第24話 凌久との思い出話

 凌久は今日は柚希の部屋に居座ってなかなか帰らなかった。柚希も別にまだ時間はあったからそのまま凌久と一緒に過ごしていた。


「そういえば、お前昔このベランダから外の柚子の木によじ登って落ちたことなかったか?」

「なんで、そんなこと覚えてるの」


 突然話し出した凌久の話題の内容に少々焦る。

 幼いころの柚希はやんちゃだった。木から落ちたのは小学四年のことだ。母は忙しかったが娘のことはのびのびと育ててくれた。広い草原を駆け回ったこともあった。今では広い銀世界を駆け回っているのだが。


「いや、あの頃柚希のこと羨ましいと思ってたなって思い出して」

「なんで?」

「柚希はいっつも自由人だったから」

「喧嘩売ってる? そしたら、高値で買うけど」


 柚希が笑ながら尋ねると凌久はベランダに立ち未だに大きな枝を広げている柚子を眺めながら言った。


「いや、別に。なんかさ、柚希はいつも自分の道を一直線に進んでたから」

「そう?」

「ああ。そんな柚希のこと尊敬してた。俺は曲がってばっかだったから」

「でも、もう違うでしょ? 医者になるって言ってきたときの凌久はかっこよかったよ」

「そうか? だけど、結局は柚希がいたから決断できただけだ。やっぱ柚希は俺にとって道標みちしるべなんだよ」

「照れるわ~」

「なにとろけそうな顔してんだよ」


 恥ずかしくなり、思わず凌久を睨む。


「ちょっと、寒い。閉めて」

「はいはい」


 柚希の抗議を聞き入れ、凌久が戻ってくる。


 柚希の部屋は二階の角部屋だ。この家はとにかく広い。実際、使われている部屋よりも締めきりの部屋の方が多い。

 柚希はずっとこの部屋を使っている。選びたい放題の家の中でこの部屋を成長してもなお使用しているのは、ここからの景色が好きだからだ。

 柚子の木が風にさわさわと揺れる音が聞こえるこの部屋には大切な思い出がたくさん詰まっている。


「俺さ、あの頃一人だったからさ」


 話し出した凌久のことを見つめる。


「ここに来ると、いつも笑顔で迎えてくれて本当に嬉しかった。自分のことを大事にしてくれる人はいるんだって思えて」

「どうしたの急に?」

「いや、今までお礼言えてなかったなって」

「別にいいんだよ」

「え?」

「わたしたちは凌久が来るの楽しみにしてたんだから」

「……そうか?」

「そう。わたしたちも母さんが仕事で子供だけのことが多かったから、凌久が来てくれると賑やかになって楽しかった」




 凌久はしばらく黙る。







「それで、あのときなんで木に登ってたんだ」

「もう!! 忘れて!」

「よく、覚えてんぞ。咲来ちゃんがぶちギレてたもんな」

「あれは、怖かったけど」

「だから理由は?」

「………………………雲に乗ってみたかった」


 長い沈黙の後にぽつりと柚希が口にすると凌久は予想に反して少しだけ笑った。


「そしたら、今は叶ったな」

「え?」

「だって、今は飛行機に何度も乗ってるから何回も雲の上なんて行っただろ?」


 驚いた。凌久のことだから盛大にからかうか、皮肉混じりの笑みを浮かべるかだと思っていた。


「バカだなって思わない?」

「別に。小さいころの夢だろ? いいじゃん」

「何か凌久変わったね」

「どこがだよ」

「優しくなった」

「それに何回「変わったな」って言うんだよ」

「だってほんとだもん」


 無表情の凌久の耳が少々赤くなる。


「そ、そんなことはねーよ」


 やっぱり変わっていないかもしれない。








「じゃあ、次はわたしがからかう番」

「は?」

「一緒に鎌倉に行ったことあったよね?」

「…ああ」

「その時、確か海で水かけあってたけど、サーフィンしてる人たちみて「やりたい!」って言って、浜辺にあった流木に乗ろうとしてたのは凌久だよね?」


 凌久が考え込む。


「いや、違う」

「え?」

「みんな海に行ってる間、俺は車酔いでホテルで寝てたから」

「ん? そうだっけ?」

「ああ。確か俺が寝てる間に咲来ちゃんと、海に行ってなかったっけ? 帰りは一人増えてた気もするけど」

「そう言われてみると……」


 思い出した。そうだった。凌久はいなかった。あれは凌久じゃない。


 ではあの子は誰だったのだろう。栗毛色のサラサラな髪が風に吹かれてぱさっと舞う姿が頭に思い浮かぶ。

 あのとき小学五年だったのだから今では柚希たちと同じく高校三年のはずだ。

 何処に住んでいるのかも、何をしているのかも、何も知らないが、一度顔を思い出してしまうと何故か頭にこびりついて離れなくなった。

 柚希は二、三度頭を振ってその記憶を引き剥がす。


「まぁいいや」

「俺、柚希と違ってあんまバカしないからな。ネタがないだろ」

「うっざ」


 凌久はニヤニヤと笑う。


「俺、嘘はついてねぇからな」

「むかつく」



 凌久につられて柚希も笑いだす。それは最近ではなかなか人前でできなくなっていた心の底からの笑いだった。


(丞くんとの約束、達成する日は近いかもな)


 柚希はそう感じていた。












 ひとしきり笑い合った後、不意に凌久が真面目な表情を見せる。


「……凌久?」

「あ、ごめん。なんか、そんな笑顔久しぶりだなって」

「………」

「テレビの笑顔はなんか柚希なんだけど柚希じゃなくて怖かった。もう今までみたいには笑わないのかって。だけど、兄ちゃんと同じだって思ったらなんか安心した」

「みんなに同じこと言われる。心配かけてごめんね」

「いいんだよ」


 凌久は相変わらず真剣な表情だ。


「ねぇ、凌久何かあったの?」

「…なんもねぇよ」

「ならいいけど」

「………」

「ほんとにダメなときは言いなよ?」

「だから、大丈夫だって」


 まだ凌久には柚希に話していないことがありそうだ。それでも良いだろう。凌久が話したくなったら話してくれれば。







「あと二日か」

「何が?」

「柚希がこっちいるの」

「そうだよ。つかできればもう行きたいくらい。身体がなまっちゃって」

「ほんとに練習好きだな」

「練習なしに試合で上手くなんかできないのは、吹奏楽時代から身をもって経験してるから」

「じゃあ行けば?」


 凌久の言葉に柚希は苦笑を浮かべる。


「それがね、コーチに久しぶりの再開なんだから最低でも四日間は楽しみなさいって言われて」

「まぁ、時々休むのは大切だからな」

「でもさ、今年はパラリンピックシーズンだよ? もうあと何ヵ月もたたないうちに本番なんだよ? まじで練習したい」

「あ、俺分かったかも」


 突然凌久がそういった。


「何が?」

「いや、コーチはその気持ちを引き出したかったんじゃないか?」

「どゆこと?」

「完全に俺の予想だけど、一回精神的な緊張感をなくして、それで身体も心も絶好調にしてから練習始めたいんじゃないか?」

「なるほど……」






 結局まったく絶好調ではない精神状態で新潟に行く事になるのだが、それはこれからの話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る