第9話 暗闇の中で (柚希視点)

 わたしが横断歩道を渡り始めたら視界の隅にライトが映った。

 そのとたん凌久の「柚希!!!」という怒鳴り声が聞こえた。


(え?)


 わたしがそう思った次の瞬間、わたしに大きな塊がぶつかってきた……のを空中に投げ出されて知った。

 地面に激突する。

 凌久と母さんと咲来が走ってくる。母さんが電話している声が聞こえる。


「柚希! 柚希!」


 凌久と咲来が叫んでるのは分かるけど応えられなかった。

 右足が痺れるように痛い。

 目も開かない。

 周りに人が集まってきている。


(このまま死ぬのかな) 


 そう思ったときサイレンの音が聞こえた。誰かに抱えられて何か固いものの上に置かれた。それが動きだす。車に乗せられ、車が走り出す。

 誰かがわたしの手をぎゅっと握ってくれた。


「いい? 柚希。まだ死ぬんじゃないよ」

 

(母さん……)


 母さんの声を聞くと不安が安心に変わり、わたしは暗い底無しの世界へと落ちて行った。







 わたしは何もない暗い世界にいた。そこは紺色の世界だった。ふと上を向くと金色に輝く点がたくさん見えた。 


(あぁ、事故の前に見た空の色だ)


 そう思ったわたしはしばらくその景色を眺めながら漂っていた。不思議な気分だ。足は痛いはずなのに全く痛みを感じない。重力がないかのようにふわふわと浮いている。


「…………き、……柚希」


 誰かの声が聞こえる。凌久の声じゃない。凌久はもっと低い声で機嫌が悪そうな声だ。こんなにかわいい声はしていない。でも他にわたしを呼び捨てにする男の人はいないはずだ。いったい誰の声なんだろう。


「柚希、柚希?」


 その声の持ち主はずっと呼び掛け続けている。


「…………誰?」


 小さく尋ねるとその声は笑いを含んだ声で言った。


「僕のこと忘れたの?」

「え?」

「あんなにずっと一緒にいたのに」

「わたし、あなたといたことある?」

「うん。ずっーと前のことだけどね」


 正直この声は聞いたことがない。しかし、なぜだか懐かしい気持ちになった。そして自然と自分が笑っているのを感じた。


「ごめんなさい。わたし思い出せない」

「そっか……」


 残念がる声が聞こえる。


「ま、いいや。いつかまた会えたらその時に分かるよ」


 その声を聞いたときに思った。「また会える」と。何の理由も根拠もないけど自信を持って言えた。


「柚希、僕たち必ず再会できるよ。だって、僕はいつだって柚希の一番の応援団なんだから」


 誰だか分かった気がする。

「一番の応援団」という言葉。幼いわたしにこの言葉をかけてくれた人がいた。大好きだった人。大切な人。辛かったときも苦しかったときもずっとこの言葉が支えてくれた。

 それなのにわたしはこの言葉をわたしにくれた人を忘れてしまった。なんとなく姿形は思い出せる。しかし、名前はどうしても思い出せない。


「柚希、焦んなくていいよ。いつか思い出すときが来るから」

「ごめんなさい」

「だから、死んじゃダメだよ」

「え…………」

「絶対に絶対に生きて」

「……分からない」

「柚希ならできる。強く思うんだ。「生きてやる」って。その強い気持ちが柚希を生きさせてくれる。分かった? 死んじゃダメだよ」

「……分かった」

「柚希、元気でね」


 そういうとその声は聞こえなくなった。

 首を捻って周囲を見回すと紺色の世界に輝く金色の点の中にひとつ強く輝いている点がある。

 言うなれば北極星のようなものだろうか。


(昔の偉人たちはこれを見ながら進んでいったんだな)


 ふとそんなことを思った。



 そしてわたしは強く思った。「生きていたい」と。まだ言えていないことがある。まだできていないことがある。まだ会えていない人がいる。まだ死にたくない。


 そう思ったとき、不意に風のようなものが吹いてきた。身体が流される。風に煽られて髪がバサバサと音を立てる。


 突然、暗かったはずの世界が明るくなった。目を開けると、わたしはベットの上にいた。

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