第67話 新たな日常

 父と母が再会した。父と母が再婚した。

 こんなにとんとん拍子に物事は進むのかという勢いで柚希の一家は新潟へと引っ越すこととなった。

 柚希は基本寮で暮らしているが、時々神社に顔を出すこととなった。

 咲来はカナダに家を持っているため、海外暮らしを続けるという。

 そのため、羽澄神社と暮らすのは両親と紫苑、たゑ一家のみである。





 そして、丞は神奈川のリンクでコーチになった。今は見習いとして、かつてお世話になっていた武井麗奈のもとで働いている。雑用に近いことばかりだが……

 武井は丞が日本にいた頃、高校生の時まで丞のコーチだった。恩師と教え子が共に今度は第二の丞を産み出そうとしている。


 そのため、丞は選手育成コースで才能ある子を見つけようと日々コーチ業を頑張っている。

 今はまだコーチとしての実績はないが必ずや丞は世界に名を轟かせるコーチへなるだろう。

 今は運命の選手と出会うのを待っている準備期間なのだ。





 それぞれがそれぞれの道を進んでいる。

 柚希のオーストラリアに旅立つ日も近づいてきた。

 新潟に母がやってきた日は、柚希がオーストラリアに行く前日だった。


「忙しいときに手伝わせてごめんね」

「いいんだよ、もう準備終わってるから大丈夫だよ」

「ありがとう。助かったわ」


 母の引っ越しは無事に終わった。いつだったか入った祖母の部屋にあった手帳やアルバム、本などは柚希が気が付いたときには気がついたときには跡形もなく消え去っていた。

 母が捨てたのか新潟に持ってきたのかは分からない。


 それでも、あの手帳に書きなぐられていたこととは違い、父は家に姿を見せたし、二人は再婚することになったが、母が幸せそうなことが柚希にとっては一番嬉しい。





 丞とはお疲れさま会以降全く会っていない。

 もともと一年越しに会うことが普通だった二人だ。この冬は柚希のパラリンピック、丞の世界選手権、お疲れさま会と二人にしては異常なほど会っていた。会えない期間が長いぶん、会えたときその時間を大切にする二人である。

 それでも、寂しさは拭えない。定期的に柚希と丞は電話をしている。


 母の引っ越しが終わった日も、寮に戻った柚希に丞から電話がかかってきた。

 部屋には紬がいたため、柚希は部屋を出て廊下の奥まで行くと電話を取る。



『柚希ちゃん?』

「丞くん!」

『無事に引っ越し終わった?』

「はい。あの家も引き取り手が見つかって。大切にしてくれそうな方で良かったです」

『そっか……お疲れさま』

「ふふふ。……わたしが紫苑と再会してから一年くらいかかったけどやっと皆がまた元通りになれました」

『おめでとうね』

「ありがとうございます」

『じゃあ次に会いにいくときは新潟に行くのか……』

「そうですね。こっちも案内したいとこたくさんあるし、紫苑の弓道も見てもらいたいし……一旦オーストラリアに行くんで、来年帰ってきたときにはぜひ」

『楽しみにしてるね』

「あと……」

『どした?』

「紫苑のことだけど……凌久とかから何か聞いてますか?」

『うーん、凌久ね……しばらく電話してないや』

「……紫苑、栞奈と付き合ってるんですよ」

『うぇい!?』


 唐突に丞が声を裏返す。


「なんか、うまくいきそうな感じで……もしかしたら結婚するかも」

『はやいね。僕たちなんて……』

「出会ってから四年かけてやっと告白できたのに」

『決断力の早すぎる二人だけど……』

「まぁ、結婚式はちゃんとした儀式なんでめっちゃ時間かかるから実際は二年後ぐらいだと思いますけど」

『気長に待とう』

「ですね」


 栞奈と紫苑が付き合い始めてしばらく経つ。栞奈は二、三度羽澄神社にも参拝してくれた。

 もともと仲が良いとは言えなかった柚希と栞奈だがもしかしたらあと少しで義理の姉妹になるのかもしれない。そう考えると面白い。


『柚希ちゃんも明日出発だね』

「はい」

『今年は暖冬とか聞いたけど……』

「雪解けが早くなりそうなんで早めに練習打ち切ることになるかもしれないとは聞いてます。まだ先の話だけど」

『気をつけてね』

「はい。丞くんも怪我とかないように」

『次にあったときにはいいコーチになれてるように努力するよ』

「楽しみにしてますね」

『柚希ちゃん、行ってらっしゃい』

「いってきます」





 丞との電話を終えると柚希は部屋に戻る。紬の姿はない。柚希は床に置かれたスーツケースを覗き込む。


「日本にいたのは半年だけどいろんなことがあったなぁ」


 柚希は呟く。紫苑と再会し、パラリンピックで世界一となり、父と再会し、家族がひとつになり、新潟に家をもった。


「来年、戻ってきたときにはどんな家族になっているんだろうな……」



「今シーズンも最強の滑りをして、帰ってきたときに丞くんに誉めてもらわなきゃね」


 自分に言い聞かす。柚希は「あーーー、丞くんに会いたいなぁ」と叫ぶとベッドにダイブした。


「だめだめ、丞くんだって新しいこと頑張ってるんだから。来年まで我慢しなきゃ」









 柚希はスーツケースのチャックを閉めた。


 そして、出発の挨拶をするために、先程まで引っ越しを手伝っていた羽澄神社を再び訪れた。


「お嬢様、お帰りなさいませ」


 たゑが暖かい笑顔で迎えてくれる。


「父さんと母さんに会わせて」

「畏まりました」


 案内されたのは今回新たに作られたテーブルと椅子が置かれた部屋だ。

 畳の部屋に洋服なテーブルは似合わないが、柚希のために作られた部屋だ。


「お帰りなさい、柚希」

「さっきぶりだね、母さん」

「着替えてきたんだな」

「挨拶しに来たんだから、少しまともな服の方がいいかなって」


 両親にまずは伝えておきたいことがあった。


「あの、この部屋ありがとう」

「いいのよ、別に」

「でも……今まで神社の家系として和のもので統一していたのに、わたしのせいで洋のものを取り入れさせちゃったから」

「柚希。これは私が決めたことだ。だから大丈夫だ。それに、もしも栞奈さんがうちに来てくれるなら柚希と同じように椅子がなければ苦労するだろう。柚希のためでもあるし、栞奈さんのためでもある」

「栞奈ちゃんが来てくれたときに、今の柚希のように思ってほしくないのよ。だから、この家にはもともとこういった部屋があった、そういうことにしておきたいの」


 柚希は自分のためだけに何かされると申し訳なく思ってしまう。

 自分のためではなく、栞奈のためだという言葉が柚希の胸にすっと入った。


「わたしのためだけじゃないんだ。良かった」


 両親が微笑む。


「そしたら、父さん、母さん。行ってまいります」

「怪我しないように気を付けて」

「活躍期待してますよ」

「二人がかけてくれている期待以上の活躍をして、胸張って帰ってきます」

「楽しみにしてますよ」

「応援、お願いね」

「もちろんだ」


 しなければならない話はそれだけだ。柚希が帰ろうとしたとき、障子が開いた。


「あら、紫苑」


 そこには何かを手にした紫苑がいた。


「柚希、行くのか」

「うん」

「無事に帰ってこいよ」

「当たり前でしょ」

「柚希は意外とぶきっちょだから心配だ」

「大丈夫だって」

「今シーズンも頑張れよ」

「うん、ありがとう」

「無理しすぎないようにな」


 そういって紫苑が手渡して来たのはひとつのお守りだった。青いお守りだ。

 祖母から柚希、柚希から丞、丞から柚希へ受け継がれた初代のお守りはメダルと共に大切に家に置いてある。


「これ」

「ありがと」


「そしたら、行ってきます。父さん、母さん、紫苑」

「「行ってらっしゃい」」


 柚希は部屋から出る。




 柚希は一度自室に戻った。

 大半のものは家を売るときに捨ててしまったが、柚希も大切なものは少し新潟に持ってきていた。


 柚希は壁際に置かれたガラスの引き戸がついた棚を眺める。たくさんのメダルや賞状、トロフィーなどがところ狭しと置かれている。

 その中に無造作に置かれた六つのメダルは他のメダルと同じように置かれているが、大切なものだった。

 この冬、新たに加わったパラリンピックのメダルたちである。


 柚希はメダルの前で誓う。


「今シーズンもファンの期待を裏切らない、世界一としての実力を見せつけます。だから……だから、どうしてもうまく行かなくなったときは、お力をお貸しください」


 メダルは変わらず輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る