、引き留めて」

「おじさん、久しぶりです。時間あるんで大丈夫ですよ」

「しばらく見ない間にすごく立派になったね」

「うふふ。ありがとうございます。だけど、わたしが強くなったのは周りに助けてくれる人がいたからです。凌久もその一人」

「柚希ちゃん、ありがとう。凌久も柚希ちゃんのお陰で前を向けたって言ってた。もともとは僕のせいだったけど、本当に凌久には悪いことしたって反省してる」

「おじさん……」


 先程まで明るく笑っていた明璃も静かに見守っている。


 柚希は皮肉そうに軽く笑う。


「おじさん、過去のことは過去のことですよ」


 変えたくても変えることができない過去を持った柚希の言葉には重みがあった。


「そうだね。…………ごめんね、柚希ちゃん。辛い記憶呼び戻しちゃって」

「いいんですよ。というより、もう吹っ切れてるから。あの事故があったから今回金メダル取れたって思えば必ずしも悪いことだけじゃない」





 ――――




「じゃあ、行くか」


 蒼依の言葉にはっとする。


「うん」


 柚希は一歩校内に足を踏み入れた。


「入っても大丈夫なの?」

「許可取ってるから」

「そうなんだ………用意周到?」


 柚希がからからと蒼依は笑った。


「一番そうなのは凌久くんだけどね」

「えっ!?」

「さっき凌久くんは?って聞いてたけど、凌久くん先に来て準備してるよ」


 柚希は驚いた。凌久がそんな積極的に動くことがあるのだろうか。もしかしたら昨夜いなかったのは今日の支度かもしれない………と柚希は思う。

 直後にそんなはずはないと思い、首を振る。



 校庭にいる野球部らしき姿を見つめる。

 その時、ボールがコロコロと転がってきた。

 一人がそれを取りに駆け寄ってくる。柚希は思わずボールを手にとってその子の手に置く。


「はい」

「ありがとうございますっ!!」


 帽子を取ってお辞儀をしながら礼を言う、いかにも野球部らしい姿にほっこりとする。


「柚希ちゃん?」

「あ、ごめん」

「行っても大丈夫?」


 蒼依の催促にひとつ頷く。昇降口から校舎に入る。蒼依が振り返る。


「柚希ちゃん、お帰りなさい」


 突然のお帰りに反応に困る。柚希は曖昧に笑った。


「……………ただいま、蒼依ちゃん」






 これから上階で腰が抜けるようなことが待ち構えているのだが、迷いなく階段を上る蒼依の後ろを歩いている柚希には知る由もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る