第3章:真夜中の襲来者
8:オーロラが浮かぶ夜に
暗闇の中に浮かぶ美しい光のカーテンを、白い吐息を交えながら私は目を輝かせて眺めていた。
祖国であるドルマン王国でも見たことがない光景だった。
フローラが淹れてくれた温かいお茶を片手に、毛布にくるまりながら窓の外に広がるオーロラを眺める。
しばらく綺麗な夜空を眺めていた後、不意に明日の朝から財務室で働かなくてはならないことを思い出し、気が重くなった。
日中は、必死に笑みを浮かべて、挨拶だけして回ったが、人間関係をうまく作れるだろうか。
ガルスニエルやベンケンドルフ伯爵の一件で、私の祖国での悪評はすっかり城の中に広まってしまっている。
エミリオンとの公務も、表立って夫婦を演じることも、財務室でよい人間関係を作ることも、できる気がしなかった。
「でも、やるしかないのよね……」
静まり返った部屋の中で、「バウ!」とまるで私の呟きに返事をするように犬の鳴き声がした。
私は、まだ半分ほどお茶の残っているカップを腰の高さほどある白樺の木でできたサイドテーブルの上に置いて、声のした方へと視線を向ける。
「静かにしろ。フラン」
「バウ」
「なんでフランを連れてきたのよ」
「一緒に行くってついてきたんだよ」
「バウ」
「どうせ、怖いから犬についてきてもらったんでしょ。怖いなら、やめておきなさいよ」
「うるせえ。俺は、あの女に一泡吹かせないと納得いかないんだよ」
「ウォン!」
「静かに」
「静かにしなさい」
犬の鳴き声と一緒に、ヒソヒソと会話をする子供の声も聞こえてきた。
しかし、部屋の中には誰もいない。
私は、音を立てないように、ベッドの下やクローゼットの中を覗いてみたが、そこに子供たちや犬の姿は見えなかった。
まさか、幽霊ではないだろうか。
昔、この城で亡くなった子供の幽霊が―――と妄想が私の中で膨らむが、もう一度耳を凝らし、声の聞こえる方へと歩いていく。
大きなタペストリーがかけてある方から、音が聞こえた。
そっとタペストリーをめくってみると、そこには小さな扉があった。
どうか、幽霊ではありませんように。と勢いよく扉を開けた。
「キャー!」
「うわあああ!」
「バウワウっ!ワン!」
そこにいたのは、ガルスニエルと、アルム、そして背中に黒の艶やかな毛並みがあり、お腹から顎にかけて白い毛が流れている黄金色の瞳を持った大型犬一匹だった。
甲高い悲鳴を聞いて、私も同じように「キャァアア!」と大きな声を出してしまった。
その大きな声に、さらに驚いたガルスニエルとアルムが悲鳴をあげる。
「ジョジュ様!どうかされましたか?」
扉の外にいる見張りの衛兵が血相を変えて部屋の中に飛び込んでくる。
私は、慌てて扉を閉めて「い、いいえ。なんでもないわ。悪夢を見てしまったみたい。下がっていいわ」と言い訳した。
側から見れば、タペストリーに抱きついている変な女である。
訝しげな表情を浮かべながら「承知しました」と衛兵が部屋を出て行く。
扉の外から「逃げるぞ!」と子供たちが走り去っていく音が聞こえた。
***
衛兵が部屋の外へと出たと確認した後、タペストリーの裏側にある扉を開けた。
こんなところに隠し扉があっただなんて、フローラは教えてくれなかったが、知っているのだろうか。
それにしても、なぜ子供たちはこの隠し扉の存在を知っていたのだろう。
走り去っていった子供たちは、大丈夫なのだろうかと絨毯も敷いていない埃っぽい廊下を歩きながら燭台で辺りを照らす。
「ほら、早く登って」
「わかってるよ。フランを頼む!」
アルムとガルスニエルの声が聞こえた方向へと走っていくと、狭い穴の中をよじ登っていこうとする子供たちと大型犬一匹の姿が見えた。
私はアルムの手を掴もうとしたガルスニエルの襟元を思い切り引っ張った。
「ねえ。一体どういうつもり?」
思っていたよりも声が震えたが、それがどうしてか自分でもよくわからなかった。
アルムはしゅんと目を伏せて俯くだけだったが、ガルスニエルは「お前のせいで俺の人生はめちゃくちゃなんだよ!」と開き直っていた。
フランと呼ばれた犬は、私がガルスニエルの襟を引っ張ったので、「バウワンっ!」と吠えて威嚇してくる。
しかし、噛みついてこようとはしなかったので、とりあえず無視することにした。
「とりあえず、アルムさんは、そこから降りなさい。危ないから」
ガルスニエルを解放し、吠え続けるフランを無視して、私はアルムに手を差し伸べた。
意外なことにアルムは素直に手を差し伸べて、降りてきた。
栗色のふわふわの癖っ毛はボサボサで、可愛らしいドレスがすっかり埃で汚れてしまっている。
私は、彼女のドレスについた埃をパンパンと手で払い除けた。
「お願い。ジョジュ王女。お父様には言わないで」
涙を浮かべて懇願するアルムに、私は「もう三回目なのよ。こういうことが起こるのは」と吐き捨てるように言った。
「お前が、この国に嫁いでくるからだろ!犯罪者のくせに」
「犯罪者だったら、もうあなたも同じよ。深夜の私の部屋に忍び込んできて、何をするつもりだったの?私が、この子たちに殺されそうになったって、部屋に連れ戻したあなた達を衛兵に向かって大騒ぎしたら、一体誰が、あなた達を信用するかしら?犬は間違いなく殺処分になるわね」
「フランまで殺すというのか!僕の大事な相棒だぞ!」
「いい加減、その口を慎みなさい!」
私が大きな声をあげると、ガルスニエルがビクッと身体をすくめた。
「申し訳ないけれど、度が過ぎている。衛兵を呼んで、あなた達をそれぞれいるべき場所へ戻すわ。処分は、国王に報告の上、連絡することになると思う。荷物の件も本当は目を瞑ろうと思っていたけれど、報告すべきね」
「荷物は私たちじゃないわ!誰も信じてくれないけど、本当よ」
アルムが必死に訴えるが、「あなたのその言葉、目の前で母の写真や祖国の思い出を燃やされた私が信じると思う?」と冷たく言い放つと、諦めたように肩を落とした。
「とりあえず、私の部屋に戻りなさい。話はそれからよ」
まだ抵抗するようならどうしようと不安になったが、ガルスニエルもアルムも私の激しい剣幕に、大人しく言うことを聞くと決めたようだった。
***
部屋に戻ると、お茶はすっかり冷めてしまっていた。
こんな状況の時まで、子供達の冷えた身体を温めようと、お茶を飲ませようとしているなんて、私はずいぶんとお人好しのようだ。
私は、扉の外で待機している衛兵に、ガルスニエルとアルムが部屋にいることを正直に打ち明け、温かいお茶を追加で持ってくるように頼んだ。
指示を受けた衛兵は、驚いたような顔を浮かべた後、すぐに担当の者を連れてくると走り去っていった。
窓の外に広がるオーロラを見ても、気分は優れない。
ぐずぐすと鼻をすすりながら涙を流しているアルムと、黙って愛犬のフランを撫でて俯いているガルスニエル。
少しやり過ぎてしまったかもしれないが、このくらいのお灸を据えないと、また次に何をされるかわかったものではない。
「そこに、座りなさい」
私が暖炉の前に椅子を二脚出して、彼らを座らせる。
ガルスニエルの愛犬のフランは、困ったようにくるくると周り、大きな身体を寄せるように少年の隣に腰を降ろした。
二人の身体についた埃を取り払い、冷えた身体を温めるように毛布をかけた。
すると、ずっと黙っていたガルスニエルが、声を上げて泣き始めた。
「ここは、お母様の部屋なんだ。お前が住んでいい部屋じゃないんだ……」
先代の女王の部屋だったので、ガルスニエルは秘密の隠し扉のことを知っていたらしい。
私は、ガルスニエルの泣き言に何も言わなかった。
幼い頃に母を亡くし、寂しさを埋めるように度々こっそりこの部屋に忍び込んでいたのかもしれない。
「ガルスニエル。泣かないで。私やフランがいるわ」
「でも、フランは殺されちゃうんだ。犯罪者になったから」
人間の言葉がわかっていないフランは、泣いているガルスニエルを慰めるようにぺろぺろと彼のかけてある毛布を舐めている。
まるで「大丈夫だよ。僕がいるよ」と言っているように見えた。
「大丈夫よ。フランは殺されたりしないわ。お父様にお願いしてみるもの」
「でも、あの女は殺すって言った。あの女はお前の父上よりも位が高いんだ」
「いやよ、フランが死んだら」
子供達、大号泣の大合唱である。
これでは、私が全て悪いみたいではないか。
結婚式の晩餐会で「犯罪者」と罵られ、荷物を燃やされ、危うく寝込みを襲われそうになったというのに。
罪悪感と言う名のもやもやが、心の中に渦巻いていく。
しばらく経って、何人かの足音が部屋の外から聞こえた。
血相を変えて現れたのは、ゴルヴァンとそのほかの衛兵、そして、エミリオンだった。
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