第6話 選考会

 あの事件から二日が経過した。

 柚希たちの必死の懇願によりあの事は公にはされずに内々に調査がされている。


 決して柚希は万全の調子ではない。柚希はほぼ全身を打撲しているうえに、口を切っているため上手く話せない。もちろん楽器の演奏など一曲吹くだけで口のなかも楽器も血だらけになってしまうほどだった。そんな状況でも柚希は選考会への参加を決めた。


「次、羽澄」

「はい」


 ゆっくりと立ち上がると審査が行われる教室へと入る。

 席に着こうとしたとき、顧問の先生が心配そうな顔で話しかけてきた。


「羽澄、本当に受けるのか?」

「はい」

「羽澄の実力なら選考会出なくても受かるし、皆それは分かっている。座っているのもきつい状態で無理する必要はないんだぞ」

「わたしは、選考会、を、しっかりと勝ち抜い、て、コンクールに、出たいんです。だから、怪我してる、とか、気にせず、に、他の人と、同じ基準、で、審査して、ください」

「いいんだな?」

「はい」


 そう言って柚希は吹き始めた。


 吹いているうちにこの三日間のことが次々と蘇ってくる。

 先輩に叩かれたこと。凌久と大和が助けてくれたこと。母が仕事を休んでまで柚希の世話をしてくれたこと。練習し過ぎて口の怪我が悪化して吹けなくなるのを避けるためにあまり楽器には触らずに、演奏の仕方や曲の解釈などに重点を置いて調べたこと。今日、頑張れと送り出してくれた友達のこと…………

 柚希の演奏には普段のような滑らかさも優雅さも力強さもなかった。それはそうだろう。思う通りに動かない身体を使って演奏しているのだから。

 それでも柚希の演奏には『これを吹ききる』という決意が漲っていた。何があっても吹ききるのだというその気持ちだけが柚希を動かしていた。





「これからコンクールの出場メンバーの発表を行う」


 顧問が冊子を手に音楽室へと入ってくる。


「まず、先に言っておきたいのは今回万全の調子ではない生徒が何名かいた。しかし、全員同じ基準で採点した。それは分かってほしい」


 そう言うと顧問は冊子を開く。音楽室全体の空気が引き締まった。


「フルート、大和」

「はい」

「石川」

「はい!」

「そして…羽澄」

「……はい」


 顧問の言葉は柚希への優しさであっただけで、基準を揃えれば選ばれることはないと思っていた。技術は多分一年生と同じぐらいだっただろう。それでも選ばれたからには全力で練習に励むと誓った。


 全パートの発表が終わる。柚希の代は全員が出場することが叶った。


「柚希ちゃん」

「……大和さん」

「流石柚希ちゃん。怪我なんて関係なかったね」

「…………」

「ねぇ、柚希ちゃん。私のことは蒼依って呼んで。いつまで他人行儀なの?」

「……蒼依ちゃん」

「うふふ」


 大和――いや、蒼依は笑って柚希のことをみてくる。

 柚希はできるだけ口が痛くないように気にしながらゆっくりと話した。


「蒼依ちゃん、わたし、選ばれたなら、本気で、ファーストパート、狙うし、絶対に、蒼依ちゃん、にも、負けないからね」

「受けて立つだよ、柚希ちゃん」

「頑張ろ、ね」

「うん! 始めてのコンクールだから楽しみながら頑張る」


 ふいに蒼依は真剣な顔になる。


「万全の体調になるまで部活来ちゃダメだよ」

「え?」

「だって、柚希ちゃん選ばれたからってひたすら練習してそうじゃん。こんな身体ぼろぼろなんだからこれ以上無理させないで、一回身体を休ませてあげて」

「でも、コンクールまで、時間が、もう、ないから……」

「副部長命令」

「………分かった」


 柚希は諦めたようにそう答えた。


「柚希ちゃん、助けてあげれなくてごめんね。選考会の直前に辛い目に合わせてごめん。許さなくていいよ。でも、今日こんな状態でも審査を受けるって言った柚希ちゃんのこと私、ほんとに尊敬してるし、そうやって無理してでも必ず目標を勝ち取る柚希ちゃんのこと大好きだよ」

「ありがとう」





 柚希はそれから一週間学校を休んだ。身体が普段通り動くようになり、学校へ登校を再開した。そして期末考査を学年二位で終えると部活のコンクールはもう二週間後に迫っていた。


 そんなとき柚希はある噂を耳にする。

『廣瀨凌久の親は離婚した』

 しかし、柚希と話している凌久からはそんな気配は微塵も感じない。

 どこまで自分が踏み込んでいいのか。凌久をどう励ますのか。それともほおっておいた方がいいのか。柚希は決断をできずにいた。


 そして、コンクールは明日に迫っていた。

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