第65話 丞くん、お疲れさま会 後半
成人済みの大人たちがお酒を楽しんでいる。丞も楽しそうだ。軽口を叩きながら咲来と会話している。
柚希はまだお酒は飲むことができない年齢なのが少し悔しい。あと一年あれば飲めた……柚希は選手の間には口にする気はないが。
見渡すと何か言いたげにしている栞奈が目に入る。
「栞奈ちゃん?」
「何よ」
ツンと顔を背けられるが柚希はパラリンピックの期間中に既に知っている。これはただ恥ずかしいだけなのだ。
「少し風に当たらない? この部屋暑いよね」
「……いいわよ」
しばらく悩む素振りを見せていた栞奈は頷いた。
柚希は先程まで丞と話していたバルコニーへと栞奈を案内した。
「わぁぁ、綺麗」
隣から呟きが漏れた。栞奈が発した言葉とは思えなかった柚希がそっと隣をうかがうと、やはり栞奈だったらしい。廊下から漏れてくる光に照らされた顔が赤く染まっている。
「今日は一段と星がきれいだよね」
柚希も同意する。
夜の魔法がかかっているのか、今日は栞奈の表情が柔らかい。いつもの栞奈と同一人物だとは思えない。
「私さ、星に弱いんだよね」
唐突に栞奈が柵に寄りかかりながら話し出した。柚希は無言で聞く。
「私、生まれたときから姉と比べられてきたんだ。お姉ちゃんは本当にすごかった。勝ち目がなかったんだよ。だって、ジュニアの世界女王だったお姉ちゃんに足がなく生まれてきた私が勝てるわけがないよね」
「スキーを始めたのはお姉ちゃんみたいになりたかったから……って言えたらいいけど、本当は足がなくてもお姉ちゃんよりもすごいって言われたかったから。ただの対抗心だよね。今思えば、スポーツでもそうじゃなくても、畑違いのことやればもっとはやくお姉ちゃんに勝てたのかもしれないけどさ……あのときの私はバカだった」
「……でもわたしは今、栞奈ちゃんと戦えることが嬉しいし、わたしがスキー選んだのは栞奈ちゃんがいたからだよ」
「私は誰かの心を動かしたかった。お姉ちゃんにはファンがたくさんいた。お姉ちゃんは顔も名前も知らないのに、海外の試合にも付いてきてくれるような。それが羨ましかった。私にはそんな人はいなかったから」
「…………」
「だけどね、一人だけ私のことを心から大切に思ってくれる人がいたの。それが……お姉ちゃんだった。私がどれだけ嫌っても、お姉ちゃんは私を愛してくれてた。両親はお姉ちゃんのことしか見てないのに」
栞奈は空を見つめている。柚希は栞奈の隣に立つ。
光に背を向けているので定かではないが、その目には微かに涙が浮かんでいるような気がした。
「悔しくて、つらくて……なんで私には足がないんだってお姉ちゃんに当たったこともあった。だけど、その度にお姉ちゃんは私を優しく抱き締めてくれたんだよね。お姉ちゃんもつらかったと思う。何も悪くないのにずっと責められて。申し訳ないことしてた」
「私が初めて国内大会で優勝したとき、お姉ちゃんが見てくれてたんだ。その日の夜、二人だけでたくさん話した。その頃にはお姉ちゃんは海外に拠点を置いていてなかなか会えなくて、家では味方もいなくてつらかったんだけどね……お姉ちゃんはホテルの窓から空を眺めながら言ってくれた。『私は遠くにいてもあんたの近くにいる。ほら、あそこで輝く星。あれはみんなあんたの味方だよ。あそこで輝いている数だけあんたを応援してる人だよ』って」
「星の数だけ応援してくれる人がいる……」
柚希の呟きに栞奈は頷いた。
「私が頑張ってこれたのはその言葉があったから。常に一番でいたい、お姉ちゃんのように。って、考えが変わったんだよね。お姉ちゃんに対抗して始めたことが、お姉ちゃんを目標にするようになった。それに……」
「それに?」
「柚希ちゃんっていうライバルもできたし」
柚希は一瞬固まった。
栞奈の口から『ライバル』という言葉が出てきたのが嬉しかった。
「初めてライバルって言ってくれた」
「あら、パラリンピックのときには思っていたけど。気づくの遅いわよ」
「ふふふ、そうかも。でも嬉しい。ありがとう」
「私こそ自分のことばかり話してごめんなさい。もし良かったら柚希ちゃんと丞くんのことちゃんと教えて」
「丞くん?」
「付き合ってるんでしょ?」
「えっ!?」
「もちろん知ってるわよ。丞くんと何年の付き合いがあると思ってんの」
「……」
「言いたくないことは言わなくていい。だけど、聞いておきたい。柚希ちゃんにとって丞くんはどんな人?」
柚希は真剣に考える。
「太陽……かな」
「太陽?」
「うん。わたしにとっては太陽」
「どういうこと?」
「だってさ、太陽ってどんだけ遠くにある星も全て照らしてるでしょ? わたしにとって丞くんはそういう人。わたしはその丞くんっていう太陽に照らされているからこそ輝ける小さな星の一つなんだよ。丞なしにはここまでこれなかった。丞くんはわたしというちっぽけな人間を世界一まで導いてくれた太陽なんだ」
「柚希ちゃんって詩的だよね」
「そう?」
「うん。話してるとなんか詩とか音楽聞いてる気になる」
「初めて言われたよ」
「ほんとに?」
柚希は星を見つめる。栞奈と共に戦った一ヶ月前を思い返しながら……
「栞奈ちゃん、今日は丞くんのお疲れさま会だけどわたしたちのお疲れさま会でもあるんだから楽しんでね」
「私たちの?」
「そう。パラリンピック優勝おめでとうっていうこと」
「そんなのいいのに」
「姉ちゃんが乗り気だからいいの」
「……ありがたく楽しませて貰ってるから大丈夫よ」
下からは楽しそうな声が聞こえてくる。
輝いている星と盛り上がっている下の階との狭間で柚希と栞奈は星空を眺めていた。
「……紫苑くんと柚希ちゃんってどんな関係なの?」
沈黙を割いて栞奈が聞く。
「わたしの弟。双子なの」
「弟!?」
「三歳のときに別れて十八で再会した。わたしの大好きな弟でわたしの一番の応援団」
「かっこいいよね」
「ね。馬に乗ってる紫苑もめちゃくちゃかっこいいよ」
「乗馬?」
「そう。元々わたしは神社の娘なんだよね。紫苑は新潟の羽澄神社の跡取り息子だよ」
「すごい」
「そんで、そこでは流鏑馬の奉納があって紫苑が弓引いてるってこと」
「かっこいいなぁ……」
「わたしも生で見た記憶はないんだけどね」
「ちょっと待って……羽澄神社!? あの噂になってる」
「どんな?」
「柚希ちゃんと関係が深いんじゃないかっていう」
「そうだよ。関係深すぎるよ」
柚希はそう言ってカラカラと笑う。
「なんで公表しないの?」
「だってしたらファンが押し寄せちゃうでしょ? 今のままで聖地だと思われてる方がわたしはいい」
「……それはそうかもしれないね」
柚希が静かに頷くと再び沈黙の時間が訪れた。
「柚希ちゃん教えてくれたから私からもひとつ言うね。……柚希ちゃん、丞くんはずっとつらい思いばっかしてきたからこれからは世界で一番幸せにしてあげて」
栞奈の言葉が柚希の胸に深く突き刺さった。
幼いときから丞のことを知っている人間だからだろうか。
言葉に無下にできない重みがあった。
「柚希ちゃんなら大丈夫だと思うけど」
「そうかな」
「柚希ちゃんなら丞くんへのアンチなんてはねのけてくれそう」
「それは、そうするけど」
「柚希ちゃん、これは丞くんのことめっちゃ知ってる私だから言えることだけど……丞くんは苦しいって言わない。一人で抱え込むの。だから気づきにくいから気をつけて。今まで選手時代は一人の人間にかけるにはあまりにも酷いことたくさん言われてた。柚希ちゃんがその笑顔で傷を癒してあげて」
「栞奈ちゃん、約束する。教えてくれてありがとう」
「二人が笑顔で一緒にいるのはすっごくお似合いだから大丈夫だよ」
「お似合い!? なわけ」
「めっちゃ合ってるから自信持ってね」
柚希がそう言ったときだった。
一台の車が柚希の自宅前に到着した。
それがミラクルの始まりだった。
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