第42話 飛行機の中で
「柚希、準備大丈夫?」
柚希がパラリンピックに向けてスーザンとクラブを出発したのは暖かい陽気の日だった。
今大会最高順位が四位という非常に不本意な結果となってしまい、ここしばらく沈んでいた紬は今は世界選手権での金メダルを目指して歩き出した。
「金メダル見せてね」
「ユキ、ファイト!」
柚希はスーツケースとリュックサックを背負い、ショルダーバッグに昨日届いた一通の手紙を入れて肩に掛けた。
フローラとナターシャの暖かい言葉に見送られてスーザンと柚希はスーザンの旦那の運転する車で空港へ向かった。
出発ロビーでしばらく待つ。
「ユキ、忘れ物はないわね?」
「忘れ物は忘れてから気づくんだよ?」
「屁理屈言わない」
二人で笑いあっていると、館内放送がかかった。スイスへ向かう飛行機の搭乗アナウンスだった。
機内に乗り込み、席に着いた柚希はショルダーバッグから先程しまった一通の手紙を取り出した。封筒には憧れのあの人の筆跡で『九条丞』とかかれていた。
柚希は丁寧に封を開ける。中には二枚の薄い紙が入っていた。
羽澄柚希様
柚希ちゃん、お久しぶりです。
手紙送ったのが遅くなっちゃったから出発に間に合ってないかもしれない………。
間に合った前提で書きます。
柚希ちゃん、ごめんなさい。約束果たせなかった。銀で終わっちゃったよ。二人で金取るのを夢見てたけど、夢で終わってしまったね。
言い出しっぺは僕なのに、自分で言いながら自分が約束破っちゃった。ごめんね。
約束も守れない僕が偉そうに柚希ちゃんに言えることなんて何もないけど、ひとつだけ。
僕のことは気にしないで滑って欲しい。
金を取れなかった悔しさはもちろんある。一番のライバルだったエマニュエルに金を取られたんだからね。たけど、すっきりしてるのも事実なんだ。
僕は結果に満足はしてないけど納得できてる。
だから、だからね、柚希ちゃんは柚希ちゃんが納得できる滑りをして欲しい。
これは逃げとか、言い訳なのかもしれないけど僕の本心です。
柚希ちゃんなら金メダル取れる。だから、思いっきりパラリンピックという舞台を楽しんできて。今まで辛いこととか苦しいこととか乗り越えてきたでしょ? その今まで頑張ってきた自分を信じて、誇って全力で戦い抜いてください。
また日本で会いましょう!!
九条丞
柚希は三度読み返すとスマホを取り出した。そして、返信をうち始める。何度も打ち直しているうちに結構な時間がかかっていた。
やっとの思いで書き上げたメールを送信する。
『丞くん、お手紙ありがとうございました。
今スイスに向かっている途中です。手紙を読んでどうしても滑る前にお話したくてメールを打っています。
オリンピックの演技、リアルタイムで拝見しました。銀メダルは結果だけ見たら凄いけど、同じ頂点を目指している立場からしたら素直に「おめでとう」とは言えないです。丞くんの悔しさも分かるので……笑顔でエマニュエル選手を称える丞くんの姿や、手紙の内容を読んで自然と涙がでてきました。
年下の勝者を称えるその姿は真の勇者でした。
金メダリストに「自分にとってはタスクがレジェンドだ」と言われる二位が世界のどこにいるのでしょうか。
丞くんは試合前だから気を遣ってくれただけだと思います。悔しいに決まってますよね。
だから、その気持ちをわたしに預けてください。今までわたしは紬のために、滑りたいと思っていました。だけど、丞くんの分も全力で戦い、金メダルを取ります。わたし史上最高の滑りを丞くんにお届けします。応援よろしくお願いします』
しばらく柚希が友達や紬たちと連絡をとっていると丞からの返信が来た。
『柚希ちゃん
出発前に手紙が届いていて良かった。
柚希ちゃんの「年下の勝者を称えるその姿は真の勇者でした」という言葉に凄い救われました。
演技の後はあまり後悔はしてなかったけど、やっぱり皆さんに金を持って帰れなかった悔しさはあるよ。
でも、言っておきたい。手紙と同じ内容になってしまうけど…………
柚希ちゃんは人のために滑らなくていいんだよ。自分のために滑りな。だって、自分で出場の道をこじ開けたんだから。
僕は柚希ちゃんの姿をテレビやスマホの画面越しにずっと見てました。今ではもう羽澄柚希選手のファンの一人です。世界のライバルたちと互角に戦っている柚希ちゃんはすごくかっこいいよ。
確かに今回のオリンピックの結果は悔しいものだけど、僕は大丈夫です。
でも、僕のオリンピックでの滑りから、何か柚希ちゃんがパラリンピックで金メダルを取るための原動力みたいなものになれていたら嬉しい。
柚希ちゃんが自分の思った通りの滑りができて、表彰台の頂点で輝く笑顔を見せてくれることを遠いカナダから見守っています。
がんば!!』
丞からのメールに少し疑問を感じながら、柚希は画面を閉じた。
柚希はずっと丞は金メダルがとれずに、とても悔しくて後悔しているのだと思っていた。
しかし、丞からの文面を見る限り悔しいことは悔しいが、後悔はあまり無いような気がしていた。
疑問を感じながら柚希は飛行機にのっていた。
いつの間にか眠りに落ちていた
そして、スイスに到着した。
空港には大勢のメディアが詰めかけていた。
日本のエースの一人がようやくやってきたのだ。既にライバルたちは栞奈も含めて基本全員到着している。
そして、そのままインタビューへと移る。
「羽澄選手、金メダルを目指しますか?」
「ここの舞台に来て、目指さない人がいますか? もちろん金メダルを取るのはわたしです。結城選手にも負けませんよ」
柚希は笑いながら言った。
その姿が日本のお茶の間に流れたとき、皆がこう感じていた。
『これが女王だ』
柚希が発する言葉は迷いがなく、まるで既に優勝することが決まっているかのようだった。
いくつかの質問に答えると柚希は選手村へと向かった。
落ち着いてしばらくすると柚希は電話をかけた。
京都大学への入試を終えたあとでも勉強を続けているであろう、凌久に。
『おう、柚希。スイスか』
「そうだよ。今大丈夫?」
『あぁ。お前こそ大丈夫なのか?』
「……今だから話したいんだよ」
『なんだ、弱気じゃないかよ。どうしたんだ?』
「わたしね、紬に金メダルをかけるためにパラリンピック来たんだ。そして、丞くんの分もって。でもね、さっきメールで言われちゃった。丞くんのためじゃなくて、自分のために滑ろって。それでね、分からなくなったんだ。なんで滑るのか。ずっと他人のために滑ってたから」
しばらく沈黙が続いた。凌久が口に出す言葉を慎重に選んでいるのが伝わってくる。
『柚希、兄ちゃんは柚希が自分のために戦って勝ってくれたら嬉しいだろうけど、そうして欲しいと願ってはないと思うよ』
「…………」
『柚希はどう思う? もし、兄ちゃんが銀メダルだった柚希のために滑りますって言ったら。嬉しいけど微妙な気持ちじゃない?』
「……うん」
『兄ちゃん、言ってたよ。エマニュエル選手に結果では負けたけど自分には勝てたって』
「え……?」
『結果だけが全てじゃないって。お前に慰められたところで何も変わんないよって笑われた』
柚希は思わず笑ってしまった。それは自分をバカにする笑いだった。
「そうだよね。わたしなんて烏滸がましいこと考えてたんだろ。何様のつもりだって丞くんも思ったよね。そうだよ、丞くんはオリンピック王者とかいう肩書きなくても問題ないくらいの選手だよね。もう一度手に入れてるし。丞くんが金を目指してるって思い込んでいたからこんなこと言えてたんだ。丞くんに申し訳ない」
『柚希、それは違う』
突然、凌久の鋭い声が遮った。
『兄ちゃんは金目指してたよ。兄ちゃんは試合に出て、金メダルを……頂点を目指さなかったことはない。それに、柚希との約束もあっただろ? 今は悔しかった気持ちに蓋をして次を見てるんだと思う。だから、柚希はいつも通り一位になればいいだけだ。そしたら、結果として兄ちゃんにも、小鳥遊選手にも届くんじゃない?』
凌久の言葉は柚希の胸に真っ直ぐに届いた。
「なんとなく分かった気がする」
『柚希、お前なら大丈夫だ』
「凌久、前に言ってくれたよね。「俺がこれからはお前の右足になる。一緒に行こう、行ったことないところに。会ったことない人に会いに。それがどんなに遠くても、一緒に行こう」って。スイスだよ。パラリンピックだよ。わたしたちすごく遠くまで来たね」
『柚希…………』
「凌久。見ててね」
『あぁ』
凌久との電話を終わらせた柚希は少し暖かい気持ちになり、窓から外を眺めた。そこには壮大な山脈が広がっていた。
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