第3話 忠告

「凌久くん~今日時間空いてる?」

「一緒にご飯行かない?」


 凌久の周りには今日も人が集まっている。廣瀨くんファンクラブがあるとかないとか。

 柚希は凌久が「ごめん、忙しい」と断る姿をチラリと見たがそのまま楽譜に視線を向けた。選考会が明後日に迫ってきている。今は柚希にとって凌久のことはどうでもいい。

 鬼のような勢いで目は楽譜を追いながら指を動かす柚希のことをいつもなら周りで話している友達は遠くから眺めている。この選考会の重要性が分かるからが半分、本人には言えないがちょっと怖いが半分である。


「ねぇ、柚希ちゃん?」


 ふいに目の前から声が聞こえた。顔を上げると部活で同じフルートパートの三年生の大和蒼依やまとあおいが立っていた。

 柚希は大和のことが少し苦手だ。勝ち気な顔つきで負けず嫌いで、二年前のコンクールに一年から柚希だけが選ばれたことを今でも根に持っているしつこい子だからだ。

 それでも同じパートで、柚希を三年生のいじめから守ってくれたことには感謝してるし、大切な仲間だとは思っている。

 でも今まで部活以外で話したことはなかった気がする。柚希が避けていたのだが。


「どうした?」


 聞くと大和は親指を扉のほうに向けてクイクイと動かした。


「ちょっといいかな?」

「いいけど」


 廊下に出て話すのかと思ったら大和は真っ直ぐ階段へ向かって歩きだした。


「大和さん?」

「いいからついてきて」


 大和の後ろを柚希は歩いていく。階段を登って大和は屋上に出た。


「あの、良かったの? 屋上って立ち入り禁止だよね」

「ほんと柚希ちゃんは真面目なんだから」


 なんか数日前にも聞いたようなことを凌久だけじゃなくて大和にまで言われるとは心外だ。


「わたし真面目?」


 思わず聞くと大和は大きく目を見開いてそれから笑いだした。


「いや、それ以外ないでしょ」

「ええっ!?」

「確かに柚希ちゃんは努力家だし、失敗しても気にしないとこは大胆だけど、やっぱり基本的に真面目だよね」


 驚いた。今までは凌久にしか言われていなかったから全然気にしてなかったけどどうやら本当のことらしい。あまり親しくない大和にまで言われてしまうのだから。


「ま、そこが柚希ちゃんの良さだとは思うけど」


 大和はそう言ってフェンスに寄りかかる。


「それで、なんでここに来たの?」

「秘密のお話がしたかったから」


 大和はいたずらっぽく笑うと表情を引き締めた。


「幹部メールに先生からまわってきたんだけどさ、今日先輩たち来るんだって」

「え?」

「コンクール選考会直前の後輩に激励したいって言ってるけど何か嫌な予感して」

「嫌な予感?」

「普通こんな選考会の前に来る?ただの迷惑行為でしょ。私は柚希ちゃんに会いたいんだと思ってるけど」


 この『会いたい』は好意的な会いたいではないだろう。


「それで提案なんだけどさ、今日は部活休んだら?」

「なんで?」

「だって柚希ちゃんのこと動揺させに来るんだよ? 最初から会わないほうがいいと思うけど」


 大和はどこか変わった。二年前から会うたびにいつも少し睨み付けてきたきつい目に今は分かりやすく心配の色が浮かんでいる。


「わたしが動揺して選考会で失敗するほうがいいんじゃないの?」


 思わずそう聞くと大和は笑った


「あの時は確かに悔しかったし、一緒に練習してたはずなのになんでこんなに置いていかれたんだろうっていう焦りもあったけど。もう二年前のことだよ? 引きずってたらやってられない。だってその間にも柚希ちゃんはどんどんうまくなるんだもん」

「……」

「でもあの時悪いことした。反省してる。柚希ちゃん、ごめんね。分かってたんだよ。実力が違うって。柚希ちゃんが朝練すごい早くから来てるのも、吹きはじめる前に部室掃除してるのも私知ってたんだ」

「え、なんで?」

「私の家、学校の真横なの」


 学校の真横には高いマンションが立っている。


「あそこ!?」

「そうだよ。だから窓から見えるんだよね。私が朝ごはん食べてるときに柚希ちゃんが部室を掃除してるのが」


 そんなところを見られていたとは思わなかった。


「知らなかった」

「だろうね」

「大和さん、あの時のことは気にしないで。私、大和さんに助けてもらったから頑張れたんだから」

「私が柚希ちゃんを助けた? そんなことあったっけ」

「うん。わたしが部室に閉じ込められたときに夜助けてくれた」

「ああ、あったねそんなことも」

「わたし、あのときまで大和さんのことちょっと怖かった。自分が勝った相手に何て言えばいいのか分かんなかったし、嫌われてると思ってたから。だけどね、あのとき大和さんは言ってくれた。『柚希ちゃんが選ばれたのは実力だから大丈夫だ』って。あの言葉があったから先輩たちの嫌みも気にせず本番まで頑張れたの。だからありがとう」

「あれは自分に言い聞かせてただけだから」


 大和はそう言うだけ。


「だから今日は休みなね」


 突然話題が戻った。


「行くよ」

「は?」

「だから、行く」

「なんで? わざわざ。バカでしょ」

「バカだからいいの。ここで休んで逃げたくない」

「私忠告したのにそれでも行くって言うの?」

「行く」

「じゃあ、勝手にすれば。その代わり何かあっても今回は助けないからね」

「わたし、二年前とは違うから」

「どうだか。二年あっても自分が真面目なことに気づいてなかったのに? ま、いいや。も一回考えてから来るか決めな」


 そう言うと大和は戻っていった。と思ったら扉の前で振り返る。


「あと言っとくけど今日来るかは勝手だけど何かあって動揺して明後日落ちるのだけは許さないからね」

「え?」

「一昨年も去年も私は落ちた。今年こそは絶対に受かる。そのときは、柚希ちゃん。柚希ちゃんも一緒だからね」


 そう言うと大和は今度こそ本当に扉を開けて出ていった。


(今まで大和さんのこと誤解してたかもな)


 柚希は思わず染み出てきた涙をぐいっと拭いて歩きだした。

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