第21話 女王としての葛藤

 柚希が世界一になった。


 その情報は東京にも届いていた。柚希の母だけでなく、凌久や蒼依、その他吹奏楽部の卒業生に喜びと驚きをもってそのニュースは迎えられた。


 世界選手権を終えた柚希はオーストラリアのボドレススキー場で練習している。今回の勝利で一躍有名となり、日本のテレビや新聞の取材も経験した。

 しかし、何があっても柚希はいつも通り毎日の練習に励んでいた。


「ユキ~、またお手紙来てるわよ」


 フローラが大きな箱を持ってきてくれる。


「ありがとう、そこら辺に置いておいてもらっていい?」

「もちろん」


 そう言いながらフローラは箱を床に置く。


「それにしても、よくこんなにお手紙届くわよね」

「それはたぶん……」


 丞くんのおかげ、という言葉は胸にしまっておいた。

 世界選手権が終わった後に、あるテレビ局でトップアスリートを取材した番組が放送された。そこにもちろん丞も出演していた。

「他の競技で注目している選手は誰ですか?」

 という質問に対して、丞は

「パラアルペンスキーの羽澄柚希選手と結城栞奈選手のライバル関係ですね」

 と答えたのだ。その言葉はあっという間に広がった。それからだ。ファンレターが急増したのは。


「わたしの実力じゃないから………」


 ポツリと呟いた言葉はフローラにがっつり聞かれていたようだ。ばしんと背中を叩かれた。


「何いってんの!? 確かにあのクジョウ選手のインタビューでファンは増えたと思うけど、ユキの実力でしょ」

「……だって皆さん、丞くんのファンであってわたしのことは丞くんが応援してるから応援してくれてるだけだし」


 柚希の弱音にフローラは大袈裟にはぁとため息をつく。


「なんも分かってないなぁ。あのね、柚希はクジョウ選手が応援してるってだけでそのひとのこと好きになれる?」

「それは……ならないかな?」

「でしょ? それと同じよ。クジョウ選手の言葉は柚希の存在をいろいろな方に知ってもらえたけど、そこからユキの滑りに魅了された人だけがファンレターを送ってくださるのよ」

「………」


 フローラの言っていることは正しいのだろう。それでも柚希のなかには丞のおかげではなく、完全に自分の実力だけでファンになってもらいたいという気持ちが湧いていた。


「ユキ、クジョウ選手のファンなんていらない? 自分の滑りに魅せられた人にだけファンになって欲しい?」


 フローラには考えていたことが全部ばれていたようだ。


「………」

「ユキ、どんなファンだって、ファンになるには何かきっかけが必要なのよ。それに………」

「それに?」

「私たち選手にとって、ファンが付いてきてくれることは本当にありがたくて心強いものだから」

「………そうね」

「クジョウ選手とますます近づけたって思えばいいじゃん」

「え?」

「あの世界スターのファンの方々はきっと目が肥えてる。素敵な演技にしか惹かれないはず。そんな方々にファンになっていただけた。それはユキの滑りにクジョウ選手みたいな魅力があった証拠よ」


 フローラの言葉は柚希の胸に温かく広がった。


「……ありがと、フローラ」

「私なんてそんな大したファンレター来ないからちょっとユキのこと羨ましいわよ」


 からかうような口調で言ったフローラは明るい声で笑った。






「ねぇ、フローラ」

「なに?」

「聞いてもいい?」

「別にいいけど?」

「フローラってなんでそんなに日本語がうまいの?日本語って学ぶの難しいと聞いたこともあるのにどんな勉強したらそんなに流暢に話せるの? わたしなんて三年近くここにいるのにまだ英語うまくないのに」

「………」


 フローラの目が宙をさ迷う。


「……わたしは日本で育ったから」

「え?」

「あまり深くは聞かないでちょうだいな。でも、わたしはアメリカ生まれだけど日本で育ったの。このクラブと出会ったのは新潟なのよ」

「新潟………」

「ユキはまだ行ってなかったっけ?」

「うん」


 このスーザンスキークラブは日本が夏の間はオーストラリアで冬の間は新潟で練習している。

 柚希は今まで日本が冬になる、つまりオーストラリアでの夏を過ごしていたが、その二回はリハビリや筋力トレーニングをしていてスキーを滑っていなかった。そのため、新潟で滑ったことはまだないのだ。


 フローラにとって過去の話はあまり聞かれたくないようだ。


「やっぱりその土地で話してると上達するのかな?」

「大丈夫よ、ユキ。あなただってすごい英語上達してる。初めて来たときに片言の英語話してた人と同じだとは思えないわよ」

「それは大袈裟だよ。わたし上達してる自覚ないもん」

「ユキ、上達してるかって人が判断することじゃないの?」

「そう?」

「ふふふ」

「フローラ?」

「ユキが上達してるかは分からないけど、少なくとも知っているワードも増えたし、話し方も流暢になっているわよ」


 周りにフローラと紬、そしてスーザンコーチ以外に日本語で話せる相手がいない状況での生活は始めは言いたいことが伝わらず大変だったが、今では仲良くなれて一緒に出掛けたりもしている。それは柚希の地道な英語の勉強の賜物だった。凌久に負けたくないと勉強に励んでいたあの頃の。


 時はあっという間に過ぎていく。もう柚希は高校三年生になっていた。

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