第64話 丞くん、お疲れさま会 前半
咲来の号令から一時間半が経過した。予定よりも早く皆の支度が完了したので、広間に集まりパーティーが始まった。
柚希はロングの髪をアップにしていた。それが珍しかったのか丞が目を丸くする。
「柚希ちゃん、可愛い!」
「こんな格好久しぶりだからちょっと緊張してます」
「何言ってるのよ。私の方が久しぶりよ」
後ろから咲来がからかってくる。それはそうだろう。咲来は一般の社会人だ。結婚式にでも呼ばれていない限り着る機会はないだろう。
一方の柚希は大会の度に様々な要人と合っている。このようなフォーマルな服はいくらでも必要なのだ。
「柚希はドレスも似合うんだね」
「紫苑……あんたも充分すぎるくらいかっこいいよ」
紫苑は結局咲来を説き伏せ、袴姿だ。丞に聞いたところ色紋付といわれる着物だそうだ。薄い水色の着物と白い袴が栗毛色の紫苑の髪とよくあっている。
「よく姉ちゃんを納得させたね」
「ん?」
「だって姉ちゃんはこういうことは自分の決めたいた通りに進めたい人だもん」
「流石、妹。よく分かってるね。めっちゃごねられたよ」
「やっぱり」
「だけど、言ったんだ。羽澄家の人間ならここは着物で出る場面だって。礼節を重んじるのが神社の跡取りとして大切なことだ、って言ったら納得してた」
「へぇ、やるじゃん」
「最後にTPOは弁えろって言われたけど、弁えた上で言ってるんだから大丈夫だよね?」
「……たぶん」
「僕はどこにでもこういった服装をしてるわけじゃない。みんながフォーマルドレスとスーツだったから僕も合わせたんだよ」
「紫苑らしくていいと思う。それに正直似合いすぎててかっこいい」
素直に柚希が誉めると紫苑は恥ずかしそうな表情になった。
「紫苑くん、めっちゃ似合うな」
凌久がやってくる。二人が並ぶと兄弟のようだ。身長が高くて切れ目な凌久と、凌久より少し身長が低くて甘いルックスの紫苑は、真逆のタイプなのによく似合っていた。
凌久と紫苑が話し始めたので柚希は丞のところに行く。
丞は咲来とアラン、そして母と共にお酒を飲みながら話し合っていた。
「丞くんお酒飲むんですね」
柚希の純粋な質問に丞はにこりと笑って言った。
「今日で二回目」
「はい?」
「引退したから体重管理とか健康管理も選手時代よりは甘くなってきて……ついにお酒に手を出してしまいました」
丞は笑う。そんな丞に母がいう。
「いいんじゃない。今まで娯楽を全て我慢してやってきたのよ? 引退したのだからもうパッーと自由を満喫しなさいよ」
「そうですね……結局体重計に乗る習慣はやめられないんですけど」
「まぁ、それはいいんじゃない? 大切なことだし」
「将来のために……?」
「ふふふ。そうよ」
「タスク、ユキちゃんが話したいことあるんだって」
唐突にアランがそんなことを言い出した。柚希は目を丸くする。
「何?」
「……」
丞に言いたいことはたくさんあるが今この場所で言うのに相応しい言葉が出てこない。
「柚希ちゃん……?」
「ちょっ、ちょっと場所変えましょう」
柚希は丞を連れて階段を上り、バルコニーへ出た。四月の初旬の夜はまだ少し肌寒い。新潟に比べれば暖かいが……
丞がスーツをそっと柚希の肩にかける。
「ありがとうございます」
「……それで、言いたいことって?」
「あれは、アランさんが勝手に言い出したことだから……」
「アランはいっつもそうだよね。分かりにくい気の使い方をするんだよ」
丞は微笑んだ。丞にとってアランは一番近くにいた存在だった。家族と離れて練習する日々の中でホームシックになったときアランとその家族の存在に救われた。
アランは独特な気の使い方をする。少しずれたアドバイスばかりするのに、かえってそれが周囲の笑顔に繋がっている。
「じゃあ……アランさん関係なしに言いたいこと言います」
「うん」
「丞くん、お疲れさまでした。あと世界選手権ショートとフリー、そして合計の世界最高得点を叩き出しての完全勝利、おめでとうございます。遅くなったけど直接言いたかったんで」
「ありがとう。僕も柚希ちゃんに見てもらえて嬉しかったよ」
「わたしも丞くんのスケート生で見ることができて幸せでした」
「完璧な演技ではなかったけどいい演技が見せられて良かったよ。すごい得点出たしね」
「あれが完璧じゃないなんて……本当に完璧な演技ができたらどのくらいの得点になるんですかね」
「う~ん、分からないけど完璧な演技なんて自分が満足しない限り理想だからさ。きっと今回よりいい演技したとしても満足はしてないから完璧ではないんだろうな」
「丞くんはやっぱり真の王者ですね」
「そんなことないよ。ただの負けず嫌い」
「それが強くなるためには必要なんですよ、きっと」
「柚希ちゃんも?」
「もちろん」
丞は空を見上げる。そこにはたくさんの星が出ていた。
柚希が何か言おうとする素振りを見せたとき、下の階から驚きの声がさざ波のように伝わってきた。
「行ってみる?」
「はい」
二人は広間へと戻る。
そこには先程より人が増えていた。
二人ともフォーマルドレスを着ている。
一人はモーブ色の落ち着いたワンピースタイプのドレスを着ている。ウエストサイドのスピンドルが印象的だ。
もう一人は柚希と同じような衣装だ。ライトカーキのレーストップスにプリーツロングスカートの組み合わせだ。
「栞奈ちゃん?」
「みさちゃん!?」
柚希と丞はそれぞれ同時に他の人の名を口にした。
二人がこちらを見る。
「丞くん、久しぶり」
「みさちゃん、なんでここに?」
「なんでって咲来ちゃんに誘われたに決まってるでしょ」
「姉ちゃんとお知り合いですか?」
「もちろん。試合でカナダに行ったときはいつも通訳もかねていろいろサポートしてくれたわ」
「……知らなかったです」
「そうだと思う。あれはただのボランティアだから」
だいぶ夜も深まってきた。
ここにいるのは世界のトップばかりだ。もしメディアがいたら必ずや話題になっていただろう。今日は誰も知らないパーティーだ。
誰にも見られていない楽しいパーティーはまだ始まったばかりだ。
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