第10話 あんたがいてくれて良かった
柚希が目を開けるとベットの上だった。しかし、それはいつもの見慣れた景色ではない。この真っ白な空間はあまりに静かで殺風景だ。
もしここが柚希の部屋ならベットの横の壁には推しのポスターがたくさん貼ってあるはずだし、枕元にある棚の上にはフルートが置かれているはすなのに何故か棚は足元の方におかれている。ここが自分の部屋でないことは理解できるが、いったいここは何処なのだろう。
窓辺に寝ているようだ。窓から明るい光が差し込んでいる。それにしてもなぜ明るいのだろう。事故に遭ったのは夜だったはずなのに。
柚希が疑問に思って首を傾げたとき扉が開いた。静かに入って来た咲来は柚希が起きているのを見ると駆け寄ってきた。咲来の表情は暗かった。そして、その目には涙がたまっていた。
「柚希!!! 目、覚めたのね!」
「姉ちゃん……?」
「半日眠り続けてたから、心配したわ」
「…………半日?」
「ほんとにもう目が覚めないんじゃないかってずっと怖かった。ほんとに良かった。また会えて」
話しているうちに咲来は泣いていた。
「姉ちゃん……」
柚希は身体を起こそうとして右の脚の膝より下がないことに気付いた。
「姉ちゃん……わたしの足…………」
咲来の顔がぐしゃりと歪んだ。
「…………切断したの」
「え……?」
「ごめんね。ごめんで何とかなるんだったらいくらでも謝るけど、謝っても何も変わらない。だけど……私がもっと早く気が付いていれば何か変えられたかもしれないって思ったら……」
「姉ちゃん……」
「変わってあげたい。私が変われたらどんなに良かったか。でも、どれだけ願ってもそれはできなかった」
咲来の目からまたひとつ大きな雫が溢れる。柚希は呆然としばらく窓から外を眺めていた。小さな男の子が病院の前の道を元気良く走っている。それを見ながら柚希は思った。
(あの子は幸せそうだな…………)
「ちょっと一人にさせてほしい」
柚希のお願いに咲来は素直に応じ、部屋から出てくれた。
柚希は一人ベットの上で物思いに沈んだ。
―――――
正直、足がないというのは怖かったけどあまり驚きはしなかった。それまで足がとても痛かったからその痛みが薄くなってたことの方が驚きだった。それよりもあの世界にいたとき、聞いた声の方が忘れられない。
「柚希、僕たち必ず再会できるよ。だって、僕はいつだって柚希の一番の応援団なんだから」
「柚希ならできる。強く思うんだ。「生きてやる」って。その強い気持ちが柚希を生きさせてくれる。分かった? 死んじゃダメだよ」
この人のお陰で生きようと思えた。生きたいと思えた。この人のお陰であまりショックを受けずに現実を受け止めることができた。
それでもこれからのことを考えると不安が押し寄せてくる。こんな身体になってしまった自分にできることはあるのだろうか。
これからも自分はフルートを吹き続けられるのだろうか。
これからどうしよう。
悩んでも答えが出てこないのを分かっていながら柚希は考え続ける。
今回事故に遭っても生きることができたのはあの人が「生きろ」って言ってくれたからだ。あの人は誰なんだろう。会ったことはある気がする。あの声はずっと前に病気のときに聞いた声と似ている気がしなくもない。
誰だか思い出せないけどあの声には哀願のようなものが籠っていた。
なぜそれほどまでにあの声に惹かれるのだろう。
コンコンとノックの音が静かな病室に響く。
「はい」
「俺だ」
凌久の声がする。
「入ってもいいか」
「……凌久だけなら」
ドアが開く。凌久か入ってきてテーブルから椅子を引いてきて腰かける。
「……柚希、ごめんな」
「姉ちゃんもそう言ったけど注意不足だったわたしのせいだから」
「いや、周りが止めてれば良かったんだ」
凌久は意外と頑固で思い込みが激しい。
「ねえ、凌久? わたし今変なんだ」
「どういうことだ?」
「普通、こんなことになったら怖いじゃん? 辛いじゃん? でもわたし全くそんなこと思わないの」
「……」
「逆に大声で騒ぎたい気分だよ。今まで行ったことないところに行ってみたいし、会ったことない人に会ってみたい」
それを聞くと凌久は考え込んだ。
「……それは多分現実から目を背けてるだけだろ」
「そう? 別に足切ったの納得してるし」
「まぁ、柚希がいいならいいけど」
そして凌久は目の奥に殺伐とした光を浮かべた。
「柚希が納得してても、たとえ許しても、俺は許さないから。事故を起こした運転手も、止められなかった自分のことも」
「だから、凌久は悪くないから」
「いや、俺は二度も柚希に怪我をさせてしまった。それに今度は取り返しのつかない怪我だ」
「二度?」
「あの時、先輩からも守ってやれなかった。柚希にあんな怪我をさせてしまった」
凌久の膝の上に置かれた拳がわなわなと震える。
「俺、不甲斐ない。柚希のこと守れなくて。守れないのに守ってもらってばかりで」
「……凌久」
「だから……だから、これからは俺が柚希の右足になる」
「え?」
「一緒に行こう、行ったことないところに。会ったことない人に会いに。それがどんなに遠くても、一緒に行こう」
思わず柚希の目からは涙が溢れた。起き上がろうとしても起き上がれない。ジタバタともがく柚希に「じっとしてろ」と言いながら凌久は柚希の頭をそっと抱き寄せた。
しばらくそのままでいると胸の辺りからくぐもった声が聞こえた。
「ねぇ、凌久?」
「ん?」
「あんたがいてくれて良かった」
「は?」
「だから、あんたがいてくれて良かった」
「……俺も柚希とまた会えて良かった」
二人はしばらくそうやってお互いに寄り添っていた。
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