18:デニス・ジートキフという男

 二人は、私がいることに気がついていないようだった。


「陛下。私……」


 ヴィオラの手がそっと、エミリオンの胸に添えられる。

 私は、見ていられなくて、その場を去ろうとした。


 その時だった。


「もう少し様子を見ていませんか?妃殿下」


 背後から突然声がして、悲鳴をあげそうになったところ、口を塞がれた。


「こんな面白いゴシップそうそう見ることができませんよ」


 もがいて後ろを振り向くと、私の口を塞いでいるのは、見知らぬ男だった。

 身なりから位は高いのだろうが、仮にも私の口を塞いでくるような男は無礼以外の何者でもない。


「その手を離してくれないか?」


 エミリオンの声が廊下に響いたので、私はおもいきり彼の手を振り解いてヴィオラたちの方へ視線を向けた。


「なぜですか……。陛下。いえ、エミリオン。私は、幼い頃からあなたの妃になるために必死にやってまいりました。私の家族も、あなたにずっと尽くしております。それなのに、なぜです。なぜ、私は選ばれなかったのですか」


「あなたには、申し訳ないことをしたと思っている」


「それだけでは、納得できません。父も兄も、仕方ないの一点張りで。それほどまでに路線を展開することが重要ですか?もうドルマン王国の支配からは脱却できているではありませんか。彼女がここにくる必要だって本当はなかったはずです。納得できるお答えをいただけるまで、私はこの手を離しませんわ」


「サドルノフ公爵令嬢」


「いやです…‥私は、あの人なんかよりずっと……あなたを」


「二度は言わない。その手を離してくれないか」


 冷たい声だった。

 ヴィオラは、口をつぐんでエミリオンから少しだけ離れた。


「いやあ、きっついね。悲惨なまでの、失恋現場」


 背後で楽しそうに笑っている男は、動けずに固まっている私を置いて「やあやあ、エミリオン。レディにその言い方はないんじゃないかい?」とずけずけと割り込んでいった。


「……デニス。いつから見ていた」


 デニスと呼ばれた男を見て、エミリオンはうんざりしたような表情を浮かべる。


「けっこう序盤からかな。君の妻もバッチリ見ていたよ。夫の浮気未遂現場」


 デニスの言葉に、エミリオンもヴィオラも驚いたように私の方へと視線を向けた。


「最初から?ずっと見て、私の無様な姿を見て楽しんでいらしたのね……」


 瞳に涙を浮かべて肩を震わせるヴィオラが私を睨むので「楽しんでいたわけではないわ」と私は答えた。


「嘘よ!惨めな私を見て楽しんでいたんだわ!」


 あれほどまでに被っていた猫を、エミリオンの前ですら被ることを忘れ、ヴィオラはまるで子供のような癇癪を起こした。


「ああ、楽しんでいたさ。破談となったとはいえ、曲がりなりにも王族に入ろうとしていた女が情婦でもいいと口にしていたなんて。君の父と兄が聞いたらさぞ驚くだろうなと」


「そ、それだけ本気だったということですわ」


「本気?私には、手に入らなかったおもちゃに対して駄々をこねているようにしか見えなかったけどね。お祖母様から聞いたよ。ドレスを妃殿下と合わせたり、エミリオンの伝言と偽って離宮に押しかけたり、やりたい放題じゃないか」


「私は……そんなつもりでは……」


「そんなつもりでは?では、一体どういったつもりだったんだい?情婦のヴィオラ嬢」


 エミリオンにレディに対する言葉使いを注意していた割に、思い切り傷口に塩を塗り込んで、徹底的に叩き潰しているデニスに「もうやめろ」とエミリオンが仲裁する。


「君がそうやって中途半端に優しいから、彼女は諦めきれないんだろう?だから、わからせてやっているのさ。もう望みはないってね」


 デニスはヴィオラに向かって話を続けた。


「分かってないようだから、丁寧に説明してやる。この婚約は、先々代の王妃とドルマン王国との国王の間で交わされた契約。窮地に陥った第一王女を花嫁にする代わりに、ロニーノ王国の事業には手出しをしないというね。我が国がドルマン王国からの支配から逃れた?路線をじゅうぶんに確保した?冗談じゃない。今はロニーノ王国が経済的に潤っていても、資源を狙ってドルマン王国ではないどこかの国が狙ってくるかもわからない。どっちにしろ大国を後ろにつけて、国をできるだけ大きくすることは、弱小国家において非常に重要なことだ。この二人の結婚は、辺境の北国の公爵令嬢おまえなんかとの結婚より、ずっとメリットがあるんだよ」


 ヴィオラは顔を真っ赤にして泣きながら走り去ってしまった。


 あそこまで追い詰められ屈辱的な失恋をした彼女が心配になって、後を追いかけようとすると、エミリオンが私の腕を掴んで首を横に振り「今夜はここから離れるな」と言ったので、私は大人しく彼のそばにいるしかできなかった。


***

 

「ところで、今夜はお前を招待していない。一体どこから入ってきた」


 エミリオンが苛立ったようにデニスに言うと、彼は胸ポケットから一枚の招待状を取り出した。


「それは!」


 私の言葉にエミリオンの視線が向いて「どうした?」と尋ねた。


 その招待状は、私がイリーナへ贈ったものだ。


「なぜ、私が持っているのかって?それは私が見つけたからだよ。彼女は理由があって、あそこから出ないのさ」


 エミリオンがデニスから招待状を奪い取ろうとすると、彼はひらりと身を翻し「私はサドルノフ公爵令嬢を追いかけるとしよう。失恋したばかりの女性が一番漬け込みやすい」と楽しそうに笑いながら去っていってしまった。


 一番追い詰めた人物に、あのヴィオラが漬け込まれるかどうかは難しい問題である。


「あの……申し訳ありません」


 深いため息をついているエミリオンに私はとんでもない人物を連れてきてしまったと謝罪を述べた。


「いや、謝ることでもない。あいつを止めるのは無理だ」


「彼は一体」


「あいつは、アナスタシア大叔母様の孫のデニス・ジートキフだ。用があるので、しばらく城をあけて放浪すると言ってたのだが……」


「アナスタシア様の……」


「ところで、あの招待状は本当は誰に贈るつもりだった?」


 エミリオンの見ていないところで、勝手に招待状を送ってしまったことが判明してしまった今、私は正直に話すことにした。


 エミリオンがヴィオラにドレスを贈った夜、彼が来なかったので、本当はいけないと思いつつもタペストリーの裏口から地下の温室へ向かったこと。

 そこで、イリーナという女性に出会ったことで、アナスタシアたちが派遣されてきたこと。

 そのイリーナに感謝の気持ちを込めて、今夜の舞踏会に招待をしたこと。


 エミリオンはしばらく黙って聞いていたが、その場でしゃがみ込んで、何か考えているようだった。


 遠くの方から舞踏会の喧騒が聞こえてきた。

 王室楽団の奏でる音楽と共に、踊る人、それそれ話す人、恋に落ちる人がたくさんいるのだろう。

 窓の外に見える月は、ゆっくりと西へ向かって進んでいる。


 会場から流れる曲がゆったりとしたバラードに変わり、バイオリンの旋律が私たちを包み込んだ。


「あなたは聞かないのか?」


 しばらく黙っていたエミリオンが、突然私の手をとって尋ねてきたので、「何をですか?」と驚いて彼の方を見つめた。


「なぜ、あの夜、あなたの部屋行かなかったのか」


「陛下が、サドルノフ公爵令嬢についてお気持ちが流れているのでしたら、身の安全を考えて不安になりましたが、先ほどお断りする現場を拝見したので、これ以上は何もございません」


 本当は、ヴィオラのことで苦しい思いはたくさんしたが、それをエミリオンに今更ぶつけたところでどうにもならない。


 それに、結婚式で「愛を求めるな」と言われている以上、部屋に来なかったからと喚くこともできない。


 むしろ、彼女の今後の動向に注意して、アナスタシアの指摘通り、彼女をどうやって味方に取り込むのかを考える方が最優先事項である。


「なぜ、身の安全を考える?」


 エミリオンが静かに尋ねた。


「いえ……それは」


 エミリオンは立ち上がって、私の方へと詰め寄った。


「あなたは、時々何を考えているのかわからない」


 その言葉はそのままそっくりエミリオンにお返ししたいところだ。


「あの夜、散々子供のように大泣きしましたので、お分かりいただけいたのかと。私がここへ来た理由はご存知でしょう?」


「この国で、それがまた繰り返されると思ったのか?」


「彼女が側室になれば、そういうこともあり得るかと……。王家の相続争いはどこの国も熾烈ですから」


「側室は取らないと、先日言ったはずだ」


 どんどんエミリオンの口調が苛立ってきているように感じた。

 なぜ、苛立っているのか理由も分からず「大変申し訳ありません」と私は頭を下げるしかなかった。


「……謝ってほしい訳ではない」


 エミリオンが私の手を再び取って、強く握りしめた。

 大きな手は、私の小さな手を包み込んでしまう。


「陛下。どうなさったのですか?」


 真っ赤なルビーのような瞳が、私をじっと見つめると、身動きが取れなくなってしまう。


 エミリオンは、私の長い黄金の髪の毛をそっと取って、そこへ口付けた。


「私は、あなたに愛を求めるなと結婚式で言ったな」


「……はい。そうおっしゃっておられました」


 心臓の音が激しくなる。

 どうして、今そんな話を蒸し返すのだろう。


 エミリオンの考えていることが、私は本当にわからなかった。


「撤回する」


 手を引かれエミリオンの腕の中に閉じ込めらた瞬間、彼の唇が私の唇に触れた。

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