第41話 スイスへ行こう
「ねぇ、ユキ。少し私のこと話しても良いかしら」
そうフローラが言いながら部屋に入ってきたのはスイスへ向けて柚希が出発する前日のことだった。柚希は荷物の最終チェックをしていた。
フローラは得意種目で金メダルを二つ獲得してきた。同じくアメリカ代表だったナターシャは、金銀銅三種類を揃えて帰ってきた。
「もちろん、いいよ」
「昔、ユキ尋ねられたことあったわよね。なんでフローラはそんなに日本語上手いのって」
そんなこともあったね。大分前の話だけど。
「あのときはあまり深くは聞かないでって言ったけど、もう話せるから」
「…………?」
「私ね、ここに捨てられたの」
「えっ!?」
柚希が驚くとフローラは話し出した。堰を切ったかのように話し出す。
あれは…………確か私が七歳の時だったかしら。私の父は世界中に支店を持つかなり大きい会社の重役だったんだけどね、そこが倒産したの。
それで、子ども三人――私の他に兄が二人と姉がいたんだけど……四人も育てるのは金銭的に難しかったのでしょうね…。ある日、末娘の私だけ日本に旅行に行きましょうって新潟に連れてこられた。
そのとき、父は本当に私のことを捨てるつもりだったみたいね。兄と姉は学力も良くて、兄は研究者になりたいと大学へ通っていた。もう一人の兄も首席で大学を卒業した。姉はモデルとして既に活躍し始めていた。私だけ何も取り柄がなかったのよね。今二人がどうしてるのかは全く知らないし、知りたいとも思えないけど。
両親の思い出の場所だった羽澄神社で私は置いていかれそうになった。
そのときの父の顔は忘れられないわ。無表情で氷のようだった。隣で母が号泣しているのも全く気にかけずに車へ乗り込んだ。
そのとき、スーザンが声をかけてくれた。幼いながらも神に感謝したわ。あぁ、神様いるんだって。
スーザンのことはテレビで知っていたから。女王だものね。
それで詳しい話を聞いたスーザンは提案してくれた。ここの寮を格安で売るからスキー選手として生活してみないか、と。
父は首を振ったわ。こいつに出す金はネズミの糞程もないって言っていた。
七歳よ? 今思えば、スーザンはよくあんなこと申し出てくれたわね。うふふ。よっぽど私は見るに見かねる表情をしていたようね。
だから、私は言ったの。家族をやめようって。自分でいつか稼いで返すから、それまで借金させて欲しいって。
そこまで言うならって父も了承してくれたわ。
返したかって? 当たり前じゃないの。そんなの全米選手権で二度目に優勝したときに全額返済したわ。私は今は自分が大会で稼いだお金で暮らしているのよ。
そんなこんなで私はここの選手として生活するようになった。スーザンを自分の母親だと思おうとした。
初めて全米選手権で優勝したとき母と再会したわ。父は私とは縁を切ったと言っていたようだから、会ったと知られればどうなっていたのか………。それでも危険を承知で母は来てくれた。
まだ私を家族だと思ってくれる人はいるんだって嬉しかったわ。今回のメダルも母のためのようなものよ。
ユキ、なんで英語も日本語も話せるか分かった? 話せなくてはならなかったのよ。
ここから出されてしまったら私には行く場所がなかった。
だからできそうなことはなんでもしたわ。
周囲の人たちの話に耳を澄まして日本語を身に付けていった。
スーザンが私を小学校に通わせてくれた。だから、その代わりに私は家事を覚えた。
スーザンは中学校にも通わせてくれた。だから、その代わりに私は試合で負けないと誓った。
スーザンは私からお金を返してもらうつもりはないって言ってくれたの。私はもうあなたの母だものって言ってくれたときのことは忘れないわ。スーザンがいたから私は基本的な学力を手に入れられたし、日本語も話せるようになった。
スーザンには感謝しかないわ。
幸運なことに私が高校生になるところでナターシャがやってきてくれた。やっとできたライバルにワクワクしたものよ。もちろん、その頃の私はまだナターシャの足元にも及ばなかったけどね。
初めての世界大会は惨めだったわ。全米選手権で優勝したはずの私がアメリカ勢最下位で終わったのだから。
そこで優勝したのはミサトだった。本当に輝いていたわ。それで決めた。必ず次は私が勝つって。だけど、それもうまくいかなかった。ミサトは本当に強かったわ。
でも、ミサトはそれを自慢することは一度もなかった。いつも、みんなの少し後ろで微笑んでいた。少しユキとも似てるわね。
仲も良かったし、大会の度にお揃いで何か買っていたわ。良い思い出よ。
だから引退したときは本当に驚いたし、これからは私がこの座を守っていかなくちゃって思った。
それだけはなんとか守れているかしらね?
気がつけば随分と時間が経っていた。
「フローラ。ごめんね」
「どうしたの?」
「わたし、迂闊にあんなこと聞いてしまった。フローラ、辛かったよね。ごめんね」
「いいのよ。今度帰るから」
「え!?」
「父から連絡が来たの。ほら」
そう言ってフローラが見せてくれたスマホの画面には英語で文が書かれていた。
長いこと存在を否定していて申し訳なかった。フローラ、おめでとう。父として誇らしい。できれば一度戻ってきてはくれないだろうか。フローラの前で君にしっかりと謝罪がしたいのだ。
愛する私の娘 フローラ・バウアーへ
父
「何突然偉そうなこと言ってるのよね。ほんとに。何年私は一人で戦ってきたと思ってるのよ。さっさと新しい会社に勤めて、また重役までのしあがって胡座かいてるあんなやつとは口なんか聞いてやるものか」
そう言いながらもフローラは嬉しそうだった。
「行きなよ。行って、お父さんの前でそうやって思いっきり言ってやんなよ」
「もう!! 相変わらずユキは大胆なんだから」
「だけどさ、言わなきゃ分かんないよ?」
「もういいかなって思い始めてる」
「え……」
「あの人がやっと私を娘だって認めてくれたのよ。十五年間の努力がやっと報われたもの」
あのときには教えてもらえなかったフローラの過去を知った。十五年前、それは柚希がここを出たときだ。入れ違いになっていた柚希とフローラは十年以上の歳月をかけて出会った。
「人生っておもしろいよね」
柚希の呟きにフローラも笑う。
「こんなに近くにいても会わなかったのに、いつの間にか一緒に過ごしてるもんね」
「うん」
「だけどね、ユキ。人生、もっともっと楽しくしなくちゃ」
「ん?」
「ユキの目指してた場所がもう目の前にあるんだから、全力で掴みとってきなさいね」
「フローラ……」
「ツムギの分もね」
そう言うとフローラは「準備中に辛気くさい話しちゃってごめんね」と言いながら部屋から出ていった。
一人きりの部屋で柚希は想いを馳せる。
紬は今大会まさかのノーメダルで終わってしまった。気合いを入れすぎたのか途中で転倒して途中棄権になってしまったり、四位だったり。
滑り終わったあと泣き崩れる紬を何度も見た。
それでも帰ってきた紬は言ってくれた。
『次は柚希、あんたの番だよ』
その言葉に泥を塗りたくない。帰ってきたとき胸を張って紬に報告したい。
フローラは、過去を乗り越えた。昔、自分を捨てようとした家族と和解しようとしている。
紬は、また前を向いた。オリンピックでの悔しさを糧にさらに強くなろうとしている。
丞だってそうだ。辛かったはずだ。大本命で迎え、ショートプログラムは首位だったのに、二位で終わってしまった。一位の選手にメダルをかけられたとき、笑顔で涙していたけど本心はどうだったのだろう。それでも、笑顔を絶やさなかった。
負けてられないな、と柚希は思う。自分だっていつまでも障がい者ではない。今は雪の上に立てば世界女王・羽澄柚希なのだから。
今回のパラリンピックで夢ノートのひとつに色を塗れるかもしれない。
あのとき太く書き込んだ『この事故があったから自分は強くなれたって心から思えるような日が来るようにする』という目標、今回こそ達成したい。
柚希はベッドの脇の小机の上から夢ノートを手に取ると一度それを眺め、パシッと机に置きなおし立ち上がった。
よし、スイスに行こう。夢を叶えるために
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