第12話 再出発

 咲来が結婚する。そう発表したとき周りからは反対意見が多かった。柚希の事故の方で入院やリハビリ、義足などに多額の費用が必要な今、お金に困っていないとしても何故わざわざ結婚式を行う必要があるのか。

 その反対意見を「わたしが姉ちゃんの幸せな姿を見たいんです」と黙らせてくれた柚希に咲来は本当に感謝している。

 咲来は隣に立つ、アラン・ジェラード・パキンを見上げた。彼はカナダ人の父と日本人の母を持っているため、日本語も流暢に話せる。


 今日は咲来の親にアランが挨拶しに行く日なのだった。


「ねえ、アラン。柚希に会ってみない?」

「ユキ? サクラの妹だっけ?」

「そう。今入院してるのよ」

「事故に遭ったとはサクラから聞いていたけど……」

「足切断してるからリハビリからしなくちゃならないの」

「僕会ってもなに話したらいいのか分からないからまだ会わないでおこうかな」

「そう? じゃあ母さんにだけ挨拶しに行こうか」

「うん」


 咲来はアランにあることを相談することにした。


「ねぇ、アランはスケートできるのよね?」

「まぁカナダではみんな一通り滑るだけならできるよ」

「近くにリンクある?」

「僕のうまれた家は近くに大きな湖があったからそこで滑っていたけど、リンクもあるよ?」

「そしたら…………九条選手って知ってる?」


 九条丞くじょうたすく選手。日本のフィギュアスケート選手。世界一と言われる正確な技術によって作り出される素敵な演技と端正な顔立ち、インタビューの上手な受け答え、あどけない笑顔に惹かれる人が大勢いる。オリンピックでは十八歳、高校三年生という若さながら完璧な演技で金メダルを獲得した。咲来も、そして柚希も大ファンである。


 アランはくすりと笑う。


「もちろん。スターだよ。僕の家の近くで練習してるし」

「話したこと……ある? さすがにないか」

「あるよ」


 そのアランの顔を見る限り、二人は結構親しそうだ。咲来はお願いを口にする。



 咲来のお願いにアランは軽く頷いた。


「分からないけど聞いてみる」






 そのあと、結局咲来はアランを連れて柚希の病室まで来ていた。


「はじめまして」

「えっと……羽澄柚希です。よろしくお願いします」

「アランです。サクラの彼氏です」

「自分でそれ言っちゃうんだ」


 柚希が笑いだす。それにつられてアランも、咲来も笑った。暫く話していると柚希が言った。


「姉ちゃん、ちょっと出てて」

「なんで?」

「アランさんに話したいことがあるの」

「黒歴史とかは暴露しなくていいからね」


 咲来は軽く柚希を睨みながらも笑みを含んだ声で言って部屋から出ていった。




「アランさん、もし姉ちゃんがわたしの事故のことで気に病んでいたら気にしなくていいよって伝えてもらえませんか?」

「ん?」

「姉ちゃん、たぶんまだわたしの怪我は自分のせいだと思ってると思うんです。でもこれはわたしが周囲を確認していなかったのが原因で、姉ちゃんはなにも悪くないのに責任を感じてて……」

「ユキちゃんはサクラは悪くないと言いたいの?」

「はい」

「ユキちゃん、人がどう思うかは人それぞれ。僕はサクラに言われたんだ。子どもを生みたくないと。ユキちゃんみたいになってしまうのが怖いって言っていた。それを知ってて僕はサクラと共にいたいと思ったんだ。だからユキちゃんは心配しなくて大丈夫」

「え……」


 アランは胸に染み込んでくるような優しい声色で語った。


「サクラはユキちゃんの事故から学んだ。反省もたくさんした。それでいてサクラはユキちゃんのことを支えたいって言ってたんだよ」

「……知らなかったです」

「自分の意見も大切にしてほしいけど、これに関してはサクラはサクラなりに乗り越えようとしてる。だからユキちゃんもユキちゃんなりに乗り越えな。時間がかかってもいい。いつか、どれだけ先でもこの事故があったから自分は強くなれたって心から思える日が来るまで」


 アランの言葉はイントネーションが少し違うところがあった。それでもアランが心からそう思っていることが伝わってきた。そしてその言葉から柚希は咲来の想いを誤解していたことに気づいた。


(姉ちゃんはずっとごめんねって言ってたから事故を気に病んでると思っていたけど、そうじゃなくて前に進もうとしてたんだな。わたしの方こそずっと立ち止まってるな……)


「アランさん、ありがとうございます」

「少しは考え変わった?」


 柚希は笑顔で頷いた。


「すぐには無理だと思うけど……もっといろいろな世界を見てみたいです。こんな身体になってしまったからこそ見えてくるものがあると思えたんで」

Very goodとってもいいね!!!」

「ここが今までのわたしのゴールであって、新しいわたしのスタートです」

「サクラのことは僕に任せて」


 そう言ったアランの目にはサクラに対する愛情と、信頼できると感じる何かが溢れていた。


「アランさん、姉ちゃんのことお願いします。いつかカナダに遊びに行きますね」

「うん。待ってるよ」


 咲来とアランが仲良く寄り添って帰っていくのを窓越しに見て柚希は枕元のノートを開いた。

 表紙に『夢ノート』と大きく書かれたノートには事故に遭ってから柚希が少しずつ綴っている将来の夢が書かれている。

 小さな夢だ。「母さんのご飯を家で食べる」とか「姉ちゃんの住むカナダに遊びに行く」など、何年後かには叶いそうな夢だ。それでも事故に遭い、明日があることが当たり前ではないことを痛感した柚希はその小さな夢を大切にしようと思えるようになった。

 柚希はペンを手に取る。そして、新しいページに新しい夢を書き込んだ。


『この事故があったから自分は強くなれたって心から思えるような日が来るようにする』


 今まで書き込んだ夢の中で一番大きく、達成が難しい夢だった。

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